芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 我我
我我
我我は皆我我自身を恥じ、同時に又彼等を恐れてゐる。が、誰も卒直にかう云ふ事實を語るものはない。
[やぶちゃん注:これは「我我」と「彼等」を如何なる対象と解するかという一点のみが謎めいて見える。しかしこれは「侏儒の言葉」の持つ、前の条々との有機的連続性の中で氷解するように、私には思われる。この前章は「恐怖」で「我我に武器を執らしめるものはいつも敵に對する恐怖である。しかも屢實在しない架空の敵に對する恐怖である。」であった。「我我」とは文字通り、我々であり、日本国民でよい。そうして「彼等」とは、その「我我」の「敵」、しばしば「實在しない架空の」存在であるところの「敵」である。言い換えて見よう。
――大陸に進出し、朝鮮人や中国人を虫けらの如くに凌辱殺戮する獣に等しい「我我自身を恥じ、同時に又」、そうしたおぞましい行為を成している「我我」に対して「彼等」――それは実在する「敵」でもあり、同時に欲望放恣の限りを尽くしていることから生ずるところの疑心暗鬼の産み出した「實在しない架空の敵」――「を恐れてゐる」。が、しかし、今の日本社会に於いては、これ、「誰」(たれ)一人として、かく「も卒直にかう云ふ」まことのゆゆしき「事實を語るものは」いないのである。――]
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