芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 或夜の感想
或夜の感想
眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違ひあるまい。 (昭和改元の第二日)
[やぶちゃん注:遺稿の、そして狭義の「侏儒の言葉」の擱筆である。私には芥川龍之介の苦悶の背中がはっきりと見える…………
・「昭和改元の第二日」前条に注した通り、昭和改元第一日は西暦一九二六年十二月二十五日であるから、これは昭和元(一九二六)年十二月二十六日である。この日、芥川龍之介は鵠沼にいた。前日二十五日附で瀧井孝作に宛てた書簡(葉書)が残るが、そこには(岩波旧全集を底本とし、全文を掲げる。下線やぶちゃん)、
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御手紙拜見。僕は多事、多病、多憂で弱つてゐる。書くに足るものは中々書けず。書けるものは書くに足らず。くたばつてしまへと思ふ事がある。新年號の君の力作を樂しみにしてゐる。頓首
十二月二十五日 鵠沼イの四号 芥川龍之介
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とある。翌二十七日に妻文は正月準備のために田端の自宅に戻るが(代わりに甥葛巻義敏が鵠沼に来るが、これは自殺願望の露わな龍之介を見張るためである。この辺りの詳細は新全集の宮坂年譜に拠る)、これも以前に注したように、この五日後の昭和元年十二月三十一日には鎌倉小町園の野々口豊のもとへ〈小さな家出〉をしているが、私は龍之介はこの時、彼女野々口豊に心中を求めた可能性を密かに疑っている。]
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