ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 大人國(1) つまみあげられた私
大人國
つまみあげられた私
私はイギリスに戾つて二ケ月もすると、また故國をあとに〔、〕ダウンスを船出しました。一七〇二年六月二十日、〔私の乘つた〕船は、「アドベンチュア號」でした。翌年、三月、 マ〔船〕がマダガスカル海峽を過ぎる〔頃〕までは、無事な航海でしたが、その〔島の北の〕あたりが〔から、〕海が荒れだしました。〔そして、〕二十日あまりは〔、〕難儀な航海をつづけました〔。〕が、そのうち風もやむし、波もおだやかになつたので、私たちは大へん喜んでゐました。ところが、船長は、この辺の海のことをよく知つてゐる男でした。暴風雨が來るから、すぐ、その用意をするやう〔一同に〕〔にと〕命令しました。はたして、次の日から暴風雨がやつて來ました。
[やぶちゃん注:現行版では『「アドベンチュア號」でした。』で改行されている。また「〔にと〕」は、ない。]
帆は〔私たちの〕船は荒れ狂ふ風と波にもまれ、私たちは一生懸命、奮鬪しましたが、〔が、〕なにしろ、恐ろしい嵐で、海はまるで気狂のやうでした。〔海はまるで氣狂のやうでした。〕船はずんずん押し流されて〔ゆきました。 やがて暴風雨がやんだ時には、〕、どこに自分たちがゐるのやら、もう見當がつかなくなりました。〔私たち〔は→の船は〕どこともしれない海の上を〔漂つて→〔陸を求めて〕進んでゐました。〕しかし〔船にはまだ、〔船には〕〕食べもの〔も→は〕糧も充分■〔に→あ〕るし、船員はみんな元気でしたが、たゞ閉困るのは水でした。
すると、ある日、マストに上つてゐた少年が陸を〔陸を見つけました。〕
「陸が見える」
と叫びました。それが〔は→が〕一七〇三年六月十六日のことでした。〔す→した。〕翌日になると、何か大きな島か陸地らしいものが、みんなの目の前に見えて来ました。その南側に小さい岬が海に突き出てゐて、淺い入江が一つできていゐました。
[やぶちゃん注:現行版は以下。異同箇所に下線を引いた。
*
船は荒れ狂う風と波にもまれ、私たちは一生懸命、奮闘しましたが、なにしろ、恐ろしい嵐で、海はまるで気狂のようでした。船はずんずん押し流されて、どこに自分たちがいるのやら、もう見当がつかなくなりました。[やぶちゃん注:自筆稿改行なし。]
私たちの船は、どこともしれない海の上を、陸を求めて進んでいました。まだ、船には食糧も充分あるし、船員はみんな元気でしたが、たゞ困るのは水でした。[やぶちゃん注:自筆稿はここで改行。]ある日、マストに上っていた少年が、
「陸が見える!」
と叫びました。
それが一七〇三年六月十六日のことでした。翌日になると、何か大きな島か陸地らしいものが、みんなの目の前に見えてきました。その南側に小さな岬が海に突き出ていて、浅い入江が一つ出来ていました。
*]
私たちは、その入江から一リーグばかり手前で〔、〕錨をおろしました。もしか水が見つかりはせぬだらうかといふので、〔とにかく、水がほしかつたので、→みんな水を欲しがつてゐたので、〕船長は船員を十二人の船員に、武裝させて〔水桶を持たせて〕、ボートに乘せて、水さがしに出しました。私もその陸が見〔の國が見〕たいのと、何か發見でもありはしないかと思つたので、〔賴んで〕一緒にそのボートに乘せてもらひました。
[やぶちゃん注:「一リーグ」既注であるが再掲する。ヤード・ポンド法の単位であるが、時代によって一定しないが、凡そ、一リーグ(league)は三・八~七・四キロメートルの範囲内にある。本書公刊よりもずっと後であるが、イギリスで十九世紀頃に定められた現在の「一リーグ」は「三マイル」で「約四・八二八キロメートル」である。但し、海上では「一リーグ」を「三海里(nautical mile:ノーティカル・マイル:現在の国際海里では一八五二メートルに規定)」として使うこともあるので、前者ならば十四・五キロメートル弱、後者の海里換算なら五・五キロメートル強となる。ここは海里換算の方が自然な距離である。]
ところが、上陸してみると、川もなければ、泉もなく、〔ここには〕人一人住んでゐさうな樣子〔る樣子も〕は〔も〕ないのでした。船員たちは〔、〕どこか〔淸〕水がないかと、海岸■〔を〕あてもなく步き𢌞〔ま〕はつてゐましたが、私は別の方角へ一哩ばかり一人で步いて行きみました。だが、あたりは石ころばかりの荒れ地でした。面白さうなものも別に見つからないし、そろそろ疲れて來たので、私は入江の方へブラブラ引返して來〔ゐ〕ました。海が一目に見わたせるところまで來てみると、今、船員たちは、もう〔ちやんと〕ボートに乘込んで、一生懸命に本船めがけて漕いでゐるのです。
