どこの空だつたのだらう 立原道造
どこの空だつたのだらう
Ⅰ
どこの空だつたのだらう。もうおぼえてゐない。美しい夕映えがかかつてゐてその下に董色(すみれいろ)の山の影繪がジグザグの線を切り拔いてゐた。そして、ひとりの靑年が靑い上衣を着て、みねの上に立ちつくしてゐるのがその風景のなかからはみだして見えた。この靑年は彫像のやうにしづかに步いた。氣温はつめたくなつてゐた。長いこと、その固い透明な時間がつづいた。鳥が一羽西の空から南の空へ大氣の磁器にひびいらせて飛んだ。それに耐へかねて夕闇が急に落ちた。家の内部に洋燈(ランプ)がともつた。靑い上衣の靑年がみねの上をゆるやかな足取りで降りて行くのが見えた。月がそれを照らしはじめたのだ。
Ⅱ
長い長い白い道だつた。石はすべて渇いてゐた。空靑く澄みとほつてゐた。脊の高いポプラの木が日にキラキラと光つてゐた。眞晝だ。
どこへ行くのだらうか。海はないだらうか。海があつたら、どうするのだらうか。船はないだらうか。船があつたら、どうするのだらうか。どの問ひにも答へはなかつたから、くりかへしくりかへしたづねてゐた。どこへ行くのだらうか。……
かぎりない曠野であつた。脊の高いポプラの木が日にキラキラと光つてゐた。地は靑い草に蔽(おほ)はれ、熱い草いきれに、風景は歪んでゐた。眞晝だ。
太陽と光とだけがあつた。
どこへ行くのだらうか。
[やぶちゃん注:底本の「後期草稿詩篇」より。「洋燈」の「燈」は底本の用字。]