芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 幼兒
幼兒
我我は一體何の爲に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない爲である。
又
我我の恬然と我我の愚を公にすることを恥ぢないのは幼い子供に對する時か、――或は、犬猫に對する時だけである。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年九月号『文藝春秋』巻頭に、後の「池大雅」「荻生徂徠」「若楓」「蟇」「鴉」と合わせて全七章で初出する。この号はアフォリズムは全体に毒とパワーが有意に落ちており、芥川龍之介が最も嫌った反復的自動作用も強く感じられる。実際、ルナールの「博物誌」調(リンク先は私の岸田国士訳(ボナール挿絵附+附原文+やぶちゃん補注版)「博物誌」である)の「若楓」「蟇」「鴉」の三章は単行本「侏儒の言葉」からはごっそり削られている。
・「恬然」(てんぜん)は、物事に拘(こだわ)らずに平気でいる様子。
・「公」「おほやけ」と訓じておく。筑摩全集類聚版も同じ。]
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