私はとても駄目とは思ひましたが、〔おい待つてくれ、と私は〕大声で呼びかけようとして、ふと氣がつきました。恐ろしく大きな怪物〔動物→怪物→大きな人間〕がグングン海をわたつて、ボートを追つかけてゐるのです。水は膝〔の〕あたりしかないのですが〔海水のなかを〕、〔その男は〕〔大→恐〕ろしい大跨で步いてゆきます。だが、ボートは半リーグばかりも先に進んでゐたし、あたりは〔、〕鋭い岩だらけの海だつたので〔、〕この怪物も〔、〕ボートに追いつくことはできなかつたのです。
[やぶちゃん注:「大跨」「おほまた(おおまた)」と訓ずる。「大股」に同じい。
「半リーグ」前注の海里換算なら、二・七五メートル。]
もつとも、これは後から聞いた話〔なの〕です。そのときは〔は〕、私はそんなものを見てゐるどころでは〔ありません。〕なかつたのです〔か、→ではありません〕。〔もと來た道を〕夢中で駈けだしました。〔すと、→し、〕〔それから私は、〕かにか〔とにかく〕嶮しい山のなかを攀ぢのぼりました。山の上にのぼつてみると、あたりがの樣子がいくらかわかりました。土地はみごとに耕されてゐますが、何より私を驚かしたのは〔、〕草の長さでした。〔高さ→大きさ→大きいことです。〕そこらに生えてゐる草といふ〔の長→の高さ〕のが、〔さ〔は→が〕〕二十呎からあるのです。〔以上ありました。〕
[やぶちゃん注:「草といふ〔の長→の高さ〕のが、〔さは→さが〕」の「さ」のダブりはママ。現行版は無論、『草の高さが』となっている。
「二十呎」約六メートル十センチ弱。]
やがて、私は國道へ出ました。〔國道〕といつても、その〔實は〔、〕〕麥畑の中の小徑なのでしたが、私には〔、〕まるで國道のやうに思へたのです。しばらく、この道を步いてみましたが、兩側とも〔、〕殆ど何も見えないのでした。とりいれも近づゐた麥が〔、〕四十呎からの高さに〔、〕伸びてゐるのです〔ます〕。一時間ばかりもかかつて、この畑の端へ出てみると、〔高さ〕百二十呎もある柵〔垣〕で、この畑が圍まれてゐるのがわかりました。だが、樹木などは〔、〕あんまり高いのでどれ位なのか〔私には〕見當がつきませんでした。
[やぶちゃん注:「四十呎」十二メートル二十センチ弱。
「百二十呎」三十六メートル五十八センチ弱。]
この畑から隣りの畑へ行くのに〔通じる〕段々があり、それが四段になつてゐて、一番上の段まで行くと、一つの石を越える〔またぐ〕やうになつてゐました。一段の高さが六呎もあつて、上の石は二十呎以上もあるので、とても私には〔、〕そこは通れませんでした。
[やぶちゃん注:「六呎」一メートル八十三センチ弱。
「二十呎」約六メートル十センチ弱。]
どこか垣に破れ目でもないか〔しら〕と探してゐると、隣りの畑にゐた〔から〔、〕一人〕の人間が一人こちらの段々の方へやつて來ました。人間といつても、そ〔こ〕れは、さつきボートを追かけてゐたのと同じ位の大きなもの〔怪物〕です。背の丈は〔、〕塔の高さ位はあり、一步〔足→步〕あるく幅が〔、〕十ヤードからありそうでした〔す〕。私は膽をつぶして、麥畑のなかに逃げ込んで〔、身を〕隱れ〔し〕てゐました。
[やぶちゃん注:「十ヤード」三メートル強。]
そこから見てゐると、彼〔その男〕は段々の上に立ち上つて、右隣りの畑の方を振向いて、何か大声で叫びました。その音〔声〕のもの凄いこと、私ははじめ雷かと思つたくらゐでした。
すると、手に手に鎌を持つた〔、〕同じやうな〔、〕七人の怪物が、ぞろぞろと集つてくるではありませんか。鎌といつても、普通の大鎌の六倍からあるのを持つてゐるのですが、〔。→が、〕この七人は、あまり身なりもよくないので、召使らしく思へました。はじめの男が何か云ひつけると、彼等は私の隱れてゐる畑を刈りだしました。
私はできるだけ遠くへ逃げようとしましたが、この逃げ路が〔、〕なかなか難儀でした。なにしろ〔時には〕株と株との間が一呎しかないところもあります。これでは〔、〕私の身躰でも〔なかなか〕、通り難〔にく〕いのでした。どうにかこうにか進んでゐるうちに、麥が風雨で倒れてしまつてゐるところへ出ました。もう、〔私は〕一步も前進できません。莖がいくつも絡みあつてゐて、潜り拔けることも出來ないし、倒れた麥の穗さきは、ナイフのやうに尖つてゐて、それが〔、〕私の洋服ごしに〔、〕私の身躰を〔、〕突き刺しさうなのです。
[やぶちゃん注:「一呎」三十センチ四十八ミリ。何故か、現行版は他では『一フート』とあるのに(単数形だからというのであろう)、ここだけ『一フィート』である。不審というより子供向けなのにこんな辛気臭い正確な英語単位の区別は混乱するだけであろう。全部、「フィート」すりゃ、いいに!]
