芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし(二章)
わたし
わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかし第三者が幸か不幸かかう云ふ事實を知らずにゐる時、何か急にその女に憎惡を感ずるのを常としてゐる。
又
わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかしそれは第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを條件としてゐる。
[やぶちゃん注:以下の内容は既に一部で注しているのであるが、派生的に記したものなので再掲しておく。これは芥川龍之介が「愁人」と呼んだ、歌人秀しげ子(明治二三(一八九〇)年~?:芥川龍之介より二歳年上。夫は帝国劇場の電気部主任技師秀文逸(ひでぶんいつ 明治一六(一八八六)年~?)との不倫関係に基づくものである。龍之介としげ子が初めて逢ったのは大正八(一九一九)年六月十日の神田の西洋料理店ミカドで開かれた岩野泡鳴を中止とした文学サロン『木曜会』での席上で、この直後から龍之介の方から積極的に接近、同年九月には肉体関係を持ったと考えられているが、どうもその直後辺りから、龍之介の方に激しい失望感(以下に引用する『動物的本能ばかり強い彼女に或憎惡を感じてゐた』などがヒントとなろう)が生じ、彼の恋愛感情は急速に冷めてしまったように思われる。真相は不明ながら、夫に不倫関係を知られて告訴(当時の旧刑法では姦通罪があった)されそうなったことから龍之介が離れたと見る向きもあるようだ(例えば、遺稿「闇中問答」(昭和二(一九二七)年九月号『文藝春秋』――芥川龍之介追悼号――)の中に、『或聲 お前の家庭生活は不幸だつた。/僕 しかし僕の細君はいつも僕に忠實だつた。/或聲 お前の悲劇は他の人々よりも逞しい理智を持つてゐることだ。/僕 譃をつけ。僕の喜劇は他の人々よりも乏しい世間智を持つてゐることだ。/或聲 しかしお前は正直だ。お前は何ごとも露れないうちにお前の愛してゐる女の夫へ一切の事情を打ち明けてしまつた。/僕 それも譃だ。僕は打ち明けずにはゐられない氣もちになるまでは打ち明けなかつた。』といったシーンが登場する。但し、これが秀しげ子絡みの事実を指すと断定は出来ない)。さともかくも後には龍之介自身が彼女自体を激しく忌避するようになったことは事実で、「或阿呆の一生」の中でも、
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二十一 狂人の娘
二台の人力車は人氣のない曇天の田舍道を走つて行つた。その道の海に向つてゐることは潮風の來るのでも明らかだつた。後(うしろ)の人力車に乘つてゐた彼は少しもこのランデ・ブウに興味のないことを怪みながら、彼自身をここへ導いたものの何であるかを考へてゐた。それは決して戀愛ではなかつた。若し戀愛でないとすれば、――彼はこの答を避ける爲に「兎に角我等は對等だ」と考へない譯には行かなかつた。
前の人力車に乘つてゐるのは或狂人の娘だつた。のみならず彼女の妹は嫉妬の爲に自殺してゐた。
「もうどうにも仕かたはない。」
彼はもうこの狂人の娘に、――動物的本能ばかり強い彼女に或憎惡を感じてゐた。
二台の人力車はその間に磯臭い墓地の外へ通りかかつた。蛎殼(かきがら)のついた粗朶垣(そだがき)の中には石塔が幾つも黑んでゐた。彼はそれ等の石塔の向うにかすかにかがやいた海を眺め、何か急に彼女の夫を――彼女の心を捉へてゐない彼女の夫を輕蔑し出した。………
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と書き(「狂人の娘」とは当の不倫相手の秀しげ子のことであるので注意されたい。また、このシチュエーションは肉体関係を持ったその折りかその直後の体験に基づくものと考えられる)、さらに、
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三十八 復讐
それは木の芽の中にある或ホテルの露台(ろだい)だつた。彼はそこに畫を描きながら、一人の少年を遊ばせてゐた。七年前に絶緣した狂人の娘の一人息子と。
狂人の娘は卷煙草に火をつけ、彼等の遊ぶのを眺めてゐた。彼は重苦しい心もちの中に汽車や飛行機を描きつづけた。少年は幸ひにも彼の子ではなかつた。が、彼を「をぢさん」と呼ぶのは彼には何よりも苦しかつた。
少年のどこかへ行つた後(のち)、狂人の娘は卷煙草を吸ひながら、媚びるやうに彼に話しかけた。
「あの子はあなたに似てゐやしない?」
「似てゐません。第一………」
「だつて胎教と云ふこともあるでせう。」
彼は默つて目を反らした。が、彼の心の底にはかう云ふ彼女を絞め殺したい、殘虐な欲望さへない譯ではなかつた。
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この慄っとする言葉を吐くのも秀しげ子と考えてよい。
ただ、この二章「第三者」というのがやや曲者(くせもの)で、そもそもが「共有」という謂いからは「第三者」というのを「夫」と読み換えるのには甚だ無理がある。それでも一章目は、これが秀しげ子との不倫行為を指している場合に彼女夫文逸を指すと読んでも、必ずしもおかしくはない。こちらから不倫を仕掛けておきながら、その一緒に不倫をしている当の相手の女性が夫に隠れて自分と不倫をしていることに『何か急にその女に憎惡を感ずるのを常としてゐる』というのは、如何にも論理的に妙ではあるが、私はよく理解出来る。そういうことは確かに、ある。
しかし、実はこの「第三者」(特に第二章目の「第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを條件としてゐる」の箇所)にもっとしっくりくる人物が、実はいるのである。
「龍門の四天王」(但し、彼は龍之介と同年(六ヶ月ほど下)であり、「師」という認識は私は実は南部にはなかったと考えている)の一人である南部修太郎(明治二五(一八九二)年~昭和一一(一九三六)年)である。龍之介は大正一〇(一九二一)年の九月(推定)に、かつての不倫相手であった秀しげ子が、こともあろうにこの南部修太郎と一緒に密会していた場面にたまたま遭遇、激しいショックを受けているのである。二章目は明らかにその衝撃に基づく謂いと考えてよい。而してそこからフィード・バックするなら、第一章の「第三者」も南部と考えた方が、ずっと自然なものとして合わせて読めることになる。因みに、このショッキングな出来事が翌年一月に発表される「藪の中」に強い影響を与えていることは間違いない。但し、この時点では私は龍之介としげ子の方の不倫関係は一応、終わっていたと考えている(前に引いた「或阿呆の一生」の「三十八 復讐にある『七年前に絶緣した狂人の娘』というのが数字的にはよく合うのがお分かり戴けるものと思う)。なお、秀しげ子は龍之介の自死する晩年まで田端の龍之介を平気な顔で訪ねているのである。]
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