芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし
わたし
わたしは三十にならぬ前に或女を愛してゐた。その女は或時わたしに言つた。――「あなたの奧さんにすまない。」わたしは格別わたしの妻に濟まないと思つてゐた訣ではなかつた。が、妙にこの言葉はわたしの心に滲み渡つた。わたしは正直にかう思つた。――「或はこの女にもすまないのかも知れない。」わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じてゐる。
[やぶちゃん注:「わたしは三十にならぬ前に」「愛してゐた」「或」る「女」で、「あなたの奧さんにすまない」と殊勝なことを素直に厭味なくつい呟いてしまうような女、しかも自死を前にした芥川龍之介が「わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じてゐる」と告解する女。……文との結婚後(芥川龍之介が塚本文と結婚したのは大正七(一九一八)年二月二日で龍之介は満二十五歳)で、数えで三十なら、そこから満二十九歳になる前となると、
大正七年から大正十年の間
ということになる。その時期にかくまで龍之介が深入りした女性となると、まずは先(せん)から述べてきた秀しげ子が最も知られる、というか、一般的には彼女ぐらいしか知られていない。
ところが既に見てきたように、これらと同時期に書かれた遺稿「或阿呆の一生」では秀しげ子はテツテ的にそれと判るように書かれ、しかもおぞましい嫌悪忌避の対象としてしか描かれていないから(他にも「齒車」の「三 夜」に、「僕」が見る奇怪な夢に、『或寢臺の上にミイラに近い裸體(らたい)の女が一人(ひとり)こちらを向いて橫になつてゐた。それは又僕の復讐の神、――或狂人の娘に違ひなかつた』等と出たりするのである)、この「わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じてゐる」という謂いは絶対に秀しげ子ではないと断言出来る。
ところが実は、この条件に適合する女性が一人だけ、いるのである。
それは、「或阿呆の一生」の中で四度ほど登場する、謎の
〈月光の女〉
である。特に「二十三 彼女」の章に描出される女性は、このアフォリズムの女性との親和性を強く感じさせるものである。
*
二十三 彼女
或廣場の前は暮れかかつてゐた。彼はやや熱のある體(からだ)にこの廣場を歩いて行つた。大きいビルデイングは幾棟もかすかに銀色に澄んだ空に窓々の電燈をきらめかせてゐた。
彼は道ばたに足を止め、彼女の來るのを待つことにした。五分ばかりたつた後(のち)、彼女は何かやつれたやうに彼の方へ歩み寄つた。が、彼の顏を見ると、「疲れたわ」と言つて頰笑んだりした。彼等は肩を並べながら、薄明い廣場を歩いて行つた。それは彼等には始めてだつた。彼は彼女と一しよにゐる爲には何を捨てても善(よ)い氣もちだつた。
彼等の自動車に乘つた後、彼女はぢつと彼の顏を見つめ、「あなたは後悔なさらない?」と言つた。彼はきつぱり「後悔しない」と答へた。彼女は彼の手を抑へ、「あたしは後悔しないけれども」と言つた。彼女の顏はかう云ふ時にも月の光の中にゐるやうだつた。
*
而して、この龍之介の愛人の有力な候補者は誰かと言えば、鎌倉の料亭鎌倉小町園(東京小町園支店)の女将野々口豊(ののぐちとよ 明治二四(一八九一)年~昭和五一(一九七五)年:龍之介より一歳年上)である。
彼女は鎌倉小町園を営む野々口光之助と大正七(一九一八)年九月に結婚している。この鎌倉小町園は現在の横須賀線下りが鎌倉を出てすぐの若宮大路を跨ぐガードの進行方向左手にかつて存在し、龍之介が文との新婚生活をした借家ともごく近い(因みに、この小町園と龍之介の新婚時代の住居との間に私藪野家の実家がある)のであるが、そこから簡単に邪推出来るほどには話は単純ではない。この龍之介と豊のめぐり逢いの経緯については、松本清張張りの手法で、先に挙げた秀しげ子及び豊との龍之介のランデ・ブヴを鮮やかに論理的に解明した、二〇〇六年彩流社刊高宮檀『芥川龍之介を愛した女性――「藪の中」と「或阿呆の一生」に見る』をお読みになられんことを強くお薦めするが、ともかくも高宮氏は、何と、龍之介とこの野々口豊がわりない仲になったのを、
大正八(一九一九)年十二月二十五日
と日にちまで比定されておられるのである。
この日付なら条件に適合する。野々口豊は現在の芥川龍之介研究者の間でも必ずしもよく知られているとは言えない女性であるが、龍之介と非常に深い関係にあったことは間違いなく、自死の前年末(昭和元年十二月三十一日)にも鎌倉小町園の彼女のもとへと一種の〈小さな家出〉をし、彼女を訪れている(滞在していることが知られ、田端から電話で帰宅を促されるも、翌年正月二日の夜にやっと田端へ戻っている)。
高宮氏は〈月光の女〉を野々口豊であると断定され、その考証は論理的にもすこぶる首肯出来るものであはる。しかしそれでも私は、「或阿呆の一生」に登場する女性たちは、同一人物のように見えてもそうではなく、違った複数の女性を、時系列さえも無視して組み換え操作して書いている(私は勝手に芥川龍之介の〈愛人の遺伝子操作〉と呼んでいる)と踏んでいる。特に彼がそこで一貫して〈月光の女〉と呼んでいる女性の濫觴は、龍之介が結婚する直前に知り合っていた海軍機関学校の同僚(物理学教授)で親しくしていた佐野慶造の妻佐野花子(彼女についても私は複数の考証をして来た。特に芥川龍之介幻の小説「佐野さん」についての『芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察』は未読の方には是非読んで戴きたい)にまで遡ることが出来、しかも、その後に遍歴した女性たちの美しい一場面の切片をそれぞれ切り取ってきてはパッチ・ワークにした実在しない理想的女性像としての〈月光の女〉であろうと私は思っている(例えば、それに関わる最近の私の考察の一つには、『芥川龍之介「或阿呆の一生」の「四十七 火あそび」の相手は平松麻素子ではなく片山廣子である』などがある)。最晩年(当然、「わたしは三十にならぬ前に」の条件が満たされない)の龍之介は片山廣子と深い関係に陥る前に彼の方から引いた(既に自死を決してしていた)のであるが、しかし、この最後の「わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じてゐる」という言葉は、私は感覚的には、芥川龍之介が最後に愛した片山廣子にこそ相応しい台詞である、とは強く感じていると附言しておきたい。
私はこのアフォリズムも「或阿呆の一生」と同じく、登場人物に『インデキスをつけ』(「或阿呆の一生」の冒頭の久米正雄宛の芥川龍之介の前置きを参照のこと)られないようにするために事実と異なる操作がなされていると断ずる。きっと、「あなたの奧さんにすまない。」と言う言葉を呟いた〈彼女〉だけにそれが分かるように仕掛けて。……]
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