芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 或才子
或才子
彼は惡黨になることは出來ても、阿呆になることは出來ないと信じてゐた。が、何年かたつて見ると、少しも惡黨になれなかつたばかりか、いつも唯阿呆に終始してゐた。
[やぶちゃん注:言わずもがな、「或」る「才子」(さいし:才人)即ち「彼」は無論、「或阿呆の一生」の作者である芥川龍之介自身である。「侏儒の言葉」は中盤以降、こうした自己韜晦を神経症的に繰り返し、夾雑させている。そこにこそ死に向う龍之介の苦悩や逡巡が見え隠れしていると言える。何故か?――龍之介流に言うなら、真の「阿呆」は自殺など決してしないからである。]
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