芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 若楓/蟇/鴉
若楓
若楓は幹に手をやつただけでも、もう梢に簇つた芽を神經のやうに震はせてゐる。植物と言ふものゝ氣味の惡さ!
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年九月号『文藝春秋』巻頭に、前の「幼兒」(二章)「池大雅」「荻生徂徠」と、後の「蟇」「鴉」と合わせて全七章で初出するが、単行本「侏儒の言葉」からは後の二章「蟇」「鴉」とともに削られている。三章ともに既に述べた通り、ルナールの「博物誌」調(リンク先は私の岸田国士訳(ボナール挿絵附+附原文+やぶちゃん補注版)「博物誌」である)であるが、孰れもやや病的な観察に基づくブラッキーにして陰鬱なもので、その点では実はルナールのそれとは似ても似つかぬものである。しかも、これまでの概ね斜に構えた「侏儒の言葉」の毒や孤高な宣明があるわけでもなく、それこそ遺稿の「侏儒の言葉」で述べるように、神経だけで生きている彼の病的な部分がそのままに剔抉されてしまって丸出しにされている。冷徹に自己分析することと、丸裸に晒すことは、違う。後者は、芥川龍之介にとって最後の最後までなるべく避けたいものであった。少なくともこの頃まで(『文藝春秋』の、この「侏儒の言葉」の切り抜きまでして、単行本刊行を企図していた頃まで)は彼のダンディズムがこれらを削除させたのだろうと私は推測する。「若楓」は「わかかへで(わかかえで)」と読む。ムクロジ目ムクロジ科カエデ属 Acer の類の若木。カエデ類は現生種で約百二十八種も存在する(多くはアジアに自生)。
・「簇つた」「むらがつた(むらがった)」。]
蟇
最も美しい石竹色は確かに蟇(ひきがへる)の舌の色である。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年九月号『文藝春秋』巻頭に、前の「幼兒」(二章)「池大雅」「荻生徂徠」「若楓」と、後の「鴉」と合わせて全七章で初出するが、単行本「侏儒の言葉」からは前の「若楓」と後の「鴉」とともに削られている。前の「若楓」の注も参照のこと。標題「蟇」は本文の特異点のルビによって「ひき」ではなく「ひきがへる」(ひきがえる)と訓じていることが分かる。本邦産ヒキガエルは現在では、両生綱無尾目ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicus(鈴鹿山脈以西の近畿地方南部から山陽地方・四国・九州・屋久島に自然分布する固有亜種であるが、東京・仙台市などに移入している)及び、同属のアズマヒキガエル Bufo japonicus formosus(東北地方から近畿地方・島根県東部までの山陰地方北部に自然分布する固有亜種であるが、伊豆大島・佐渡島・北海道(函館市など)などに移入している)の二種とされる。両者の区別は眼と鼓膜間の距離が鼓膜の直径とほぼ同じであるのがニホンヒキガエルで、眼と鼓膜間の距離よりも鼓膜の直径の方が大きいのがアズマヒキガエルである(以上はウィキの「ニホンヒキガエル」に拠った)。
・「石竹色」「せきちくいろ」と読む。ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensisの花のような淡い赤色、ピンク色を指すと辞書類にはあるが、現在のセキチクの品種類は紅色の強いものが多く、認識的には最早、一致しにくくなってように思われる。因みに、ヒキガエル類の長~い舌は確かになまなましい桃色である。]
鴉
わたしは或雪霽の薄暮、隣の屋根に止まつてゐた、まつ靑な鴉を見たことがある。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年九月号『文藝春秋』巻頭に、前の「幼兒」(二章)「池大雅」「荻生徂徠」「若楓」「蟇」と合わせて全七章で初出するが、単行本「侏儒の言葉」からは前の二篇「若楓」「蟇」とともに削られている。前の「若楓」の注も参照のこと。「鴉」は鳥綱スズメ目スズメ亜目カラス上科カラス科 Corvidae に近縁な数属の種群の総称。
・「雪霽」「ゆきばれ」と読む。
・「まつ靑な鴉」カラスの実際の羽の色は実は黒くない。古くからある色名で、女性の美しい黒髪の形容に使われることが多い「烏の濡羽色(ぬればいろ)」(これは「青みを帯びた黒」「やや緑がかった黒」「濃紫色」などを指す)のように、概ね、近くでよく観察するならば、深みのある艶のある濃紫色を呈し、見る角度や、彼らが羽を広げた際に特定の方向から陽光を受けたりした場合、強い紺や紫、或いは青の勝った色に見えることはままある。]
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