芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし
わたし
わたしは第三者を愛する爲に夫の目を偸んでゐる女にはやはり戀愛を感じないことはない。しかし第三者を愛する爲に子供を顧みない女には滿身の憎惡を感じてゐる。
[やぶちゃん注:芥川龍之介の大正八(一九一九)年当時に不倫相手であった秀しげ子にはその時既に夫文逸との間に五歳になる長男がいた(因みに、龍之介の長男比呂志は翌大正九年生まれである)。
しかし私は、このアフォリズムを字面通りには読まない。
以前に述べた通り、芥川龍之介の遺書の「わが子等に」の遺書の記載から、私は龍之介は、比呂志・多加志・也寸志の三人の子息の〈良き父〉としてあり続けるために死を選んだと真面目に考えている。
さすれば、一行目は不倫アフォリズムの中に埋もれさせるための隠れ蓑でしかなく、肝心なのは第二文で、しかもそれは、
……しかし第三者を愛する爲に子供を顧みない男には滿身の憎惡を感じてゐる。
或いは
……しかし第三者を愛する爲に子供を顧みない父には滿身の憎惡を感じてゐる。
が正しい構文であると信じて疑わないのである。]
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