さうかうしてゐるうちに、別鎌の音は、百ヤードとない後から〔、〕近づいて來ます。私はすつかり、へたばつて、〔もう〕立つてゐる力〔元気→力〕もなくなりました。畝と畝との間に橫になると、いつそ〔、〕このまま死んでしまひたいと思ひました。私は殘してきた〔、〕妻や子の〔供〕のたちのことを〔が、〕眼に浮んできました。みんながとめるのもきかないで、航海に出たのが〔、〕今になつて悔〔悲〕し 無念〔無念〕でした。ふと、私はリリハットのことも思ひ出しました。あの國の住民たちは、〔この〕私を、驚くべき怪物として、尊敬してくれましたし、あの國でなら、一艦隊をそつくり引きずつてかへることだつて出來たのです。だが、ここ〔この→今→ここ〕では〔、〕私はこんな〔とてつもない〕大きな連中のなかでは〔にあつては〕、この私はまるで芥子粒みたいなもの〔なの〕です。今に誰かこの大きな怪物の一人に捕まへられ〔つ〕たら、私は一口に〔パクリと〕喰はれてしまうでせう。しかし、この世界の果てには、リリパットよりもつと小さな人間■〔※(画像外で不明)〕ゐるかもしれないし、今こ〔こ〕この〔にゐる〕大きな人間よりもつともつと大きな人間だつてゐるかもしれないと、私は恐怖で氣が遠くなつてゐながら、まだ、こ〔■→こ〕んなことを思ひつづけてゐました。
[やぶちゃん注:「しかし、この世界の果てには、リリパットよりもつと小さな人間■〔※(画像外で不明)〕ゐるかもしれないし、今こ〔こ〕この〔にゐる〕大きな人間よりもつともつと大きな人間だつてゐるかもしれないと、」の部分は、右上部罫外に左を上にして縦書されてあり、「※」の訂正箇所は底本ブラウザの画像外で不明である(なお、以下の現行版を参照のこと)。
*
そうこうしているうちに、鎌の音は、百ヤードとない後から、近づいて来ます。私はすっかり、へたばって、もう立っている力もなくなりました。畝うねと畝との間に横になると、いっそ、このまゝ死んでしまいたい、と思いました。私は、残してきた妻や子供たちのことが、眼に浮んできました。みんながとめるのもきかないで、航海に出たのが、今になって無念でした。ふと、私はリリパットのことも思い出しました。あの国の住民たちは、この私を、驚くべき怪物として、尊敬してくれたし、あの国でなら、一艦隊をそっくり引きずって帰ることだってできたのです。
だが、こゝでは、こんな、とてつもない、大きな連中に会っては、この私はまるで芥子粒けしつぶみたいなものです。今に誰かこの大きな怪物の一人につかまったら、私は一口にパクリと食われてしまうでしょう。しかし、この世界の果てには、リリパットより、もっと小さな人間だっているかもしれないし、その世界の果てには、今こゝにいる大きな人間より、もっともっと大きな人間だっているかもしれないと、私は恐怖で気が遠くなっていながら、こんなことを思いつゞけていました。
*
「百ヤードとない」九十一メートルもない。]
そのうちに、刈手の一人が〔、〕私の寢てゐる畝から〔、〕十ヤードのところまで〔、〕近づいて來ました。もう〔、〕この次には〔、〕〔私は〕足で踏み潰されるか、鎌で眞二つに切られるかと〔生きた気持はしませんでした。〕思ひました。〔するにちがひありません。→さうでした。→るかもわかりません。〕その男が動きかけると、私は思はず大声で叫びました。〔喚きちらし救けを〕求めました。
[やぶちゃん注:改稿併存はママ。現行版では、
*
そのうちに、刈手の一人が、私の寝ている畝うねから、十ヤードのところまで、近づいて来ました。もう、この次には、足で踏みつぶされるか、鎌で真二つに切られるかもわかりません。その男が動きかけると、私は大声でわめきちらし、助けを求めました。
*
となっている。
「十ヤード」九メートル十四センチ強。]
巨人(おうおとこ)は思は〔ふと〕〔立ち〕どまつて、しばらく〔、〕あたりを見𢌞してゐましたが、ふと、私が〔私が→ふと〔、〕〕地面にひれ伏してゐるの〔私〕を〔、〕見つけ〔出し〕ました。この小さな〔、〕危險な〔、〕動物を〔、〕騷がれないやうに、嚙まれないやうに〔、〕つかまへるには、どうしたらいゝのかしら、といつた顏つきで、彼はしばらく考へてゐました。私もイギリスで〔、〕いたちや鼠をつかまへるときには、ちよつとこんなふうにしたものです。
[やぶちゃん注:「巨人(おうおとこ)」現行版にはこのルビは存在しない。原民喜がかく読ませようとしていたことを知る貴重な部分である。]
た〔と〕うとう、彼は思ひきつて、人差指と拇指で、私の腰の後の方をつまみあげると、私の形をもつとよく見るために、目から三ヤードのところへ、持つて行きました。私は〔、〕彼のしてゐることがよくわかつたので、安心して落着いてゐました。かうして、地上から六十呎の高さにつまみ上げられてゐる間は、じつとしてゐようと思ひました。ただ〔、〕苦しかつたのは、私を指からすべり落すまいとして、ひどく〔、〕脇腹をしめつけられてゐることでした。
[やぶちゃん注:「六十呎」十八メートル二十九センチ弱。]
