窓邊に凭りて 立原道造
窓邊に凭(よ)りて
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして
――在原業平
春の風は 窓のところに
かへつて來て
贈り物のことを ささやいてゐる
おしやべりな言葉で
僕らの心を そして 光らせ
あるひは とほく 冬にまで
すぎて來た 影のあちらにまで
なつかしい眼(まな)ざしを 向けさせる
そんなときなのだ 僕らの
心が ゆるされないほどの
あたたかい愛を 夢み
健康や 明るい旅をいふのは!
春の風は 希望のやうに
何といふ 單純な仕方で
それは 過ぎてゆくことか!
あちらへ あちらへ……
まつたく微笑が 少女の顏に
ふかい波を 皮膚の内からおこさせて
また消してゆくやうに――
それは ためいきにも似て
明るく にほひながら
ああ 花々や 空や羽毛や雲や
窓のところに きらきら 光らせる
おしやべりな身ぶりで
疲れも知らずに 優しく
すべての植物に 芽を與へ
すべての動物の 眼に 淚をうかばせる
かなしみや よろこびを忘れてしまつた心にまで
ほほゑんだ人びとの方から 吹いて來て
いつかのやうに どこかへ とほく
それはまた過ぎてゆく 光のなかで
忘れさせる追憶が みなさうであるかのやうに!
[やぶちゃん注:既に記した底本(一九八八年岩波文庫刊「立原道造詩集」(杉浦民平編))の「後期草稿詩篇」より。冒頭第一連のみを引いた個人ブログ「別所沼だより」の「春の風」に本篇の作詩時期を昭和一三(一九三八)年とする。満二十四、死の前年である。
題に添えた業平の和歌は、知られた「伊勢物語」の第四段、
*
むかし、東(ひむがし)の五条に、大后(おほきさい)の宮おはしましける、西の對(たい)に、住む人ありけり。それを、本意(ほい)にはあらで、心ざし深かりける人、行きとぶらひけるを、睦月(むつき)の十日(とをか)ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。あり所は聞けど、人の行(い)き通ふべき所にもあらざりければ、なほ憂(う)しと思ひつつなむありける。
またの年の睦月に、梅(むめ)の花ざかりに、去年(こぞ)を戀ひて、行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷(いたじき)に、月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして
と詠みて、夜(よ)のほのぼのと明くるに、泣く泣く歸りにけり。
*
と載り、この一首はまた、「古今和歌集」「卷第十五」巻頭の「戀歌五」冒頭に以下の如く前書を以って配されてある(第七四七番歌)。
*
五条のきさいの宮の西の対にすみける
人に、ほいにはあらでものいひわたり
けるを、む月のとをかあまりになむ、
ほかへかくれにける。あり所は聞きけ
れどえものもいはで、又の年の春、梅
の花ざかりに、月のおもしろかりける
夜、去年をこひてかの西の對にいきて、
月のかたぶくまで、あばらなる板敷に
ふせりてよめる 在原業平朝臣
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
*
立原道造には、同様に和歌を添書きした詩篇が他にもある。例えば、初期詩篇の「夜に詠める歌」の「反歌」で、そこには「かへるさのものとやひとのながむらん待つ夜ながらのありあけの月」という藤原定家の一首が添えられており、また、同じ初期詩篇の一つ、「わがまどろみは覺めがちに」で「夢のうちに逢ふと見えつる寢覺こそはかなきよりも袖はぬれけれ」という藤原(西園寺)実宗の一首を添えたものである。]
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