芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 外見
外見
由來最大の臆病者ほど最大の勇者に見えるものはない。
[やぶちゃん注:世の勇者――ギリシャ・ローマや神代の古えからついこないだまで、勇者、即ち、英雄というものは、須らく軍人であり政治家であった――というものはとかく「外見」を大事にする。このアフォリズムを読むと私は陳腐極まりないが、かのフランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David 一七四八年~一八二五年)の「グラン・サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」(Bonaparte
franchissant le Grand-Saint-Bernard 一八〇一年~一八〇五年)を勇姿を思い出してしまう――かの馬上で田虫の痒みを必死にこらえている――臆病者の内心を想いながら。
附記:但し、ダヴィッドなら「マラーの死(マラー暗殺)」(La Mort
de Marat , Marat Assassiné 一七九三年)の方が遙かに好い。
・「由來」ここは副詞。もともと~。本来~。]
« 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 自己嫌惡 | トップページ | 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 人間的な »