私は〔ただ〕天を仰ぎ兩手を合せながら、〔助けてもらひたひたやうに→お願いするやうに〕情ない哀れつぽい調子で〔、〕何かと言つてみました。といふのは、私たちが厭な小動蟲など殺さうとする時に〔は〕〔す場合〕、〔それを→よく〕地面にパッとたたきつけますが、〔るものですが、〕それをやられはしないかと〔それを〔、〕今やられはすまいかと→あんな風にあはされるのか、〕と心配でならなかつた〔から〕の〔から〕です。
[やぶちゃん注:現行版は、
*
私はたゞ、天を仰ぎ両手を合せながら、お願いするように、哀れっぽい調子で、何かと言ってみました。というのは、私たちが厭な虫など殺す場合、よく地面にパッとたゝきつけるものですが、あれを今やられはすまいかと、心配でならなかったのです。
*
で、最後の一文が推敲前の形に戻っていることが分かる。]
だが、幸いなことに、彼〔に〕は私の聲や身振りが氣に入つたやうでした。私がはつきり言葉を話すので、その意味は彼にはわからなかつたのですが、ものが云へるのに驚いて、つくづく〔つくづく〕〔ホウ、ものが云へるのか、と驚いたやうな顏つきで、目をみはつて〔彼は珍しげに〕私を眺めるのでした。私はさうされてゐても〔その間にも、〕〔私は、彼の指で、脇腹を〕しめつけられてゐるのが〔、〕苦しい〔かつた→くなつた〕ので、呻いたり泣いたりして、一生懸命、そのことを〔身振りで〔、〕〕知らせました。
〔すると、〕彼にもその意味がわかつたらしく、上衣の垂れをつまみ上げて、その中に〔、〕そつと私を入れました。それから大急ぎで〔、〕主人のところへ駈け〔つけ〕て行きました。主人といふのは、私が最初に畑で見た男でした。
その主人は〔その主人は、〕召使が〔私のことを〕話すのを〔默つて〕聞〔きおはると、〕いてゐましたが〔から話を聞くと、→が話すのを、じっと聞いてゐました〕が、杖ほどもある藁すべをとつて、それで〔、〕私の上衣の垂れを〔、〕めくつて見ました。〔りあげました。〕〔何か〕〔彼は〕この私の洋服〔の→を→は〕〔、〕私の身躰に〔、〕生れつき〔、〕くつついてゐる皮〔ものやうにのと〕か何か■〔■〕と思つたのでせう。つぎには私の〔私の〕髮〔の毛〕にフーと息をふきかけて〔それから、私にフーと息をふきかけて、髮をわけると→私の髮の毛をフーと息ではらひながら〕、〔私の〕顏をしげしげ眺めました。それから、(これはあとになつてわかつたのですが)作男たちを呼びあつめると、これまでこんな小さな動物を畑で見たことがあるか〔、〕と〔、〕みんなに〔、〕たづねました。それから〔、〕私を〔、〕そつと〔、〕四つ這ひのまま〔の恰好で〔、〕〕地面におろしてくれました。
[やぶちゃん注:「つぎには私の〔私の〕髮〔の毛〕にフーと息をふきかけて〔それから、私にフーと息をふきかけて、髮をわけると→私の髮の毛をフーと息ではらひながら〕、〔私の〕顏をしげしげ眺めました。」の箇所の書き換えの併存はママ。現行版では、
*
その主人は、召使が話すのを、じっと聞いていましたが、杖ほどもある藁(わら)すべを取って、それで、私の上衣の垂れを、めくりあげました。この洋服は、私の身体に、生れつきくっついているものと思ったのでしょう。それから、私の髪の毛に、フーと息を吹きかけて、髪を分けると、顔をしげしげ眺めました。それから、(これはあとになって、わかったのですが)召使たちを呼び集めると、これまでこんな小さな動物を畑で見たことがあるかと、みんなに、尋ねました。それから、私を、そっと、四つ這いのまゝの恰好で、地面におろしてくれました。
*
となっている。]
私はすぐに立ち上つて、〔逃げ出すつもりのないことを見せるために〕ゆるゆるとあたりを步きまはつてみせ〔り〕ました。すると〔、〕みんなは〔、〕私の動きぶりを〔、〕よく見ようとして〔、〕私のまは〔をかこ〕んで〔、〕坐りこんでしまひました。私は帽子を取つて、百姓にていねいに〔、〕おじぎをしました。それから、ひざまづいて、兩手を高く差し上げ、天を仰いで大声で、二こと三こと話しかけました。そして、ポケットから〔、〕金貨の入つた財布を取り出して、うやうやしく彼のところへ持つてゆきました。
彼はそれを掌で受取つてくれましたが、目のそばへ持つて行つて、何だらうかとしらべて〔、ながめて〕ゐました。〔そして、〕袖口からピンを一本拔きとつて、その先で何度も〔、〕掌の上の財布をひつくりかへしてゐましたが〔、〕〔やはり〕〔、〕何だかわからないやうでした。
そこで、私は手眞似で、その〔掌の〕財布を下に置いてくれ、と言ひました。財布が下に置かれると私はそれを手に取つて、中を開いて、金貨をみんな彼の掌の上にこぼし〔ばらまき〕ました。四ピストルのスペイン金貨が六枚と、ほかに小さな〔錢〕が二三十枚ありました。見ると〔、〕彼は小指の尖を舌で濡しては、大きい〔方〕の金貨を一枚一枚つまみ上げてゐましたが、やはり、それがなにだか〔、〕さつぱりわからないらしいのです。
[やぶちゃん注:「四ピストルのスペイン金貨」原文は“six Spanish pieces of four
