鉛筆のマドリガル 立原道造
鉛筆のマドリガル
夕方くらくて町で人かげを見た 僕はまちがへた
長いこと お前がここで待つてゐたと ほんとだらうか。
☆
僕の口ぐせによると
僕はいつでも困つてゐた
そんな筈はないんだが
(からつぽの帽子を机にのせて
僕はしばらくぼんやりしてゐる)
窓はすばらしい天氣だつたが
もし僕がそこへ出て行くなら
あの靑空はきれいすぎるだらう
(出かける仕度をしたつきり
机の上に頰杖をついてゐる)
どうしていつもかうなんだらう
☆
幾日も會はないままに 或る日は思ひ 思はぬままに
僕は裏切つた 僕を お前を それから僕を
どうしたらよいか知らないくせに ぢつとしてゐた
ずるかつた――お前は待つてゐた きつと
☆
昨夜は おそく
歩いて 町を歸つたが
ひとつの窓はとぢられて
誰も顏を出してゐなかつた
僕に歌をうたはせないために
だけれど僕はすこしうたつてみた
それはたいへんまづかつた
僕はあわてて歸つて行つた
昨夜はおそく 歩いたが
あれはたしかにわるかつた
あかりは僕からとほかつた
僕の脊中はくらかつた
☆
ねむがりの僕が或る晩おそく散步に出かけたら
それつきりなのさ 僕は橋の上でぼんやり水を見てゐた
それから水の上に長いかげを搖らしてあかりがゐた――それつきりなのさ
[やぶちゃん注:すでに述べた底本の「エチユード」より。
「マドリガル」(英語:madrigal)イタリアのマドリガーレ(madrigale:古くは、十四世紀のイタリアで栄えた詩形式及びこれに基づく多声楽曲であるが、これは直に廃れ、後にそれらとは全く無関係に同名称で十五世紀から十六世紀にかけてイタリアで発展した、主として無伴奏の重唱による芸術的な多声歌曲をも指すようになった。後者は「ルネサンス・マドリガーレ」とも呼ぶ)、及び、その影響を受けてエリザベス朝(一五五八年~一六〇三年)のイギリスその他の国で成立した歌曲の総称。ここはルネサンス・マドリガーレ及び最後のものを指すと考えてよい。ウィキの「マドリガーレ」によれば、『詩節が無く』、『リフレインも無い自由詩を用い、テキストの抑揚に併せてメロディーが作られた。感情表現を豊かにするためにポリフォニーやモテットの様式、模倣対位法、半音階法、二重合唱法などあらゆる音楽形式が採られ、多くの作曲家が作品を作った』。十七世紀に入ると、『カンタータに取って代わられたが、その後も幾人かの作曲家がこの形式の作品を残している』とし、「イングリッシュ・マドリガル」は『エリザベス朝イングランドの宮廷作曲家達によって、イタリアの形式を真似て作られたが、イタリア』のそれほどには『複雑で無く』、『和声を主体にした曲が多い』とある。]