芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 廣告 追加廣告 再追加廣告
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「侏儒の言葉」十二月號の「佐佐木茂索君の爲に」は佐佐木君を貶したのではありません。佐佐木君を認めない批評家を嘲つたものであります。かう言ふことを廣告するのは「文藝春秋」の讀者の頭腦を輕蔑することになるのかも知れません。しかし實際或批評家は佐佐木君を貶したものと思ひこんでゐたさうであります。且又この批評家の亞流も少くないやうに聞き及びました。その爲に一言廣告します。尤もこれを公にするのはわたくしの發意ではありません。實は先輩里見弴君の煽動によつた結果であります。どうかこの廣告に憤る讀者は里見君に非難を加へて下さい。「侏儒の言葉」の作者。
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前掲の廣告中、「里見君に非難を加へて下さい」と言つたのは勿論わたしの常談であります。實際は非難を加へずともよろしい。わたしは或批評家の代表する一團の天才に敬服した餘り、どうも多少ふだんよりも神經質になつたやうであります。同上
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前掲の追加廣告中、「或批評家の代表する一團の天才に敬服した」と言ふのは勿論反語と言ふものであります。同上
[やぶちゃん注:以上の三章は先の大正一三(一九二四)年十二月号『文藝春秋』巻頭に載った「批評學――佐佐木茂索君に――」についての「侏儒の言葉」内の入れ子にしたメタ・パロディ・アフォリズム三章(芥川龍之介らしい趣向によって、アイロニーが章ごとに多重化していくのが面白い)であるが、不思議なことに、この初出が――分からない。単行本「侏儒の言葉」(私は所持していないので国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認)の後記も見たが、本三章に言及していない。岩波旧全集の後記に載る『文藝春秋』掲載内訳一覧にはこの三つは載らず、それについての注記もないのである。諸注もそれについて触れていない。私の所持する芥川龍之介の諸評論も管見した限りでは、これについて触れたものはない(但し、管見であって、所持する総ての芥川龍之介論を確認したわけではない)。或いは新全集の後記はそのことに触れているのかも知れぬが、私は不幸にして新全集の「侏儒の言葉」を所収する巻を所持していない(なお、私が引用している山田俊治氏の注はそこだけをコピーして所持しているものを用いている)。不審極まりなく、気持ちが悪い。何方か、これに答えられる方からの御教授を切にお願い申し上げるものである。
・「貶した」「けなした」。
・「嘲つた」「あざけつた(ざけった)」。
・「一言」筑摩全集類聚版は『いちごん』とルビする。それでよいと私も思う。
・「公」筑摩全集類聚版は『おほやけ』(おおやけ)とルビする。同前。
・「或批評家」岩波新全集の山田俊治氏注では『不詳』とする。
・「里見弴」名前と事蹟は知っているが、二、三作に眼を通しただけで、全く興味がない作家なので、平凡社「世界大百科事典」の西垣勤氏の解説を主参考にして記載する。里見弴(とん 明治二一(一八八八)年~昭和五八(一九八三)年)は横浜生れの作家(芥川龍之介より四歳年上)。本名山内英夫。小説家有島武郎、画家有島生馬は実兄。東京帝国大学英文科中退。明治四三(一九一〇)年に武者小路実篤・志賀直哉らと『白樺』を創刊、大正二(一九一三)年の「君と私と」等を発表。大阪での芸者との恋愛、結婚を清新に描いた「晩い初恋」(大正四(一九一五)年や「妻を買ふ経験」(大正六(一九一七)年)、及び、志賀らとの青春の彷徨を描いた「善心悪心」(大正五(一九一六)年)によって文壇にデビューした。大正八(一九一九)年には吉井勇・久米正雄らと『人間』を創刊。長編小説にも手を染め、「今年竹」(大正八(一九一九)年~大正一五(一九二六)年)・「多情仏心」(大正一一(一九二二)年から翌年)などを書いた。後者は彼の〈まごころ哲学〉の体現として彼の代表作とされる。「安城家の兄弟」(昭和二(一九二七)年~昭和一六(一九三一)年)も自伝的小説として成功作であった。戦後は「見事な醜聞」(昭和二二(一九四七)年・「五代の民」昭和四五(一九七〇)年)など、流暢な文体によって多様な人間模様を描出している。昭和三六(一九六一)年に書かれた「極楽とんぼ」は、自己に似た人物の〈極楽とんぼ〉振りを軽妙に楽しげに描き切った最後の秀作である。若き日に泉鏡花を偏愛したことや、彼と親しい作家連で芥川龍之介とクロスする人物も多いこと、ここでフル・ネームの「君」づけ記していること、龍之介最晩年の改造社円本全集(「現代日本文学全集」)の宣伝のための東北・北海道の講演旅行では同伴したことなどから、接点は多かったとは思われるものの、龍之介の里見宛書簡は最晩年の三通しか現存せず、その内容を見ても(二通は里見からの献本への礼で最後のものは、改造社宣伝班との講演旅行を終えて里美と別れた後、個人の講演に行った先である新潟からの戯文調の短文に句を添えた絵葉書である)、これ、必ずしも親しかったわけではないようで、少なくとも龍之介の方は親しみを感じていたとは私には思われない。
・「常談」冗談に同じい。]
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