pistoles”で、“pistole”(ピストーレ:スペイン語“pstols”が語源で「金属板」の意)は十七~十八世紀に西欧で流通したスペイン金貨のこと。イギリスでは何度かピストーレ金貨が鋳造されているようであるが、ここは「スペイン」と限定しているので、真正のスペイン古金貨のそれ。英和辞典には価値は2エスクード相当とあるが、当時の価値はよくわからない。しかし、ネット上の記載を見る限りでは明治初期の一円以上の価値はらくにありそうな感じである。識者の御教授を乞う。
「尖」「さき」と読ませている。現行版は『先』である。]
彼は手まねで私に、もう一度これを財布におさめて、ポツトに入れておけ〔、〕と云ふのでした。私は何度もそのお金を彼に差出してみましたが、結局やはり彼の云ふとほりにおさめておきました。
その時には〔そのうちに、〕もう百姓■〔に〕は〔、その時には〕私が理性的な生き物〔(人間)〕だ、といふことが〔、〕わかつてゐました〔たのです〕。彼は何度も〔、〕私に話しかけましたが、その声は〔、〕まるで水車の響のように〔で、〕私の耳は破れさうでした。私も〔、〕知つてゐるかぎりの〔いろんな〕外國語を使つて〔、〕力一ぱいの〔大〕声で〔、〕話しかけてみました。すると、向は〔、〕耳をすぐ私のそばに持つて來て、〔しきりに熱心に〕きかうとする〔きいてくれる〕のですが、駄目でした。私たちの話し〔云ひ〕合つてゐる言葉は〔、〕お互に意味が通じません〔ないの〕でした。
召使たちはまた麥刈にとりかかりましたが、主人はポケツトから、ハンカチをとりだし、二つ折りにして〔、〕左手の上にひろげ、その掌を地面の上に差しだして、この中に入つてこいと、手眞で〔手眞似で〔、〕〕私に合圖をしす〔ま〕す。その掌の厚さは一呎ぐらゐでしたから、私は〔に〕もらくに乘〔のぼ〕れさうでした〔るのです〕。〔今は〕とにかく主人の云ふとおりにし〔てゐ〕ようと思ひました。
[やぶちゃん注:「一呎」三〇・四八センチメートル。]
〔それで、〕私は落つこちないよ〔や〕うに用心しながら〔、〕ハンカチの上に長くなつて橫寢ころびました。すると〔、〕彼はハンカチの端で〔、〕大切私の頭のところを大切そうにくるんでしまひ、そのまま家に持つて行きました。
家に歸ると〔、〕彼は早速、細君を呼んで〔、〕ハンカチの中の私〔もの〕を見せました。〔丁度イギリスの女が〔、〕ひきかへるや、くもを見たときのやうに、〕きやあ!と細君は叫んで〔叫んで、細君は〕飛びのきました。しかし、暫く私の樣子を見てゐるうちに、〔そばで見てゐるうちに、〕私が主人の手眞似がよくわかるの〔で私がいろんな〕ことをするので〔を見て〕、細君は〔、〕すつかり感心して〔しまひました。そして〕今度は、だんだんと私にやさしくしてくれるやうになりました。
[やぶちゃん注:現行版では、
*
家に帰ると、彼はさっそく、細君を呼んで、ハンカチの中のものを見せました。ちょうど、イギリスの女が、ひきがえるやくもを見たときのように、「きゃあ……」と叫んで、細君は跳びのきました。しかし、しばらくそばで見ているうちに、主人の手まねで私がいろんなことをするのを見て、細君はすっかり感心してしまいました。そして今度は、だんだんと私にやさしくしてくれるようになりました。
*
である(太字の『ひきがえる』『くも』は底本では傍点「ヽ」)。私はこの現行版の『……』は実は「!」の誤植ではないかと疑っている。原文は間接話法になっており、自筆稿(鍵括弧はない)の「!」は一見、二点リーダ(「‥」)のように見えてしまうからである。]
正午頃になると〔、〕一人の召使が〔、〕食事を持つて來ました。それは〔、〕〔いかにも〕お百姓の食事らしく、肉をたつぶり盛つた皿が、ただ一つだけ運ばれた〔出された〕のでした。しかし〔しかし〕、それは直徑は〔が〕二十四呎もあるの〔大きなお皿〕でした。
[やぶちゃん注:「二十四呎」七メートル三十一センチ五ミリ。]
ここの家族は〔テイブル→食堂〕には主人と細君と、子供が三人、それに、年よりの祖母が一人でしたが、〔集まりました。→やつて來ました。〕みんながテーブルにつくと、主人は私をテーブルの上の、〔にあげて、〕少し彼の〔彼から離れ〕たところにおきました。〔その〕テーブルは〔、〕床から〔高さ〕三十呎もある高〔の〕ですから、私は怖くてたまらないのです。落つこちないやうに、できるだけ、まんなかの方へ這〔よ〕つて行きました。
[やぶちゃん注:「三十呎」九メートル十四センチ強。]
細君は肉を少し、小さく刻んで〔、〕くれ〔そ〕れから、パンを粉々〔粉〕に碎いて〔くと〕、それを私の前に置いてくれました。そこで、私は細君にむかつて、丁寧に〔、〕おじぎをして、それから〔ポケツト〕から、ナイフとフオークを取出〔とり出し〕して食べはじめました。みんなは〔、〕私の有樣が面白くてたまらないやうでした。
細君は女中を呼んで〔、〕小さなコツプを持つてこさせました。それでも〔小さいといつても〕三ガロン(〔約〕五升)は入りさうなコツプですが、それに飮みものをついでくれました。〔それを〕私はやつと兩手でかかへあげると、〔まづ、〕英語で、できるだけ大きな声を張り上げて〔、〕細君の健康を祝しました。そして〔れから〕、うやうやしくコツプを頂だいしました。するとこれがまたみんな〔〔は、お〕腹をかかへて〕笑ひだしましたが、私はその笑ひ聲の騷騷し〔もの凄〕さ〔、〕に〔私は〕私は耳がつんぼになりさうでした〔るばかりでした〕。
