芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 荻生徂徠
荻生徂徠
荻生徂徠は煎り豆を嚙んで古人を罵るのを快としてゐる。わたしは彼の煎り豆を嚙んだのは儉約の爲と信じてゐたものの、彼の古人を罵つたのは何の爲か一向わからなかつた。しかし今日考へて見れば、それは今人を罵るよりも確かに當り障りのなかつた爲である。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年九月号『文藝春秋』巻頭に、前の「幼兒」(二章)「池大雅」と、後の「若楓」「蟇」「鴉」と合わせて全七章で初出する。元禄・享保期の大儒で赤穂事件の厳罰主張で知られる荻生徂徠(寛文六(一六六六)年~享保一三(一七二八)年)は歴史的仮名遣では「をぎふそらい」と書く。事蹟はウィキの「荻生徂徠」などを参照されたい。
・「荻生徂徠は煎り豆を嚙んで古人を罵るのを快としてゐる」今回、x1wand 氏のブログ「DAS MANIFEST VOM ROMANTIKER」の「炒豆を噛む」(前編)」で、この徂徠の「煎り豆を嚙む」という元は、昌平黌の修史を担当した儒学者原念斎の著になる歴代の儒学者を扱った漢文伝記集「先哲叢談」(文化一三(一八一六)年刊)(原念斎著。但し、後に続編と後編は東条琴台)の「卷六」の徂徠伝の中に以下のように出るものであることが分かった(以下の原文は複数の資料に当たって一番、通りのよい形に私が整序したものである)。
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或(あるひと)、徂徠に問ふて曰く、「先生講學の外、何をか好む。」と。曰く、「他(た)の嗜玩(しぐわん)なし、唯(たさ)炒豆(さとう)を嚙んで宇宙間の人物を詆毀(ていき)するのみ。」と。
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この「詆毀」は謗(そし)ること・貶(けな)すことである。また、引用先の『「炒豆を噛む」(前編)』の冒頭では、「炒豆を囓着(けっちゃく)して、千古万古の英雄児を嘲殺罵殺す、亦た一の愉快なるか」という三宅雪嶺の「我観小景」の一節を引かれ、この『表現の典拠が分からなくてずっと困っていたのだが、思わぬところで似た表現を見つけた』として、奇しくも芥川龍之介の三男也寸志について書かれた「芥川也寸志―その芸術と行動」(一九九〇東京新聞出版局刊)から『伊福部昭が、芥川也寸志が自宅に押しかけてきて』『色々なことを語り合った際のことを「荻生徂徠の『炒豆を噛んで宇宙間の人物を評するのみ』と云った風な四日間であった」』『と回想している』と綴り、以上の「先哲叢談」を挙げられているのが、まことに興味深い。さらに
x1wand 氏は続く『「炒豆を噛む」(後編)』では、『芥川が引用した徂徠のエピソードには誤りがある』として、このアフォリズムを取り上げられ、『前の記事で引用したように、徂徠が罵ったのは「古人」ではなくて「宇宙間の人物」であるから、これは芥川の誤解である※』(後にあるx1wand 氏の注を指す)。『この誤解が何に由来するのか定かではないが、彼がこのように読み込んだ文脈はある程度想像がつく』。(『※後記:しかし、雪嶺も「千古万古の……」と言っているから、「宇宙間の人物」は古人を指す、と解釈されていたのかも知れない。』)。とされ、「侏儒の言葉」連載中、本章掲載の五ヶ月前の大正一四(一九二五)年四月には『治安維持法が公布されており、徐々に息苦しい時代が迫りつつあった。引用した文章の他にも、「暴君を暴君と呼ぶことは危険だったに違いない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷を呼ぶこともやはり甚だ危険である」という文章が見られる』と記されておられる(これは先行する大正一三(一九二四)年六月号掲載の「奴隷」の第二章目であるが、正確には「暴君を暴君と呼ぶことは危險だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危險である。」と「危險だつたのに」が正しい)。以下、x1wand 氏は、『「炒豆を噛む」の由来が分かったのは伊福部が芥川を回想する文章においてであった。伊福部は、『侏儒の言葉』に出典があることまで踏まえてこの故事を引いたのだろうか。博覧強記の伊福部のことであるから、あながち有り得ない話ではない』と述べられている(因みに伊福部昭は特撮フリークの私には神様的存在の作曲家である)。まさにこの
x1wand 氏の評言はこのアフォリズムを解析して美事である。
・「今人」「こんじん」。今の世の人。当代・同時代の人。]
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