芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) ムアアの言葉
ムアアの言葉
ジヨオヂ・ムアアは「我死せる自己の備忘錄」の中にかう言ふ言葉を挾んでゐる。――「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐるものである。又決して同じ所に二度と名前を入れぬものである。」
勿論「決して同じ所に二度と名前を入れぬこと」は如何なる畫家にも不可能である。しかしこれは咎めずとも好い。わたしの意外に感じたのは「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐる」と言ふ言葉である。東洋の畫家には未だ甞て落欵の場所を輕視したるものはない。落欵の場所に注意せよなどと言ふのは陳套語である。それを特筆するムアアを思ふと、坐ろに東西の差を感ぜざるを得ない。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年一月号『文藝春秋』巻頭に、前の「親子」全四章及び「可能」と、後の「大作」「わたしの愛する作品」の全八章で初出する。底本後記によると、初出では最初の一段落目が、
ジヨオヂ・ムアアは「我死せる自己の備忘錄」の中にかう言ふ言葉を挾んでゐる。――「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐるものである。又決して同じ所に二度と名前を入れぬものである。」實際、
となっているとするが、これが事実とすると、奇異である(後記の記載はこれで以下が繋がっているとも書かれていないし、そもそもが「実際、勿論、……」という言い回しはお洒落でなく、凡そ芥川龍之介らしくない。在り得るミスは、この「實際、」は龍之介の原稿の抹消字を植字工と校正工が誤って活字化してしまったケースである。だとすれば、龍之介はこのアフォリズムを初め、現在の――「勿論、」の改行――ではなく、「勿論、」と改行はなしで、
《仮定復元開始》
ジヨオヂ・ムアアは「我死せる自己の備忘錄」の中にかう言ふ言葉を挾んでゐる。――「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐるものである。又決して同じ所に二度と名前を入れぬものである。」實際、「決して同じ所に二度と名前を入れぬこと」は如何なる畫家にも不可能である。しかしこれは咎めずとも好い。わたしの意外に感じたのは「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐる」と言ふ言葉である。東洋の畫家には未だ甞て落欵の場所を輕視したるものはない。落欵の場所に注意せよなどと言ふのは陳套語である。それを特筆するムアアを思ふと、坐ろに東西の差を感ぜざるを得ない。
《仮定復元終了》
と一段落で書こうとした可能性が浮上するとは言える。しかし、字面上からダッシュ引用に直に続けて龍之介が語り出すという形式もまた、龍之介の表現のダンディズムからは外れる。この仮定が正しいとしても、現行の形がよい。なお、死後刊行の単行本「侏儒の言葉」の編者注には、以下のようにある(編著者不詳。社主にして龍之介の盟友菊池寛が主導したものとは思われる)。
《引用開始》[やぶちゃん注:本文引用は原本では全体が一字下げで、下部が二字インデントである。]
二、本交七十五頁 「ムアアの言葉」
――「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐるものである。又決して同じ所に二度と名前を入れぬものである。」實際、
勿論「又決して同じ所に二度と名前を入れぬことは」如何なる畫家にも不可能である。
(以下略)
校正者はこの「實際」、の二字を削つた。これは當を得たことではないかも如れない。――しかし當時の原稿の散らばつてしまつた今日では。その當時の原稿はいま誰の手にあるのか。
《引用終了》
「ムアア」「ジヨオヂ・ムアア」ジョージ・ムーア(George Moore 一八五二年~一九三三年)はアイルランド生まれの詩人・小説家。一八七三年に画家を志してパリに行き、ステファーヌ・マラルメ、エミール・ゾラ、エドゥアール・マネ、エドガー・ドガらと交友を結んだ。パーシー・ビッシュ・シェリー、テオフィル・ゴーチエ、オノレ・ド・バルザック、ウォルター・ペイター(Walter Horatio Pater 一八三九年~一八九四年:イギリスの批評家。代表作の一つである一八七三年発表の「ルネサンス」(The
Renaissance:「文芸復興」)はオスカー・ワイルドら世紀末の唯美主義文学者に強い影響を与えた)の四人の詩人・小説家に多大なる影響を受けた、と自伝的作品「一青年の告白」(Confessions
of a Young Man 一八八八年)に綴っており、また、エドゥアール・デュジャルダン(Édouard Émile Louis Dujardin 一八六一年~一九四九年:フランスの詩人・小説家・評論家。象徴派詩人としてマラルメに師事する一方、音楽評論に優れ、ワーグナーをフランスに紹介。象徴主義雑誌『ワーグナー評論』(Revue
wagnérienne 一八八五年)など、幾つかの雑誌を創刊して卓抜した象徴主義理論を展開した)から小説技法について多大なる影響を受けている。ロンドン文壇に小説家としてデビューするが、その後、故郷アイルランドにUターンして定住、ウィリアム・バトラー・イェイツやグレゴリー夫人らとダブリンでアイルランド文芸復興運動に参加した。小説「湖」でイメージを反復させる印象派的技法を取り入れ、ジェイムズ・ジョイスにも影響を与えている。晩年はロンドンで創作を続けた(主節部分は「はてなキーワード」を元にし、私の知らない人物その他についてはネットの諸情報で補填した。私は私の知る人物については原則、注、特に細かなそれは附けない主義であるので、悪しからず。逆に注が附いている箇所はその人物や書物を見たことも聴いたこともないという私の智の致命的欠落瑕疵であると、ほくそ笑まれて全く構わない)。
・「我死せる自己の備忘錄」(Memoirs of My Dead Life)はジョージ・ムーアの一九〇六年の刊本(英語版の彼のウィキに拠る)。岩波新全集の山田俊治氏の注では、『芥川旧蔵書では、引用部分に下線があり、「カウ言ウヿヲマジメニ言フホド moor ノミナラズ毛唐人ハ鈍感ト見エタリ」との書き込みがある』とある(「moor」の綴りはママ)。老婆心乍ら、「ヿ」は「コト」(事)の約物(やくもの)。なお、山田氏は本書の刊行を一九〇五年と記しておられる。
・「偉大なる畫家は名前を入れる場所をちやんと心得てゐるものである。又決して同じ所に二度と名前を入れぬものである。」海外サイト「Internet Archive」の「Memoirs of My Dead Life」全文テクスト・データから当該箇所を見つけることが出来た。以下に示す。
*
A great
painter always knows where to sign his pictures, and he never signs twice in
the same place.
*
・「落欵」「らくくわん(らくかん/らっかん)」。落款に同じい。「落成款識(らくせいかんし)」の略語。書画を作成した際に製作時や記名識語(揮毫の場所・状況・動機等)や詩文などを書き付けたもの(或いはその行為)を指す。慣習上は署名として押捺された印影又は署名に代えて押捺した印影を指すことが多い(ウィキの「落款」を参照した)。
・「陳套語」「ちんたう(とう)ご」決まりきっていて古臭い言い回し。「陳套」は陳腐・旧套に同じい。「陳」は「古臭い・古くて悪化した」の意で、「套」は「物に掛ける覆い」の意から「同じことを重ねる・ありきたり」の意となったもの。
・「坐ろに」「そぞろに」と訓ずる。何となく、何とも言えず、の意。]
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