芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし
わたし
わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。
[やぶちゃん注:以下、「又」で繰り返され、全十四章を並べるが、ここでは原則(一部を除く)、特異的に、今までのようにそれらを一括させずに単独で注し、表題も「わたし」と正規に立てることとする。何故か?――それは「わたし」の秘そやかな趣味だから――である。
私が「侏儒の言葉」のアフォリズムを一篇だけを挙げよと言われれば、迷うことなく、これを挙げる。何故なら、これが「侏儒の言葉」を貫く仙骨、いやさ、脳脊髄神経そのものだからである。
さてもここまでやって来ても、私は「或物質主義者の信條」(「わたしは神を信じてゐない。しかし神經を信じてゐる。」)の注で提出した疑義が払拭出来ずにいる。
何故か?
だって、私藪野直史も芥川龍之介と同様に、「わたしは良心を持つていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。」と鮮やかに宣明して恥じないけれども、しかし、どんな限定的特異的意味解釈を施したとしても、私藪野直史は自らを「或」る種の「物質主義者」であるとは、絶対に自己規定しないからである。私は如何なる意味に於いても「物質主義者」ではない。私は、あの注で述べた、「齒車」の「僕の物質主義」なる表現に出た、芥川龍之介にのみ理解される孤独で特異な「物質主義」なるものの正体を未だ見極められずにいる。]
« 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 罪 | トップページ | 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) わたし »