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2016/06/13

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)  トルストイ

 

       トルストイ 

 

 ビユルコフのトルストイ傳を讀めば、トルストイの「わが懺悔」や「わが宗教」の譃だつたことは明らかである。しかしこの譃を話しつづけたトルストイの心ほど傷ましいものはない。彼の譃は餘人の眞實よりもはるかに紅血を滴らしてゐる。

 

[やぶちゃん注:底本の後記によれば、底本の岩波旧全集の後記によれば、この「トルストイ」という題名は初出の『文藝春秋』には、ない、とし、普及版全集の「月報」第三号の「第六卷編纂・校正覺書」に『「「侏儒の言葉」』『にトルストイといふ項があります。これは原稿ではトルストイといふ題だけが、作者によつて抹殺されて居ります。そして他の題を附けようとして附け忘れられたままであるのか、それとも他の理由からか、抹殺されたままでありますが、無題にするよりもと思ひ、消された題を便宜上再び附けて置いた次第であります」とある。』と記す。抹消を再現しておく。

 芥川龍之介は小説・随想その他で数多く、レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Лев Николаевич Толстой:ラテン文字転写:Lev Nikolayevich Tolstoy 一八二八年~一九一〇年)に言及しており、彼にとってトルストイは非常に大きな存在であったと考えてよい。但し、それは未だ研究者の間でも語られているとは言えないように思われる。このアフォリズムに近い感懐を述べたものとしては、「河童」(昭和二(一九二七)年三月)の河童の国の大寺院でトルストイが第三の聖人として祀られていることを説明する長老の台詞であろう。

   *

 「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒は誰(たれ)よりも苦行をしました。それは元來貴族だつた爲に好奇心の多い公衆に苦しみを見せることを嫌つたからです。この聖徒は事實上信ぜられない基督(キリスト)を信じようと努力しました。いや、信じてゐるやうにさへ公言したこともあつたのです。しかしとうとう晩年には悲壯な譃つきだつたことに堪へられないやうになりました。この聖徒も時々書齋の梁(はり)に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の數にははひつてゐる位(くらゐ)ですから、勿論自殺したのではありません。」

   *

また「齒車」(死後の昭和二(一九二七)年十月に全篇公開)の「二 復讐」の前半部も妙に印象的である。

   *

……――僕は努めて妄想を押しのけ、もう一度ペンを動かさうとした。が、ペンはどうしても一行とは樂に動かなかつた。僕はとうとう机の前を離れ、ベツドの上に轉がつたまま、トルストイの  Polikouchka を讀みはじめた。この小説の主人公は虛榮心や病的傾向や名譽心の入り交(まじ)つた、複雜な性格の持ち主だつた。しかも彼の一生の悲喜劇は多少の修正(しうせい)を加へさへすれば、僕の一生のカリカテュアだつた。殊に彼の悲喜劇の中(うち)に運命の冷笑を感じるのは次第に僕を無氣味にし出した。僕は一時間とたたないうちにベツドの上から飛び起きるが早いか、窓かけの垂れた部屋の隅へ力一ぱい本を抛りつけた。

 「くたばつてしまへ!」

 すると大きい鼠が一匹窓かけの下からバスの部屋へ斜めに床(ゆか)の上を走つて行つた。僕は一足(そく)飛びにバスの部屋へ行き、戸をあけて中(なか)を探しまはつた。が、白いタツブのかげにも鼠らしいものは見えなかつた。僕は急に無氣味になり、慌ててスリツパアを靴に換へると、人氣のない廊下を歩いて行つた。

   *

 トルストイの生涯については、ウィキの「レフ・トルストイ」などを参照されたい。家族との対立や妻との永年に及ぶ不和、複数回に及ぶ家出とその末の肺炎による野垂れ死になど、龍之介の言わんとする「譃」はそれなりに透けて見えてくるはずである。龍之介が「譃」と指弾するのは、トルストイがその小説や評論で宣明している人間とキリスト教の理想的合一が、彼自身の実人生とあまりにも乖離していることに由来するものであろうとは思う。しかし実は、私は個人的にこの龍之介の言う〈トルストイの噓〉について語るのは、どうも生理的に抵抗があるのである。私は幼少の頃から「イワンのばか」(Сказка об Иване-дураке и его двух братьях  一八八五年)を愛読し、中学一年の時に「復活」(Воскресение  一八八九~一八九九年)に感動し、机の前に彼の肖像写真を張っていたほどに好きだったからである。たまには、こうした拒否も許されたい。

 

・「ビユルコフのトルストイ傳」ロシアの海軍将校で文学者でトルストイの崇拝者でもあったパーヴェル・イヴァノヴィッチ・ビュルコフ(Павел Иванович Бирюков:ラテン文字転写:Pavel Ivanovich 一八六〇年~一九三一年:新潮文庫の神田由美子氏の注によれば『大衆文学の分野で活躍し、トルストイ創設の雑誌『仲裁者』の経営に従事』したとある)が、一九〇五年(ロシア語の彼のウィキによる。神田氏は一九〇四年十月とする)に出したトルストイの伝記「トルストイ伝」(иография Л. Н. Толстого)のこと。

・「わが懺悔」(Исповедь)は一八七八年から一八八二年にかけて書かれたもの。神田氏注によれば、『五十歳前後からの宗教的煩悶(はんもん)を経て得た悪に対する無抵抗主義と、善と愛による世界の救済を説いている』とある。

・「わが宗教」神田氏注によれば、『既成宗教を批判し、人格を自己完成による人間の救済を信条とするトルストイの宗教観を述べたもの。一八八五年作』とある。]

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