[やぶちゃん注:「三ガロン」十三・六三リットル。「(〔約〕五升)」は約九リットルだから民喜の換算はおかしい。]
この飮みものはサイダーのやうな味〔なの〕で、飮みいいものでした。〔私はおいしく、いただきました。〕しばらくすると、主人は〔私を〕手眞似で、彼の皿のところへ來い〔、〕と招きました。しかし、なにしろ私はテイブルの上を絶えずビクビクしながら步いてゐるのでしたから、めをパンの皮に躓くと、うつ伏せに〔、〕ペたんと倒れてしまひました。けれども〔、〕怪我はなかつたのです。すぐに起きあがりましたが、みんなは〔が〕ひどく心配してくれるので、私は小脇にかかへてゐた帽子を手に取り、頭の上で振りながら、「万才」を叫び〔んでみせ→で〕ました。つまり〔これは〕〔私は轉んでも〕怪我はなかつたことをい〔い〕ふことを、みんなに〔よく〕わからせる〔しつてもらふ〕ためでした。
しかし、その時、主人の隣りに坐つてゐた、一番下の息子で、まだ十ばかりのいたづら兒が、〔私の方へ手をのばしたかとおもふと、〕いきなり〔、〕私の兩足をもつて〔つかまへ〕、宙に高くぶらさげました。私は手も足も〔、〕ブルブルふるへつづけました。しかし〔、〕主人は〔、〕息子の手から〔、〕私を取り上げ、同時に〔、〕彼の左の耳を〔、〕ピシヤリと毆りつけました。〔それは〕ヨーロッパの騎兵なら〔、〕六十人ぐらゐた〔叩〕きつけてしまふや〔ひさ〕うな毆り方でした。〔それから〕主人は息子を〔に、〕向ふへ行つてしまへ、と命令するのでした。
しかし〔、〕私は〔、〕この子供に怨まれはしないか〔、〕と〔、〕心配でした。〔それに〕私はイギリスの子供たちも、雀や、兎や、小猫や、小犬に〔、〕よくいたづらをするのを知つてゐます。そこで、私は主人の前にひざまづいて〔、〕その息子を指ざしながら、どうか〔、〕ゆるしてあげてください、と手眞似で、私の氣持をつたへました。〔すると、父〕親は承知して、息子はまた席につきました。私は息子のところへ行き、その手に接吻しました。主人はその〔息子の〕手を取つて、〔息子に〕私をやさしく撫でさせました。
[やぶちゃん注:現行版では、
*
しかし私は、この子供に怨まれはしないかと、心配でした。私はイギリスの子供たちも、雀や、兎や、小猫や、小犬に、よくいたずらをするのを知っています。そこで、私は主人の前にひざまずいてその息子を指さしながら、どうか、許してあげてください、と手まねで、私の気持を伝えました。私は息子のところへ行き、その手にキスしました。主人はその息子の手を取って、私をやさしくなでさせました。
*
で、この自筆稿の「すると、父親は承知して、息子はまた席につきました。」の部分がごっそり抜け落ちている。このシーンを配さないと不自然であるのに、である。]
〔ちようどこの〕食事の最中の〔に〕、細君の飼つてゐる猫が〔やつて來て〕、細君の膝の上にとび上りました。私は〔すぐ〕後の方で、何か〔十人あまりの〕靴下職人が十人あまりも〔■〕〔が仕事でも〕はじめたやうな物音を聞きました。振りかへてみると、この猫が咽喉をゴロゴロ鳴らしてゐるのです。細君が食物をやつたり、頭〔猫→頭〕を撫でてゐる間に私はそつと、その猫〔の大き〕を眺めてみました。が、〔その大きさは〕まづ〔、〕牡牛の三倍はありさうでした。私は五十呎もはなれたテイブルの一番遠いところに立つてゐたのですが、〔私は五十呎もはなれ〔た→て、〕テーブルの猫から一番遠いところに、立つてゐたのですが、そして、〕それは〔おまけに〕細君が〔は、〕私に跳びかかつたり、爪を立てたりしないやうにしてくれたのですが、猫をしつかり猫を押へてゐてくれたのですが、それでも〔、〕私はその物凄い顏にビクビクしてゐました〔が恐ろしくてならなかつたのです〕。しかし危險なことは起りませんでした〔らなかつたのです〕。
[やぶちゃん注:この自筆稿はかなり錯綜しているが、現行版を参考に整序してみた結果が以上である。
「靴下職人」原文には確かに“a dozen stocking-weavers”とある。繊維を叩いて伸ばす音か? 識者の御教授を乞う。
「五十呎」十五メートル二十四センチ。]
主人は〔わざと、〕私を猫の鼻の先三ヤードもないところにおきました。しかし〔、〕猫は見向きもしませんでした。私は猛獸といふものは、こちらが逃げ出したり、怖がると、却つてて追つかけて來て跳びかかる〔ものだ〕、といふことを〔私は〕前から〔に〕人に〔から〕聞いて〔知つて〕ゐました。それで〔、〕私は〔私は〕今〔も〕いくら〔これは→いくら〕恐ろしくても〔、〕知らん顏をしてゐる方がいいと私は思ひました〔よう、と決心しました〕。
[やぶちゃん注:「三ヤード」二メートル七十四センチ強。]
私は〔、〕猫の鼻先を、わざと〔、〕五六回〔、〕步きました行つたり來たりし〔てやり〕ました。それから、〔して〕半ヤードになるまで〔ずつと側まで〕近づいてみ行つてみました。すると、〔かへつて〕猫の方が怖さうに後す〔し〕ざりしました。〔するのでした。〕その時から、私はもう〔、〕猫や犬を怖がらなくなりました。犬も〔、〕この家には〔、〕三四頭ばかりゐたのです。〔それが、〕部屋のなかに入つて來ても〔、〕私は平気でした。一匹はマステイフで、大きさは象の四倍ぐらゐありました。それから〔もう一匹〕は、グレイハウンドで、これはとても背の高い犬でした。
