芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 戀愛と死と
戀愛と死と
戀愛の死を想はせるのは進化論的根據を持つてゐるのかも知れない。蜘蛛や蜂は交尾を終ると、忽ち雄は雌の爲に刺し殺されてしまふのである。わたしは伊太利の旅役者の歌劇「カルメン」を演ずるのを見た時、どうもカルメンの一擧一動に蜂を感じてならなかつた。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年六月号『文藝春秋』巻頭に、前の「徴候」(二章)と、後の「身代り」「結婚」(二章)「多忙」「男子」「行儀」と合わせて全九章で初出する。
・「戀愛の死を想はせるのは進化論的根據を持つてゐるのかも知れない」生物は自己の種を存続・保存(結果として「繁栄」)させるために、生殖を目的として生まれてくる。されば、その目的が達せられれば――用なし――となるので、速やかに死んで、新たな若い個体らのために、生存の場所を空けてやることが自然である。こうした進化論上のセオリーから考えれば――「戀愛」は即、生殖であり、基本的には性行為によって精子が卵子に到達して受精に成功したならば、♂はその瞬間に――用なし――となって「死」ぬのが自然なのである。この龍之介の謂いは「知れない」ではなく、まさに理屈じゃあない、厳然たる事実なのである。
・「蜘蛛や蜂は交尾を終ると、忽ち雄は雌の爲に刺し殺されてしまふ」この謂いは、精密巧緻な彼にしては珍しく、何重にも致命的な誤りを犯している。芥川龍之介は実は私同様、実は昆虫はあまり好きでなかったのではなかろうか? 考えてみると、かれの著作で生物を美事に活写したものを挙げよと言われると、はたと困る。実は彼は進化学には惹かれても、個々の生物種の生態学的知見などには実はあまり関心がなかったのではあるまいか(そこは私と極端に異なる)?
順に、分かり易い箇所から示そう。まず判り切ったことであるのだが、表現が荒っぽく、係り受けが決定的におかしい。
――「蜘蛛」の「雄は雌の爲に刺し殺され」たりはしない。交尾後に♂が死んで♀に食われたり、食い殺されることはままある。
であり、また、
――「蜂」の方も、「交尾を終ると、忽ち雄は雌の爲に刺し殺され」たりはしない。♂の生殖器を含む体の下部が千切れてしまって結果、♂は死に至る(ある種では必ず死ぬ)のであって、♀に刺し殺されるのではない。
以下、具体に説明する。
まずクモであるが、石川誠男氏の随筆集「生き物の謎と神秘」の「哀れで健気な雄たち」の中の「ナガマルコガネグモの場合」に以下のようにある(アラビア数字を漢数字に代え、一部表記を変更させて頂いた。なお、ナガマルコガネグモは鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ目クモ亜目クモ下目コガネグモ上科コガネグモ科 Argiopinae 亜科コガネグモ属ナガコガネグモ Argiope bruennichi である。下線は私が引かっせて貰った)。
《引用開始》
ナガマルコガネグモは奄美半島以南に分布するクモで、雄の体が雌(体長二センチ)に比べ約五分の一と小さく、 雄は網を張らず、雌の網の上で居候生活を送りながら交尾の機会を待つ。クモの頭部にある触肢は歩脚状で、歩脚が全部で十本あるように見えるが、歩脚よりも短く細い。これは機能的には生殖の際の補助器官として重要な役割を演じている。雌が求愛に応じると、雄は二本ある触肢のうち一本を使い、一回目の交尾を行う。
少し脇道にそれるが、この触肢のおもしろい働きについて紹介しよう。ある雄のクモが雌と交尾すると、他の雄と交尾するのを防ぐため、触肢の先端にある付属物が触肢から外れて雌の生殖孔を物理的にふさいでしまう場合がある。これは「交尾栓」と呼ばれており、いわゆる貞操帯となるという。
さて、ナガマルコガネグモの場合は交尾による触肢の破損は見られず、交尾栓もされないが、なぜか雄はそれぞれの触肢を一度しか使わない。
交尾を終えた雄は素早く雌から飛び離れようとするが、それに失敗すると雌にそのまま捕まり食われる羽目となる。無事に雌から逃れた雄は、再び同じ雌に求愛し、もう一本の触肢を使って二回目の交尾を行う。ところが、ほとんどの雄はこの二回目の交尾中に雌に食われてしまい、三回以上交尾した雄は観察されていないという。
不思議なことに、一回目に食われた雄は雌に捕まると激しく脚を動かして逃げようとするが、二回目の交尾中に食われた雄は、まるで死んでいるかのように無抵抗であった。
雄の二回目の交尾を様々な時間で中断し、雄の状態を調べると、交尾時間が約六〇秒に達すると雄は交尾したまま死ぬことが明らかになった。また、この交尾中の雄の死は、雌の交尾回数とは関係なく、雄の二回目の交尾でのみ生ずることから、雄は雌に殺されるのではなく、雄自身の原因で死ぬものと考えられている。しかし、この雄の死の生理的要因はまだ明らかにされていない。
本来、雄は一匹でも多くの雌と交尾した方がより多くの子孫を残すことができる。しかし、体の小さいナガマルコガネグモの雄にとって、他の網に移動するのにはリスクを伴い、再交尾の可能性はかなり低い。そこで、雄にとっては最初に交尾した雌にすべてを投資し、自分の子を産ませることが最善の戦略である。そして、交尾中に死ぬことで雌の摂食を保証していると考えられている。いずれにしても、この場合、雄は自らを結婚のプレゼントとして投げ出すのである。
