さふらん (全) 立原道造
[やぶちゃん注:一九八八年岩波文庫刊「立原道造詩集」(杉浦明平編)の「未刊詩集」の「さふらん」に拠り、恣意的に正字化した。底本の杉浦氏の解説によれば、原本は手書きで昭和七(一九三二)年から翌年の、第一高等学校時代(満十七から十九歳)にかけて詠まれた詩篇で、『発行所人魚書房と記して、友人に贈ったもの』とある。]
さふらん
ガラス窓の向うで
ガラス窓の向うで
朝が
小鳥とダンスしてます
お天氣のよい靑い空
腦髓のモーターのなかに
腦髓のモーターのなかに
鳴きしきる小鳥たちよ
君らの羽音はしづかに
今朝僕はひとりで齒を磨く
コツプに一ぱいの海がある
コツプに一ぱいの海がある
娘さんたちが 泳いでゐる
潮風だの 雲だの 扇子
驚くことは止ることである
忘れてゐた
忘れてゐた
いろいろな單語
ホウレン草だのポンポンだの
思ひ出すと樂しくなる
[やぶちゃん注:「ポンポン」キク目キク科キク亜科ハルシャギク連ダリア属 Dahlia
の品種の一つで、管状の花弁が球状に万重咲(まんじゅさ)き(チアー・ガールの持つポンポン状)になったもので、大きさ五センチメートルほどの、筒状に内側に巻いた小さな花弁が重なりあった球状の花が沢山咲く、ポンポン・ダリアのことであろう。色は各種ある。]
庭に干瓢(かんぺう)が乾してある
庭に干瓢が乾してある
白い蝶が越えて來る
そのかげたちが土にもつれる
うつとりと明るい陽ざしに
高い籬(まがき)に沿つて
高い籬に沿つて
夢を運んで行く
白い蝶よ
少女のやうに
胸にゐる
胸にゐる
擽(くすぐ)つたい僕のこほろぎよ
冬が來たのに まだ
おまへは翅を震はす
長いまつげのかげ
長いまつげのかげ
をんなは泣いてゐた
影法師のやうな
汽笛は とほく
昔の夢と思ひ出を
昔の夢と思ひ出を
頭のなかの
靑いランプが照してゐる
ひとりぼつちの夜更け
ゆくての道
ゆくての道
ばらばらとなり
月 しののめに
靑いばかり
月夜のかげは大きい
月夜のかげは大きい
僕の尖つた肩の邊に
まつばぼたんが
くらく咲いてゐる
小さな穴のめぐりを
小さな穴のめぐりを
蟻は 今日の營み
籬(まがき)を越えて 雀が
揚羽蝶がやつて來る