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2016/06/06

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 倭寇

 

       倭寇

 

 倭寇は我我日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。我我は盜賊、殺戮、姦淫等に於ても、決して「黃金の島」を探しに來た西班牙人、葡萄牙人、和蘭人、英吉利人等に劣らなかつた。

 

[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年五月号『文藝春秋』巻頭に、前の「兵卒」(二章)「軍事教育」「勤儉尚武」「日本人」、後の「つれづれ草」と合わせて全七章で初出する。「倭寇」「わこう」。「和寇」とも書く。十三世紀から十六世紀にかけて、朝鮮半島・中国大陸の沿海地域を侵犯略奪した日本人に対する朝鮮・中国側の呼称。その中心勢力は、北九州・瀬戸内の土豪や沿岸漁民であり、元来は私貿易を目的としていたものが、十四世紀半ばから海賊化し、米穀・人民を奪取殺害するなど、相手国に深刻な脅威を与えた。勘合貿易などの進展により、十五世紀中頃には一旦、鎮静した。十六世紀になって、中国大陸南岸・南洋方面に再び発生したが、その集団には日本人は少なく、多くは中国人の密貿易者・海賊であったと考えられている。豊臣秀吉の禁圧で消滅(以上は三省堂「大辞林」に拠った)。……しかし、芥川先生、倭寇と日本帝国の「皇軍」をいっしょくたにしちゃあ、また、ヤバいですぜ……

 

・「黃金の島」「わうごん(おうごん)のしま」とは、イタリアの商人で旅行家であったマルコ・ポーロ(Marco Polo 一二五四年~一三二四年)が「東方見聞録」(Il Milione 或いは La Description du Monde であるが、原題は不詳。一二七一年から一二九五年にかけて、彼が旅した中央アジア・中国の体験談を、イタリアの物語作家ルスティケロ・ダ・ピサ(Rustichello da Pisa)が筆録したもの。マルコ・ポーロはジェノバとの戦争で捕虜となって、獄中で同じ囚人であった彼に出逢い、獄中で聴き取って完成させたものであるという。但し、原記載は古フランス語に拠るものである)の中に記したジパング(Zipangu:綴りは諸説有り)、一説に日本とされ、ここもそれに則(のっと)った謂い。ウィキの「ジパングによれば、「東方見聞録」では『ジパングは、カタイ(中国大陸)の東の海上』千五百マイル(二千四百十四キロメートル)に『浮かぶ独立した島国である。莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。人々は偶像崇拝者で外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある』。『モンゴルのクビライがジパングを征服するため軍を送ったが、暴風で船団が壊滅した。生き残り、島に取り残された兵士たちは、ジパングの兵士たちが留守にした隙にジパングの都を占領して抵抗したが、この国で暮らすことを認める条件で和睦して、ジパングに住み着いたという話である』と記すとし、『マルコ・ポーロが伝え聞いたジパングの話は、平安時代末期に奥州藤原氏によって平安京に次ぐ日本第二の都市として栄えた奥州平泉の中尊寺金色堂がモデルになっているとされる。当時の奥州は莫大な金を産出し、これらの財力が奥州藤原氏の栄華の源泉となった。 マルコポーロが元王朝に仕えていた』十三世紀頃には、『奥州地方の豪族安東氏は十三湖畔にあった十三湊経由で独自に中国と交易を行っていたとされ、そこからこの金色堂の話が伝わったものとされる』とあるものの、異義も多く、『中世の日本はむしろ金の輸入国であり、黄金島伝説と矛盾する』、『マルコ・ポーロの記述やその他の黄金島伝説ではツィパングの場所として(緯度的にも気候的にも)明らかに熱帯を想定しており、実際の日本(温帯に属する)の位置とはかなり異なる』、『元が遠征に失敗した国は日本以外にも多数存在する』といった『理由から、ジパングと日本を結びつけたのは』十六世紀の『宣教師の誤解であるとする説もある。またジパングの語源としても、元が遠征した東南アジアの小国家群を示す「諸蕃国」(ツィァパングォ)の訛りであるとする。またイスラーム世界(アラビア語・ペルシア語圏)に伝わった日本の旧称「倭國」に由来するといわれる』「ワークワーク」乃至「ワクワーク」は『金山を有する土地として知られているが、「ワクワク」に類する地名はアラビア語・ペルシア語による地理書や地図においてアフリカや東南アジアによく見られる地名でもあり、日本のことを指したものではないとする説もある』とある。

・「西班牙人、葡萄牙人、和蘭人、英吉利人」老婆心乍ら、西班牙(スペイン)、葡萄牙(ポルトガル)、和蘭(オランダ)、英吉利(イギリス)と読む。]

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