芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 二つの悲劇
二つの悲劇
ストリントベリイの生涯の悲劇は「觀覽隨意」だつた悲劇である。が、トルストイの生涯の悲劇は不幸にも「觀覽隨意」ではなかつた。從つて後者は前者よりも一層悲劇的に終つたのである。
[やぶちゃん注:龍之介よ、君の生涯の悲劇は「觀覽隨意」と看板で謳いながら、その実、誰にも真相は分からぬという、まさに「藪の中」「だつた悲劇であ」った点に於いて「ストリントベリイ」や「トルストイの生涯の悲劇」よりも遙かに「一層悲劇的に終つた」と言えるのではないか? それこそが君が仕掛けた「三つ」め「の悲劇」だったというわけか……
・「ストリントベリイ」スウェーデンの作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(Johan August Strindberg 一八四九年~一九一二年)。ウィキ「ストリンドベリ」より引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した)。『ストックホルムに生まれる。ウプサラ大学に入り自然科学を修めたが、中途で退学し』、『一八七四年に王立図書館助手となり、その間』、『一八七〇年に王立劇場へ』「ローマにて」(I Rom)という『一幕物を提出して採用され上演。一八七二年に史劇』「メステル・ウーロフ師」(Mäster Olof)を『発表したが』、『それは認められず、憤懣のはけ口として一八七九年に諷刺小説』「赤い部屋」(Röda rummet)を『発表して名声を得た。一八七七年に男爵夫人であったシリ・フォン・エッセン(Siri von Essen)と結婚する。史劇、童話劇、ロマン的史劇等を発表』、後の『一八八三年にフランスに行き、一八八五年に社会主義的傾向の短篇集』「スイス小説集」(Utopier i verkligheten)及び「結婚」(Giftas 一八八四年~一八八五年)を『書き、後者は一八八四年に宗教を冒涜するものとして告訴され、フランスから国外退去を命ぜられた』。『自伝的小説』「女中の子」(Tjänstekvinnans son 一八八六年)、「ある魂の成長」(En själs utvecklingshistoria 一八八六年)、「痴人の告白」(Die Beichte eines Thoren 一八九三年)を発表、『この最後のものはフランス語で書かれ、ドイツ語ではじめて発表された。のちゲーオア・ブランデスとニーチェの影響のもとに精神的貴族主義に転じ、小説』「チャンダラ」(Tschandala 一八八九年)、「大海のほとり」(I hafsbandet 一八九〇年)を書いた。『一八九一年に離婚し、一八九三年』、『オーストリアの女流作家フリーダ・ウール(Frida Uhl)と結婚したが』、『二年後に不幸な結果に終った。一八九四年』、『パリに移り、自然科学、特に錬金術に没頭する。またスヴェーデンボリ』(Emanuel Swedenborg エマヌエル・スヴェーデンボリ 一六八八年~一七七二年:先行する「神祕主義」の私の注を参照されたい)『の影響をうけて神秘主義に接近し、不幸な結婚生活を回顧して自伝的小説』「地獄」(Inferno 一八九七年)、「伝説」(Legender 一八九八年)を書き、また、戯曲「ダマスクスヘ」(Till Damaskus 一八九八年~一九〇四年)によって『自然主義から離れた』。『一八九九年からストックホルムに定住』「グスタフ・ヴァーサ」(Gustaf Vasa 一八九九年)をはじめとした『多くのスウェーデン史劇、ルターを主人公とした』「ヴィッテンベルクの夜鶯」(Näktergalen i Wittenberg 一九〇三年)を『書いた。一九〇一年に女優ボッセ(Harriet Bosse)と結婚したが』、一九〇四年に離婚、長篇小説「ゴシックの部屋」(Götiska rummen 一九〇四年)、「黒い旗」(Svarta fanor 一九〇七年)は、この頃の『混乱した精神から生れた。一九〇七年に〈親和劇場〉を設立』、その劇場のために「室内劇」(Kammarspel)を書いたが、経営困難のため、三年後に閉鎖、晩年の随筆集「青書」(En blå bok 一九〇七年~一九一二年)には、『ふたたび社会主義的な関心が示されている』。彼は『オカルト研究でも知られ』、『金の製造の研究をしていた。若い頃から科学ファンであったし』、「アンチバルバルス」(Antibarbarus 一八九四年)を『書いた時は大科学者としての名声を期待したが』、結局、「詐欺師」「馬鹿」呼ばわりされた、とある。ここで芥川龍之介が、彼『の生涯の悲劇は「觀覽隨意」だつた悲劇』とは(「觀覽隨意」は「くわんらんずいい(かんらんずいい)」でご覧はお好み次第、何でもかんでもお客さまの見放題、赤裸々に晒しましょうぞ! の意)、彼の作品群が常に狂気と紙一重(彼は病跡学的に統合失調症の罹患がほぼ確定的である)で、強烈な女性嫌悪の表明や、あらゆる対象への反逆と呪詛に満ちている点で、ストリンドベリ自身の人生をかなり明確に作品がトレースし、美事に体現していることから、まさに彼の作品を読むことがイコール、ストリンドベリ自身の悲劇的人生を自由に観賞することに他ならないことを述べていると考えてよいであろう。次の「ストリントベリイ」二章もそれに基づくと読める。なお、以前に述べたが、私もストリンドベリがすこぶる好きである。少なくとも、彼の戯曲は一般の方々よりは狂的に偏愛している。
・『トルストイの生涯の悲劇は不幸にも「觀覽隨意」ではなかつた』前の「トルストイ」の私の不全注を参照されたい。]
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