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2016/06/18

芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 井原西鶴

 

       井原西鶴

 

 西鶴に自然主義者を見るのは自然主義的批評家の色眼鏡である。西鶴に滑稽本の作家を見るのも大學の先生連の色眼鏡である。

 西鶴は恐るべき現實を見てゐた。しかもその現實を笑殺してゐた。西鶴の作品に漲るものはこの圖太い笑聲である。天才のみが持つ笑聲である。かのラブレエを持たない事は必しも我我の不幸ではない。我我は西鶴を持つてゐる。堂堂と娑婆苦を蹂躙した阿蘭陀西鶴を持つてゐる。

 

[やぶちゃん注:・「ラブレエ」フランス・ルネサンスを代表する作家で医師でもあったフランソワ・ラブレー(François Rabelais 一四八三年?~一五五三年)。古代ギリシャの医聖ヒポクラテス(ラテン文字転写:Hippocrates)の医書を研究したことで著名となったが、その後、中世巨人伝説に題材を採った騎士道物語のパロディー「ガルガンチュワ物語」(La vie très horrifique du grand Gargantua, père de Pantagruel:パンタグリュエルの父、ガルガンチュワの怖ろしき生涯:出版は一五三四年或いは一五三五年か)と「パンタグリュエル物語」(Horribles et épouvantables Faits et Prouesses du très renommé Pantagruel:その名も高きパンタグリュエルの超弩級の恐ろしき武勇伝:一五三二年)からなる物語で知られる。ウィキの「フランソワ・ラブレー」によれば、『これらは糞尿譚から古典の膨大な知識までを散りばめ、ソルボンヌや教会など既成の権威を風刺した内容を含んでいたため禁書とされた』とある。

・「阿蘭陀西鶴」戯作者井原西鶴(寛永一九(一六四二)年~元禄六(一六九三)年)は、一昼夜の間に発句を作る数を競う矢数(やかず)俳諧を誇り、またそれを得意としたことから、「二万翁」の俳号の俳諧師としても知られ(最高作句記録は二万三千五百句とされる)。その奇矯な句風から「阿蘭陀流(オランダりゅう)」と蔑称されたが、ウィキの「井原西鶴」によれば、「生玉万句」(延宝元(一六七三)年の『自序に「世人阿蘭陀流などさみして」とあり、貞門俳人・中島随流は』「誹諧破邪顕正」(延宝七(一六七九)年)の中で、『西山宗因を「紅毛(ヲランダ)流の張本」、西鶴を「阿蘭陀西鶴」と難じ、同じ談林の岡西惟中は』「誹諧破邪顕正返答」(延宝八(一六八〇)年)で『「師伝を背」いていると批難、松江維舟は』「俳諧熊坂」(延宝七(一六七九)年)で『「ばされ句の大将」と謗ったように西鶴は多く批判されたが、それはむしろ当時の談林派で』『の西鶴の存在の大きさを証する』ものであり、西鶴自身、『阿蘭陀流という言葉が気に入ったのか』、「俳諧胴骨」(延宝六(一六七八)年)の『序に「爰にあらんだ流のはやふねをうかめ」』、「三鉄輪」(延宝六(一六七八)年)の序では、『「阿蘭陀流といへる俳諧は、其姿すぐれてけだかく、心ふかく詞新しく」などと言って』おり、また、俳句を西鶴に学んだ中村西国の撰になる「見花数寄(けんかずき)」(延宝七(一六七九)年)に『載る西国と西鶴の両吟では、西国の「桜は花阿蘭陀流とは何を以て」という発句に西鶴が「日本に梅翁その枝の梅」とつけ、阿蘭陀流の幹に宗因(梅翁)を位置づける』とあって、西鶴の強烈な自信と反骨の凄さを感じさせる。]

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