芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし
わたし
わたしはどんなに愛してゐた女とでも一時間以上話してゐるのは退窟だつた。
[やぶちゃん注:このアフォリズムに対し、相手の女にしてみてもそうであったのに違いない、鏡返しだ、などと注釈する似非フェミニストにだけは私はなるつもりは、ない(高校教師時代、このアフォリズムを仕込んで、「侏儒の言葉」(抄)を読ませ、各人にアフォリズムを書かせると、必ず、女生徒の何人かはこれを逆手に執ったものを書いてきた。そういう女生徒の他のアフォリズムは決まって憎悪に満ちた捩じれたものであることが多かったのもまた事実である)。私は寧ろ、これは芥川龍之介が愛した多くの女たち(事実、多い)に、自死に際し、均等に決別するするための、優しき(或いは淋しい)辞であると解釈する方が、遙かに真に芥川世界の体系であると考える部類の人間である。]
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