詩抄 立原道造
詩抄
1
鳥は高く空に飛び
夕陽は私らの眼を射る
この秋の最終の靑い葡萄は
私らの掌(てのひら)にある
それは
もう追憶となつた日々を
飾るだらうと 私らはおもふ そして
約束はつひに果されずに終つた と
やすらかに きらめいてゐる
私のけふの夕映えよ しづかな
おまへの 山の姿よ
ふたたび 美しく告げられた
この意味をみたす日はいつかへり來る?
――時だ! すべてが いまは やさしく をはつた!
2
おそらくは これが 最后の
夕べとなるのだらう――
村は しづかに 夕靄(ゆうもや)に包まれ
鐘の音が野をみたしてゆく
幸福だつた 私らの日々よ
あの明るい花やかな夕映えは
決して 私らの幻影ではない
……すべてのとりいれのすんだあと
いまさびしい野のおもてに
風は渡り 乾いた土に描いてゆく
とうに ひとつの追憶となつたものを
この意味は いつ みたされる?
優しい問ひに こたへるすべもなく
私らの心は ただかすかに うなづきあふばかりだ
3
だれがいま ここを 立ち去らうとして
ゐるのだらう? ――僕が だらうか?
明るい 花やかな夕映えよ この 短い時の間に なぜ
きのふ見たものを 僕はおもひ返すのだらうか?
さびしい野がひろがつてゐる
ふたたびは かへらない一切が 僕の窓に
この僕の最終に語りかける
かつて見なかつた美しい言葉で
出發だ――何のために? あの夕映えの赤が
澄みきつて ひびきわたる
この頰に つめたく風は ささやく
すべてが 夜にかはらうとするゆるやかさのなかに
ひとり あわただしく この心は急いでゐる
だが僕を 呼びつづけるのはだれだらう?
[やぶちゃん注:底本の「後期草稿詩篇」より。第「2」章第一連の「夕靄(ゆうもや)」の「ゆう」はママ。底本解説でで編者の杉浦明平氏は、振り仮名を増補したが、歴史的仮名遣で統一したと言っておられ、すこぶる不審である。]