芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 好人物
好人物
女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。
又
好人物は何よりも先に天上の神に似たものである。第一に歡喜を語るのに好い。第二に不平を訴へるのに好い。第三に――ゐてもゐないでも好い。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年二月号『文藝春秋』巻頭に、前の『「虹霓關」を見て』「經驗」「アキレス」「藝術家の幸福」と、後の「罪」「桃李」「偉大」と合わせて全九章で初出する。
・「天上の神」このアフォリズムは「神」を語るそれでもある点に注視する必要がある。即ち、「神」とは「歡喜を語るのに好」く、「不平を訴へるのに好」く、そして最終的には「ゐてもゐないでも好い」存在だというのである。龍之介の毒は「好人物」に対する異なった変態的嗜好を有する「人間の男女」のみに向けられるものではなく、実は「神」にこそ本当は向けられていると読むべきである。そこに龍之介の深い絶望が示されてあると言えるのである。
・「好人物」辞書上では「気だてのよい人・善人・お人よし」であるが、ここでの謂いは、多分に蔑視を含んだところの「お人よし」の意味である。でなくてどうして「ゐてもゐないでも好い」と言い得るであろう。]
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