[やぶちゃん注:「半ヤード」四十五・七二センチメートル。
「マステイフ」イングリッシュ・マスティフ(English Mastiff)。イギリス原産の警備用犬種で、最も著名なマスティフ種。グーグル画像検索「English
Mastiff」をリンクしておく。
「グレイハウンド」イングリッシュ・グレイハウンド(English Greyhound)。イギリスのイングランド原産の獣猟犬サイトハウンド(Sighthound。Houndのうち、視覚に優れたハウンドを指す。他に嗅覚ハウンド(セントハウンド:Scenthound)がいる。Houndはドイツ語の“Hund”や、オランダ語の“hond”と同語源で「犬」全般を意味する)。イングリッシュ・グレイハウンドは世界中で最も有名なグレイハウンド犬種である。]
食事がしまひ頃になると、乳母が赤ん坊を抱いてやつて來ました。赤ん坊は〔、〕私を見〔つけ〕ると、玩具に欲しがつて〔、〕泣きだしました。その赤ん坊の泣声〔何とも〕は、ロンドン楼からチエルシーまで聞えさうな〔驚くばかりの→もの凄い〕大声でした。〔すると〕母親は赤〔ん〕坊 がほしがるのを〔私をつまみ上げて、赤ん〕坊の傍〔か〕たはらにおきました。赤ん坊は〔、〕いきなり〔、〕私の腰のあたりを引つ摑んで〔、〕頭を口のなかに持つてゆきました。私はわつ〔が、ワツ〕と大声でうめきま〔くと〕、赤ん坊はびつくりして〔、〕手を離します。ちようど〔落こちるのを〕〔そのとき〕細君が前掛をひろげておつこちるのを〔うまく〕受けてくれたので、私は頸の骨を折らないで助かりました〔私は助かりました。〔もし〕でなかつたら、頸の骨ぐらゐ折れたでせう。〕
[やぶちゃん注:「その赤ん坊の泣声〔何とも〕は、ロンドン楼からチエルシーまで聞えさうな〔驚くばかりの→もの凄い〕大声でした。〔すると〕母親は赤〔ん〕坊 がほしがるのを〔私をつまみ上げて、赤ん〕坊の傍〔か〕たはらにおきました。」この箇所の上部罫外には巨大な「?」マーク或いは「2・」(縦書)にしたような記号が書かれてある。或いは、後の訳を再考することを期したマーキングかも知れない。
「ロンドン楼」テムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞ロンドン塔(Tower of London)。
「チエルシー」ロンドンの南西に位置するチェルシー(Chelsea)地区(現在は高級住宅街)。ロンドン塔からは西南西に七キロメートル強ある。。]
乳母は〔ガラガラをもつて來て、■〕赤ん坊を泣きや〔め→ま〕せようとおもつての機嫌をとらうとしました。そのガラガラといふ物は〔、〕空鑵に大きな石をつめたやうなもので、〔それを〕綱で子供の腰に結びつけるのでした。でも、赤ん坊はまだ泣きつづけてゐました。〔それで、〕たうとう乳母は胸をひろげて〔、〕乳房を出しました。赤ん坊〔の口〕に飮ましました。〔持つてゆきました。〕私はその乳房を見てびつくりしました。
大きさといひ、形といひ、色あいといひ、とても氣味の惡いものでした。なにしろ、六呎も突出てゐるので、まはりは十六呎ぐらゐあるでせう。乳首だつて〔、〕私の頭の半分ぐらゐ〔あるの〕です。それに〔、〕乳房ぜんたいが、あざやら、そばかすやら、おできやらで、ブツブツ〔しみだらけ〕なので〔、〕す。見てはゐられ〔ゐると、氣持が惡くなるく〕ない〔る〕ぐらゐでした。乳母は乳を飮ましいいやうな姿勢で、赤〔ん〕坊を抱いてゐますが〔、〕その〔私は〕テーブルの上にゐるので、〔その乳房は〕すぐ目の前にはつきりと見えるのでした。
[やぶちゃん注:「六呎」一・八メートル強。
「十六呎」四・九メートル弱。]
それで私はふと、こんなことを考へました〔がわかりました〕。イギリスの女が美しく見えるのは、それは私たちと身躰の大きさが同じだからだらう〔であらう→なのでせう〕。もし蟲目鏡でのぞいてみれば、どんな美しい顏にも凸凹やしみが見えるにちがひありません。
さういへば、リリバットに私がゐた頃、あの小人達の顏〔肌の〕色は〔、〕とても美しかつたので〔を、〔私はよく〕おぼえていま〕す。リリバットの友達も〔この〕私にこんなこことを言つてくれたことがあるのです。こ私の顏ことをが、小人の目から見て〔ると〕どんなに見えるか教へてくれたことがあります。私の顏は〔、〕地上からはるかに見上げてゐる方が、美しいさうです。私の掌に乘せられて、近くで見ると、〔私の〕顏は大きな孔だらけで、髯の根はいのししの毛の十倍ぐらゐも堅さうで、顏〔の〕色の氣味のわるいことといつたらなかつた〔い〕さうです。
[やぶちゃん注:改稿併存が錯雑するが、現行版では、
*
