芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 行儀
行儀
昔わたしの家に出入りした男まさりの女髮結は娘を一人持つてゐた。わたしは未だに蒼白い顏をした十二三の娘を覺えてゐる。女髮結はこの娘に行儀を教へるのにやかましかつた。殊に枕をはづすことにはその都度折檻を加へてゐたらしい。が、近頃ふと聞いた話によれば、娘はもう震災前に藝者になつたとか言ふことである。わたしはこの話を聞いた時、ちよつともの哀れに感じたものの、微笑しない訣には行かなかつた。彼女は定めし藝者になつても、嚴格な母親の躾け通り、枕だけははづすまいと思つてゐるであらう。……
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年六月号『文藝春秋』巻頭に、前の「徴候」(二章)「戀愛と死と」「身代り」「結婚」(二章)「多忙」「男子」と合わせて全九章で初出する。
・「十二三の娘」満では十から十二歳の間。まんず、昨今の人々には数えの感覚はますます失われているわけだから(私自身がそうである)、今後は戦前の作品には総てこうした注が不可欠となるのではなかろうか? 少なくとも、教科書に出るものは皆、これを頭で換算させることは必須である。私は実に大真面目に注意喚起しているのである。二十代後半から壮年期、またはそれ以上、棺桶に片足突っ込んだような登場人物の輩などは全く以って問題外である。しかし、二十代前半より前となると、実体認識の一、二歳の違いというのは、こえr、相当にイメージが異なり、極めて重大である。
・「躾け」「しつけ」。「躾」と書けないどころか、「躾」も読めないような現代の日本人に、「躾」を語っても芥川先生、無駄でござんすよ。]
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