芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 理性
理性
理性のわたしに敎へたものは畢竟理性の無力だつた。
[やぶちゃん注:芥川龍之介は「侏儒の言葉」の中で、しばしば「理性」については語ってきている。しかし思ったより、ここまででの「理性」という語の使用回数は実は少ない。全部数え上げても、たった八項目で十回である。そうして、「又」で連射するのが好きな龍之介が、この遺稿では敢えて、前に三章を挟んで、別な「理性」の独立項を立てている。これは「侏儒の言葉」中の特異点である。その先行する「理性」をここに再掲しておく(因みに、この標題の「理性」も数えて十であるから、これ以外には八回の使用となる)。
理性
わたしはヴォルテェルを輕蔑してゐる。若し理性に終始するとすれば、我我は我我の存在に滿腔の呪咀を加へなければならぬ。しかし世界の賞讃に醉つたCandideの作者の幸福さは!
しかも、先行する「理性」を語った条々、「鼻」・「神祕主義」・「自由意志と宿命と」・「兵卒」(第一章)・「多忙」・「女人」・「理性」(前掲項)・「女人崇拜」を見るに、「理性」という語が「無力」でなく肯定的積極的にプラグマティクなものとして語られているのは「兵卒」の第一章のみである。文学史に於いて理智派などと自分が呼ばれていると知ったなら、芥川龍之介は草葉の蔭でも卒塔婆で喉を突いて再度、自死しそうである。]
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