そういえば、リリパットに私がいた頃、あの小人たちの肌の色は、とても美しかったのを、私はよくおぼえています。リリパットの友達も、この私の顔が、小人の目から見ると、どんなに見えるか、教えてくれたことがあります。私の顔は、地上からはるかに見上げている方が、美しいそうです。私の掌に乗せられて、近くで見ると、私の顔は大きな孔だらけで、髯の根はいのしゝの毛の十倍ぐらいも堅そうで、顔の色の気味の悪いことゝいったらないそうです。
*
となっている。]
しかし〔ところで〕、いまこのテイブルに坐つてゐる巨人たちは、なにも片輪〔など〕ではないのです。顏たちはみんなよく整つてゐました。ことに主人など、私が六十呎の高さから眺めてみると、なかなか立派な顏つきでした。
[やぶちゃん注:「六十呎」十八メートル二十九センチ弱。]
食事がすむと、主人は仕事に出かけて行きました。彼は細君に〔、〕よく私の面倒をみてやれ〔、〕と命令してゐるやうでした。その声や身振りで、私にはそれがわかつたのです。私は大へん疲れて、眠むくてしかたがなかつた〔なりましたが〔。〕すると、細君〕は〔、〕私の眠むさうな顏に〔、〕氣がついて、〔き、〕自分のベツドに寢かしてくれました。〔そして〕綺麗な白いハンカチを〔、〕私の上にかけてくれました。ハンカチといつても〔、〕軍艦の帆より〔、〕まだ大きいぐらゐで、ゴツゴツてゐました。
私は二時間ばかりも眠りました。夢のなかで〔眠りながら〕私は國へ帰つて妻子と一緒に暮してゐる夢をみてゐました。〔ふと〕目がさめて、あたりを見まはすと、私は〔、〕廣さ二三百呎、高さ二百呎以上もある〔、〕〔がらんとした〕大きな部屋に、たつた一人、幅二十ヤードもある〔、〕大きなベツドで〔、〕臥てゐるのに〔■〕氣がつきました。すると〔、〕私はなんだか悲しくてたまらなくなりました。
[やぶちゃん注:現行版は最後が有意に異なる。
*
私は二時間ばかりも眠りました。私は国へ帰って妻子と一しょに暮している夢をみていました。ふと目がさめて、あたりを見まわすと、私は、広さ二三百フィート、高さ二百フィート以上もある、がらんとした、大きな部屋に、たった一人、幅二十ヤードもある大きなベッドで、寝ているのに気がつきました。すると、私はなんだか悲しくなってしまいました。
*
「二三百呎」六十・九六メートルから九十一・四四メートル。
「二十ヤード」十八メートル二十九センチ弱。]
細君は家事の用をたすため〔で〔外へ〕出て行き〔つ〕たらしく、〕私を 〔その→部屋の〕姿は〔が〕見えません。私は錠をおろした部屋に〔、〕〔ひとり、〕とぢこめられてゐるのです。このベツドは床から八ヤードもあります。私は下へ降りたかつたのですが、声を出して叫ぶ元〔元〕気も〔しません→しなかつたの〕ありません〔元気もなくな〕つてゐました。しかし〔、〕たとへ呼んでみても、〔とても〕私の声では、この部屋から〔、〕家族のゐる臺所まで〔は、〕屆かなかつたでせう。
ところが、その時、鼠が二匹、ベツドのと〔帷〕とばりを登つて來ると、ベツドの上をあちこち嗅ぎまはりました〔つて走つていました→つて這ひ→ちよろちよろ走り出しました。〕一匹などは殆ど〔、も少しで、〕私の顏の側、あでやつて來ました。〔顏に這はひのぼらうとし〕たのです。私はびつくりして跳び起きると、短劍を拔いて、身構へました。だが、この恐ろしい獸どもは、左右からどろどろと〔どたどたと→ドタドタと〕襲〔おそ〕ひかかつて來て、たうとう一匹は〔、〕私の襟頸に足をかけました。しかし、私は〔幸〕運よく〔にも、〕彼に嚙みつかれる前に、彼の腹に〔、〕プスリと短劍をつきしてゐました。
鼠は〔たち〕まち〔、〕彼は私の足もとに倒れてしまひました。もう一匹の鼠〔方〕は、仲間が殺されたのを見ると、あはてて逃げ出しました。逃げようとするところを、私は肩に一刀切りつ〔浴せかけ〕けました。〔たので、〕タラタラ血を流しながら行つてしまひました。この大格鬪のあとで、私はベツドの上をあちこち步きながら、氣〔息〕をしづめ、氣持をしやんとさ〔元気を取りもど〕しました。鼠といつても、大きさはマステイフ種の犬ぐらいあるのです。〔つて、〕それに〔、〕とても、すばしこくて、獰猛なの〔奴〕でした。もし私が裸で寢てゐたら、〔きつと〕八つ裂きにされて食べられたでせう。
死んだ鼠の尻尾を測つてみると、二ヤードぐらゐありました。まだ血を流して橫になつてゐる死骸を、ベッドから引きずり下すのは、〔實に〕厭〔なこと〕でした。それに〔、〕まだ少し息が殘つてゐるやうでしたが、〔これは〕頸のところへ深く劍をつきさして、息の根をとめてしまひました。
[やぶちゃん注:「二ヤード」一メートル八十三センチメートル弱。]
そのうちに〔れから間もなく、〕細君が部屋に入つて來ました。私が血まみれになつてゐるのを見て、細君は駈けよつて〔、〕抱き上げてくれました。私は鼠の死骸を指ざし、そして〔、〕笑ひながら、怪我はなかつたと〔、〕手眞似で教へました。細君は大喜びでした。女中を呼ぶと、死骸を火箸ではさんで、窓から捨てさせました。それから、彼女は私をテイブルの上にのせてくれました。私は血だらけの短劍を〔細君に〕見せ、上衣の垂れで拭いて鞘におさめました。
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