芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 嘲けるもの
嘲けるもの
他を嘲るものは同時に又他に嘲られることを恐れるものである。
[やぶちゃん注:「他を嘲るものは」、実は、その「嘲る」対象そのものに自分自身の全き賤しき写像を見るからこそ「嘲る」ことが出来る。だからこそ「同時に又」、自分の賤しきそれを「他に嘲られることを」極度に「恐れるもの」な「のである」と言える。だからこそ我々は誰しも、「尊大な羞恥心」(中島敦「山月記」)を持つのである。羞恥心が人一倍強いために、羞恥心を抱く機会を持つまいと、わざと偉そうな態度をとって、殊更に他人を避けようとするのである。如何にも偉そうにして人をテッテ的に嘲っていれば、人は普通、嫌がって寄って来なくなる。だから恥をかくことも当然の如くなくなる。地球上に君一人しかいなければ、嘲られることもなく、素っ裸でいたって恥ずかしくないではないか!(以上の後半部は私の『中島敦「山月記」授業ノート』をもとに記した)]
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