《引用開始》
このケースでは食われて死ぬのではなく、理由は不明ながら、交尾後に♂は自動的に死に至り、結果的に受精した♀の栄養源として食われるということになる(これはこれで実に不思議に面白い)。
次にハチのケースであるが、膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属 Apisのミツバチ類の場合は、♂は女王蜂と交尾するためだけに生まれて来て、空中での交尾直後に生殖器が女王蜂の体内に残って引き抜かれてしまい、必ず死んでしまうのである。くどいが、♀に刺されて死ぬのではないのである。
なお、私が殊更に取り上げた――交尾後に♀に♂が食われる――という話は、多くの諸君は昆虫綱カマキリ目 Mantodea のカマキリ類の「残酷な習性」として記憶しておられることと思うが、これも実は、食われる頻度はそれほど高くないのが実は事実なのである。これについては龍之介はここで蟷螂(かまきり)を挙げておらず(当時の一般的理解からは挙げておけばよかったのにとは思うのだが、そうすると刺されて死ぬわけではないので、アフォリズムが長くなると警戒したものか。しかしだったら「蜘蛛」も変ですぜ、芥川センセ!)脱線的(私は脱線では全くないと思うのだが)になるので語らぬが、私の「生物學講話 丘淺次郎 第十七章 親子(7) 四 命を捨てる親」の私の注を是非、参照されたい。そこではミツバチのケースも詳述してある。
・「伊太利の旅役者」「伊太利」には筑摩全集類聚版では『イタリイ』とルビする。私は個人的趣味からそれを採る。水谷彰良氏の論文「日本におけるロッシーニ受容の歴史 明治元年から昭和43年まで(1868~1968年)」(PDF)によると、イタリア人 A.Carpi(同論文では『フルネームと生没年未詳』とあり、音写も『カルピ』と『カーピ』の二様で出るが、ここでは「カーピ」で統一する(同論文に画像で載る大正一五(一九一六)年の公演パンフレット(「筋書」とある)と思しいものの表記が『カーピ』となっているのに基づく)率いる「カーピ伊太利大歌劇団」は日本に四回来日している。但し、第四回目は昭和二年で、第三回目は本章公開の翌大正十五年であるから除外される。第一回は大正一二(一九二三)年で演目にビゼーの「カルメン」があり、公演は一月二十六日から二月二十四日までで、十四演目を東京の帝国劇場をはじめとする六都市で計三十回行っている。一方、二回目の来日は本章発表の直前に当たる、大正十四年三月一日から四月九日までで、やはり「カルメン」が演目にあり、東京・大阪・京都・神戸で計三十八回公演を行っている。芥川龍之介の年譜(新全集宮坂覺年譜に拠る)には、孰れにもオペラ鑑賞の記載はないが、大正十二年の一回目の時期は、盟友小穴隆一の脱疽による右足首切断手術(龍之介が立ち会っている)の直後で龍之介自身も著しく体調を崩しており(一月五日以降、神経や筋肉の興奮を抑えるための塩化カリウム注射をほぼ毎日、主治医の下島勲に打って貰っている)、しかも義兄の弁護士西川豊(姉ヒサの再婚相手)が偽証教唆で市ケ谷刑務所に収監されていたため、その面会など(その様子は小説「冬と手紙と」(昭和二(一九二七)年)の「一 冬」に描かれている。リンク先は私の電子テクスト)、『この春は病院と警視庁と監獄との間を往來して暮した娑婆界にあり經るのは樂ぢやない』と書いている(大正十二年一月二十二日附松岡譲宛書簡・岩波旧全集書簡番号一一〇〇)ほどであるから、とてものんびり歌劇鑑賞という雰囲気ではないようには感じられる。二回目なら記憶が直近で、如何にも本アフォリズムの鮮明な印象映像と合うようには思われるものの、この時期も三月上旬は病気がちで、一高以来の友人で劇作家岡榮一郎の離婚騒動(芥川龍之介夫妻が初めて仲人をした)、義弟(妻文の弟)塚本八洲の喀血などで仕事が滞り、外来者との面会日を中止して原稿執筆に追われてはいる。どちらとも確定はし兼ねるが、強いて言えば、やはり二回目か。
・『歌劇「カルメン」』「Carmen」はフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet 一八三八年~一八七五年)が、フランスの作家プロスペル・メリメ(Prosper Mérimée 一八〇三年~一八七〇年)の小説「カルメン」を基にした歌劇で全四幕。音楽(歌)の間を台詞で繫いでいく「オペラ・コミック」(フランス語:Opéra comique)と呼ばれる様式で書かれた悲劇。一八七五年パリの「オペラ=コミック座」で初演されたが不評で、その直後にビゼーは死去した。ところが、その後、改作がなされて上演されると、俄然、人気を博すようになり、今や、フランス歌劇の代表作として世界的人気を持つ。私は原作のメリメのそれが大好きだが、オペラは正式な西洋のオペラ自体を一度として見たことがない(舞踏劇化したアントニオ・ガデス舞踊団の「カルメン」の舞台は実に素晴らしかったが、何度か見た日本人による日本語のマガイ物歌劇は反吐が出るほどキビ悪かった。私はストレス言語でない日本語はオペラと最も相性の悪い言葉であると堅く信じて疑わない)ので、梗概その他は参照したウィキの「カルメン(オペラ)」を御覧になられたい。]
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