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2016/06/22

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(1) 序

 

    第五章 野生の動植物の變異

 

 前章に於て述べた通り、人間の飼養する動植物には遺傳の性と變異の性とが備はつてある所へ、人間が干渉して一種の淘汰を行つた結果、終に今日見る如き著しい變種を生ずるに至つたことは疑ふべからざる事實であるが、さて野生の動植物は如何と考へると、之にもやはり同樣な事情がある。

[やぶちゃん注:「遺傳の性と變異の性」孰れも「性」は性質の意であるが、では丘先生はこれを「しやう(しょう)」と読んでいるかというと、私は甚だ疑問に思う。であれば、今までの経験から推して、先生ならルビを振られると思うからである。次のの段の冒頭で即座に正確な「遺傳性と變異性」という表現を出されている点からもここは「せい」と読んでおく。]

 先づ遺傳性と變異性とに就いて考へて見るに、野生の動植物では前にも言つた通り、親子兄弟の關係が明瞭に解らぬから、一個づゝを取つて、何れだけの性質が遺傳により親から傳はつたか、また何れだけの點は變異によつて親兄弟と違ふか、直接に調べることは出來ぬが、長い間絶えず採集しまたは同時に多數を採集して比較すれば、こゝにも遺傳及び變異の性質が備はつてあることを明に證明することが出來る。その中、遺傳の方は昔から人の少しも疑はなかつた所で、從來人の信じ來つた生物種屬不變の説も、畢竟今年採集した標本も昨年採集した標本も五年前のも十年前のも、同一種に屬するものは皆形狀が殆ど同一である所から、親の性質は悉く遺傳によつて子に傳はり、子の性質は悉く遺傳によつて孫に傳はり、何代經ても形狀・性質に少しの變化も起らぬものと考へ、之より推して天地開闢より今日まで生物の各種類は一定不變のものであると論結した次第故、野生の動植物に遺傳の性の備はつてあることは他人の證明を待つまでもなく、誰も初めより信じて居る。語を換へていへば、進化論以前の博物家は、子は寸分も親に相違せぬもの、孫は寸分も子に相違せぬものと、初めより思ひ込んで居たので、生物の變異性に氣が附かず、偶々少し變つた標本を獲ても、たゞ偶然に出來たものと輕く考へ、變異性の重大なる意味に思ひ及ばなかつたのである。

 元來野生の動植物の變異性を認めることは自然淘汰説の一要件で、若し生物に變異性がないものとしたらば、無論如何なる淘汰も行はれよう筈がない。斯く生物學上肝要な問題なるにも拘らず、野生の動植物の變異性に注意し、廣く事實を集めて確實に之を研究しようと試みたのは、殆どダーウィンが初めてである故、かのダーウィンの著した「種の起源」といふ本の中にはこの點に關する事項が割合に少い。併しその後にはこの問題は追々丁寧に研究せられ、研究の積むに隨ひて生物の變異性の著しいことが明瞭になり、今日の所では大勢の學者が力を盡して之を研究して居たので、變異性を調べる學科は生物測定學といふ名が附いて生物學中の獨立なる一分科の如き有樣となり、この學のみに關した專門の雜誌まで發行せられて居る。生物の變異性に關する知識はダーウィン時代と今日とでは殆ど雲泥の相違があると言つて宜しい。

