芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 人間的な
人間的な
我我人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すと云ふことである。
[やぶちゃん注:芥川龍之介は既に「神」の第一章で「あらゆる神の屬性中、最も神の爲に同情するのは神には自殺の出來ないことである。」と述べた。そもそも「神」という存在は、それを不完全な人間が創ったのである以上、「神」なるものは、とんでもない不良品であることを生来的に不可避的絶対属性として持たざるを得ないことを意味している。だからこそ龍之介は神が自殺出来ないことを哀れに思いもし、我々が毎日のように繰り返し成し遂げている「過失を犯す」ことが出来ないことも同時に憐憫しているのである。「過失を犯す」ことが最も貴(とうと)い「人間的な」行為であり、それは不全な神などよりも遙かに全知全能存在であると言っているのである。過失を犯さない人間に我々は服従するかも知れぬ。しかし過失を犯さない人間を愛することは、ない。]
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