芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 虛僞(三章)
虛僞
わたしは或譃つきを知つてゐた。彼女は誰よりも幸福だつた。が、餘りに譃の巧みだつた爲にほんたうのことを話してゐる時さへ譃をついてゐるとしか思はれなかつた。それだけは確かに誰の目にも彼女の悲劇に違ひなかつた。
又
わたしも亦あらゆる藝術家のやうに寧ろ譃には巧みだつた。が、いつも彼女には一籌を輸する外はなかつた。彼女は實に去年の譃をも五分前の譃のやうに覺えてゐた。
又
わたしは不幸にも知つてゐる。時には譃に依る外は語られぬ眞實もあることを。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年四月号『文藝春秋』巻頭に、前の「賭博」(三章)「懷疑主義」「正直」と、後の「諸君」(二章)「忍從」「企圖」(二章)と合わせて全十三章で初出する。
・「わたしは或譃つきを知つてゐた。彼女は誰よりも幸福だつた」これは芥川龍之介の不倫相手であった秀しげ子と断定して間違いない。こんな注は研究者は恥ずかしくって絶対につけられないだろう。ざまあ、見ろ。
・「一籌を輸する」「いつちうをゆする(いっちゅうをゆする)」と読み、「一段階、劣る」「一歩、譲る」の意。「籌」は実務や占術に於いて数を数えるのに用いた木の串(くし)で、「輸する」の「輸」には「致す・運ぶ・移す」以外に「負ける・負け」の意があり、ここはそれ。もともとは宋の陸游の詩「九月六夜夢中作笑詩覺而忘之明日戲追補一首」の最終句「道得老夫輸一籌」に基づくという。
・「わたしは不幸にも知つてゐる。時には譃に依る外は語られぬ眞實もあることを。」私は芥川龍之介は自裁に際し、その遺書を認(したた)めている最中(リンク先は私渾身の芥川龍之介の遺書テクスト)、この自分が二年前に書いたこの言葉を鮮やかに蘇らせていたものと思う。]
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