[やぶちゃん注:「生物測定學」(バイオメトリー:biometry)は現行では生物統計学(バイオスタティクス:biostatistics)とも呼ばれる。ウィキの「生物統計学によれば、『統計学の生物学に対する応用領域で、様々な生物学領域を含む。特に医学と農学への応用が重要である。医学では生物統計学、農学では生物測定学の名を用いることが多い。古くは』「バイオメトリクス」(biometrics)の名が使用されたが、現在、これは所謂、生体認証(「バイオメトリック(biometric)認証」「バイオメトリクス認証:ヒトの身体的(生体器官上――指紋・虹彩・手の血管(静脈パターン)・音声等――)の特徴や行動特徴(所謂、癖)の情報に基づいて用いて行う個人認証システムや技術分野を意味する語に変わってしまっている。但し、これら『バイオメトリクスの基本的な理念や方法論(例えば指紋による個人識別)は古典的な生物統計学にルーツを求めることができる。また理論生物学とも密接な関係がある』。『生物統計学的な研究は、現代の生物学および統計学の成立に重要な役割を果たし』ており、『チャールズ・ダーウィンのいとこに当たる』フランシス・ゴルトン(Sir Francis Galton 一八二二年~一九一一年:イギリスの統計学者で人類学者・優生学者(「優生学」という語は彼が濫觴)。彼の母ビオレッタはエラズマス・ダーウィンの娘で、チャールズ・ダーウィンの父ロバート・ウォーリングとは異母兄妹に当たった)『や、その後継者の数学者カール・ピアソン』(Karl Pearson 一八五七年~一九三六年:イギリスの数理統計学者・優生学者。記述統計学の大成者とされる)は、十九世紀から二十世紀にかけて、『進化を数量的に研究することを試み、その過程で統計学を進歩させた』。二十世紀初頭に『メンデルの法則が再発見され、一見矛盾する進化と遺伝とをどう整合的に理解するかが、ピアソンら生物統計学者と』ウィリアム・ベイトソン(William Bateson 一八六一年~一九二六年:イギリスの遺伝学者。メンデルの法則を英語圏の研究者に広く紹介した人物で、英語で遺伝学を意味する「ジェネティクス:genetics」という語の考案者でもある。但し、彼はダーウィンの自然選択説に反対し、染色体説にさえも晩年までは懐疑的であった)『ら遺伝学者との間で重大問題として議論された。その後』、一九三〇年代までに『統一的モデルが作られ、ネオダーウィニズムが成立した。これを主導したのも統計学的研究であり、これによって統計学が生物学における重要な方法論として確立した』。ロナルド・フィッシャー(Ronald Aylmer Fisher 一八九〇年~一九六二年:イギリスの統計学者・進化生物学者・遺伝学者・優生学者)が生物学研究の過程で基本的な統計学的方法を確立し、シューアル・ライト(Sewall Green Wright 一八八九年~一九八八年):アメリカの遺伝学者)とJBS・ホールデン(John Burdon Sanderson Haldane 一八九二年~一九六四年:イギリスの生物学者)『も統計学的方法により集団遺伝学を確立した。統計学と進化生物学は一体のものとして発展したわけである』。『またこれと平行して、ダーシー・トムソン』(D'Arcy Wentworth Thompson 一八六〇年~一九四八年:イギリスの生物学者・数学者)『の行った生物の形態の数学的研究』(著書On Growth and Form(「成長と形態」一九一七年公刊)に纏められた)も、『生物学の量的研究における先駆けとなった』。但し、これらの記載から概ね想像されることと思うが、彼らの多くはヒトの優生学の発展にも大きく関与し、何人かは明白な差別主義者であったことを忘れてはいけない。名著とされる「攻撃」(Das sogenannte Böse 一九六三年)で誰もが知る、オーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz 一九〇三年~一九八九年)でさえ、ナチス政権下で大学教授の職を得、ナチスの「人種衛生学」を支持したことを忘れてはいけない。私は今も普通に読まれているかの「攻撃」の中にさえ、凡そ差別意識に基づく、とんでもない非生物学的な誤った考察がまことしやかに書かれていると強く感じているくらいである。]

 「種の起源」の發行後尚暫くの間は、有名な動植物學者の中にも自然淘汰の説に反對した人が澤山あつたが、その理由は孰れも生物の變異に關する知識が頗る乏しく、野生の動植物が如何程まで變異するものであるかを知らなかつたからである。今日の如くに變異性の研究の進んだ以上は最早苟も生物學を修めた者には生物進化の事實を認めぬことは到底出來ぬ。かやうに大切な事項故、本書に於ても野生の動植物の變異の有樣を成るベく十分に述べたいが、一々實例を擧げて具體的に説明しようとすると、勢ひ無味乾燥な數字ばかりの表や、弧線などを澤山に掲げなければならぬから、ここにはたゞ若干の例を引いて、大體のことを述べるだけに止める。

[やぶちゃん注:「苟も」「いやしくも」。仮にも。相応にかくも~したとならば。]

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