芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし
わたし
わたしを感傷的にするものは唯無邪氣な子供だけである。
[やぶちゃん注:既に「幼兒」で「我我は一體何の爲に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない爲である。」と述べ、その二章目でも、「我我の恬然と我我の愚を公にすることを恥ぢないのは幼い子供に對する時か、――或は、犬猫に對する時だけである。」と言っていた。無論、これは理智派などと呼ばれることになる芥川龍之介が、真にセンチメンタルなることがあるとすれば(感性的に有意に動かされることあるとすれば)、それはただ「無邪氣な子供」たちに対した時だけだ、と語るのは、ダンディであるよりも先に、如何にも人間的、人の子、人の父の感懐ではないか! だからさっきから私は言っているのである! 龍之介は比呂志・多加志・也寸志の三人の子息の〈良き父〉としてあり続けるために死を選んだのだと!]
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