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2016/06/07

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 方便

 

       方便

 

 一人を欺かぬ聖賢はあつても、天下を欺かぬ聖賢はない。佛家の所謂善巧方便とは畢竟精神上のマキアヴエリズムである。

 

[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年七月号『文藝春秋』巻頭に、前の「自由」(四章)「言行一致」と、後の「藝術至上主義者」「唯物史觀」「支那」(二章)と合わせて全十章で初出する。

 

・「佛家」「ぶつか(ぶっか)」「ぶつけ(ぶっけ)」二様に読める。筑摩全集類聚版では前者でルビされている。私も生理的にはその方を好む。

・「善巧方便」「ぜんげうはうべん(ぜんぎょうほうべん)」と読む。仏菩薩が衆生を導き救うに当たって、各人の資質や個性に応じた、臨機応変な種々多様な方法を用いて、巧みに教化することを意味する仏教用語。

・「マキアヴエリズム」この場合の「Machiavellism」は、「君主論」(Il Principe 一五三二年刊)を著わし、そこであるべき君主像を語ったイタリアの政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli 一四六九年~一五二七年)の思想そのものを指すものではなく、目的のためには手段を選ばず、また、反道徳的な行為であっても結果オーライで正当化してしまうような、権謀術数を敢えてして恥じない考え方の謂い、と私は採る。マキャヴェッリの「君主論」の内容はウィキの「君主論」が分かり易いが、それによれば、君主が『理想国家における倫理的な生活態度にこだわり、現実政治の実態を見落とすことは破滅をもたらすことを強く批判しており、万事にわたって善行を行いたがることの不利益を指摘する。君主は自身を守るために善行ではない態度をもとる必要がある。あらゆる君主はその気質が評価されるが、一人の君主があらゆる道徳的な評判を勝ち得ることは原理的に不可能であり、自分の国家が略奪されるような重大な悪評のみを退けることになる。しかしながら自国の存続のために悪評が立つならばそのことにこだわらなくてもよい。なぜならば、全般的に考察すると、美徳であっても破滅に通じることがあり、逆に悪徳であっても安全と繁栄がもたらされることが、しばしばあるからである』。『このような気質の中で気前が良いこととけちに思われることについて考察する。一般的に気前の良さを発揮するとは害悪である。一部の人々のために大きな出費がかさむ事で重税を課さざるを得なくなり、その他の大勢の領民に憎まれるだけでなく、そのような出費を止めようとすると逆にけちだという悪評が立つことになる。それよりも多くの人々の財産を取り上げないことが重要である。つまりけちという評判について君主は全く問題視すべきではなく、支配者にとって許容されるべき悪徳の一つである』。『また君主の気質として残酷さと憐れみ深さについて考慮すると、憐れみ深い評判が好ましいことは自明である。しかしマキャヴェッリは注意を促しており、君主は臣民に忠誠を守らせるためには残酷であると評価されることを気にしてはならないと論じている。憐れみ深い政策によって結果的に無政府状態を許す君主よりも、残酷な手段によってでも安定的な統治を成功させることが重視されるべきである。原則的には君主は信じすぎず、疑いすぎず、均衡した思慮と人間性を以って統治を行わなければならない。しかし愛される君主と恐れられる君主を比較するならば、「愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である」と考えられる』。『なぜなら人間は利己的で偽善的なものであり、従順であっても利益がなくなれば反逆する。一方で君主を恐れている人々はそのようなことはない』。『さらに君主にとって信義も間違いなく重大であるが、実際には信義を意に介せず、謀略によって大事業をなしとげた君主が信義ある君主よりも優勢である場合が見受けられる。戦いは法によるものと武力によるものがあるが、これら謀略と武力を君主は使い分けなければならない。もしも信義を守ることで損害が出るならば、信義は一切守る必要はない。重要なことは立派な気質を君主が備えている事実ではなく、立派な気質を備えているという評価をもたせることである』とあり、マキャヴェッリは『強力な君主によるイタリア統一が肝要と考え』、「君主論」に於いては『政治を宗教や道徳から分離して政治力学を分析している』とある。新潮文庫の神田由美子氏の「マキアヴエリズム」の注には(但し、神田氏は私と異なり、これをマキャヴェッリの思想と規定しておられる)、『国家目的のために政治をキリスト教的モラルから解放し』たとも記す。]

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