芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 今昔
今昔
昔帝國文庫本の「三國志」や「水滸傳」を讀んだ時、十何才かの僕は「三國志」よりも「水滸傳」を好んだものである。これは年の長じた後もやはり昔と變らなかつた。少くとも變らないと信じてゐた。が、この頃何かの拍子に「三國志」や「水滸傳」を讀んで見ると、「水滸傳」は前よりも面白みを減じ、「三國志」はその代りに前よりもはるかに面白みを加へてゐる。
「水滸傳」は及時雨宋江だの、智多星呉用だのと云ふ、特色のある性格を描いてゐる。けれどもそれらの性格はスコツトの作中の性格と大差あるものとは思はれない。それだけに面白みを減じたのであらう。「三國志」は三國の策士の施した種種の謀計を描いてゐる。その又謀計は人間と云ふものを洞察した知慧の上に築かれてゐる。殊に少時神算とも鬼謀とも更に思はなかつたものほど、一層惡辣無雙なる策士の眼光を語つてゐる。これは或は「三國志」の作者の手柄と云ふよりも、寧ろ史上の事實そのものの興味に富んでゐる爲かも知れない。が、兎に角「三國志」の今の僕に面白いのはかう云ふ面白みの出來た爲である。僕は昔政治家などの所業に少しでも興味を感ずることは永久にないものと信じてゐた。しかし今の調子ではもうそろそろ久米正雄の所謂床屋政治家の域にはひりさうである。
[やぶちゃん注:・「帝國文庫本」最初期の文庫の名を持つ叢書。明治二六(一八九三)年に博文館が創刊した。但し、これは四六判クロス装全冊千頁を越えるという豪華本で、現在の廉価本としての文庫本のイメージからは遠いものであるので注意されたい(ここはウィキの「文庫本」に拠った)。
・「及時雨宋江」「きふじう そうこう(きゅうじう そうこう)」と読む。生没年不詳で北宋末の一一二一年に現在の山東省附近で反乱を起こした人物であるが、その反乱事件を題材としたのが「水滸伝」で彼はその主人公、即ち、かの梁山泊百八人の豪傑の統領となっている。
・「智多星呉用」「ちたせい ごよう」と読むウィキの「呉用」によれば、『天機星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第三位の好漢』。『天下に並びない智謀の持ち主で、軍師として神算鬼謀の限りを尽くした』。但し、「三国志演義」の『諸葛亮のような神懸り的な人物ではなく、失敗もすれば冗談も飛ばす人間的な人物である。戦略や謀略の才には長けているが、実践の戦術や兵法に関する造詣は次席の軍師・朱武に多少劣る。また、鎖分銅の使い手でもある』とある。
・「スコツト」スコットランドの詩人で、歴史小説で名声を博した作家ウォルター・スコット(Walter Scott, 一七七一年~一八三二年)のことか。
・「少時」芥川龍之介の癖からは「しばらく」と訓じていよう。
・「神算」「しんさん」で神がかったような人知の及ばぬ謀(はかりごと)の意。次の「鬼謀」(きぼう)も、常人の思いも及ばぬような、鬼神の計らいででもあるかのような優れた謀の意であって悪い意味はない。「神算鬼謀」の四字熟語で使われることが殆んどである。こうして分解した方が、しかし、確かに読み易く、すんなり腑に落ちる。上手い手法である。
・「久米正雄の所謂床屋政治家の域」「床屋政治家」は既出で、床屋政談をする国民。髪結い床に来た客が髪を当たって貰いながら、店主と噂話でもするかの如く政談を展開することから、ろくな根拠もなしに、感情的で無責任な政治談議をすることを指す。因みに、久米正雄は昭和七(一九三二)年に石橋湛山の後を継いで鎌倉の町議に立候補してトップ当選したが、翌昭和八年に川口松太郎や里見弴とともに花札賭博で警察に検挙されているのだが、いや! 惜しいかな! 芥川龍之介自死の後であった……]
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