和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 陰蝨
つびしらみ
陰蝨
インスエツ
本綱今人陰毛中多生陰蝨痒不可當肉中挑出皆八足
而扁或白或紅古方不載醫以銀杏擦之或銀朱熏之皆
愈也
△按陰蝨即陰汁濕熱氣化而生復有傳染之者噉入皮
毛間而色與膚相同故不可見其痒也不常不速治則
緣上腋下及眉毛遺卵急剃去陰毛用熱醋傅之草烏
頭汁塗亦可也醫學入門方搗桃仁泥塗之
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つびしらみ
陰蝨
インスエツ
「本綱」、今の人、陰毛の中に多く陰蝨を生ず。痒さ、當〔(た)ふ〕るべからず。肉中より挑〔(は)ね〕出せば、皆、八足にして扁たく、或いは白く、或いは紅なり。古方に醫を載せず。銀杏を以て之れを擦(す)り、或いは銀朱、之を熏ず。皆、愈ゆ。
△按ずるに、陰蝨は、即ち陰汁の濕熱の氣化して生じ、復た、之れを傳染(うつ)る者、有り。皮毛の間に噉〔(く)ひ〕入りて、色、膚(はだへ)と相ひ同じき。故、見るべからず。其の痒さや、常ならず、速かに治せざれば、則ち、緣(は)い上(あ)がり、腋の下及び眉の毛に卵を遺す。急に陰毛を剃(そ)り去つて、熱〔き〕醋〔(す)〕を用ひて之れに傅〔(つ)〕け、草烏頭(うず)の汁を塗(ぬ)るも亦、可〔(よ)〕し。「醫學入門」の方に、桃仁〔(たうにん)〕を搗き、泥にて之れを塗るとあり。
[やぶちゃん注:「つび」とは、一般には女性生殖器及びその周縁部を含む陰部(陰門・玉門)を差す古語であるが、時には男性のそれにも用いた。ここもその広義の用法で、他にも「陰虱」「鳶虱」(「つび」を「とび」と誤認したか或いは訛りか)などとも書き、ほぼヒトの陰部に特異的に寄生する、
昆虫綱咀顎目シラミ亜目ケジラミ科ケジラミ属ケジラミ Pthirus pubis
のことを指す。ウィキの「ケジラミ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、『形は左右に幅広く、カニにも似て』おり、ヒトの『陰部を生息域とする』。前項に出た同じくヒトに特異的に寄生吸血するヒトジラミ科 Pediculidaeの亜種アタマジラミ Pediculus
humanus humanus と、同じく亜種コロモジラミ Pediculus humanus corporisとは科のタクサで異にし(ケジラミ科 Ptheridae)、『外形も遙かに横幅が広く、左右に張った歩脚に爪がよく発達しており、カニに似て見える。英名も Crab louse と言うが、他にPubic louse(陰部のシラミ)も使われる』。『寄生部位は陰毛の生えている部分にほぼ限定され、発達した爪で陰毛をしっかり掴んであまり移動はしない。他者への感染は、性行為の際に行われる。吸血性であり、噛まれると大変に痒い』。但し、前二種とは異なり、『病原体を運ぶといった、これ以上の害を及ぼすことは知られていない』。『体長は一・五~二ミリメートルまで、全体に淡褐色で半透明。これはヒトジラミより一回り小さい。体型としては胸部で幅広く、また歩脚を左右に張り出しているので横幅が広くなっている』。『頭部は小さくて先端は丸くなっており、成虫では触角は五節、その基部後方に一対の眼がある。胸部は前・中・後の三節が融合しており、中央部でもっとも幅広い。三対の歩脚のうち中・後脚が太く大きく発達する。三脚とも先端の附節の先端が尖って腹部側に大きく曲がり、鎌状になっている。特に中・後脚ではこれと向かい合う位置で脛節の基部に突起を生じ、この間に毛を挟み込むことで強力に把握することが出来るようになっている。腹部前方の第一節から第四節までは互いに癒合し、この部分は胸部とも癒合している。後半部の五~八節では、縁から円錐形の突起が出て、その上に数本の毛がある』。『卵長楕円形では陰毛に透明な膠状物質で貼り付けられるが、先端部に蓋があり、ここに気孔突起が十~十六個ある。この部分はヒトジラミのそれより大きくて突出している』。『幼虫から成虫まで、全て陰部で生活する。中・後脚の爪で強固に陰毛を掴み、あまり移動せず、口器を皮膚に付けて吸血する。運動は緩慢で、移動はごくゆっくりと行われる。卵も陰毛の、特に付け根付近にくっつけて産卵される。他者への感染は性行為の際に行われる』。『感染部位については陰毛以外に臑毛、胸毛、眉毛、睫毛、時に頭髪から発見された例も知られている。なお、女性では頭髪などに発生することが比較的多い。これについて、ケジラミが陰毛を住処とするのがアポクリン腺があるからとの説があったが、これを否定するものである。また、女性の髪に発生が見られるのが比較的最近に多いとのことから、性行為の方法が変化したためではないかとの観測がある』。『成虫は体温付近では九~十四時間の絶食に耐え』、摂氏十五度では『二十四~四十四時間ほど耐えられる。移動能力としては一日で最大十センチメートルという記録があり、また絶食に関してもヒトジラミよりかなり弱く、人から離れるとより早く餓死する』。『卵の期間は約七日、一齢幼虫は五日、二齢が四日、三齢が五日、その後』、『成虫になる。雌成虫は一日に数個を産卵し、生涯では四十個ほどを産卵する。成虫の寿命は二十日ほどで、世代期間はヒトジラミより短い』。『吸血されると強い痒みを生じる。特にあまり移動せずに同じ場所から繰り返し吸血するため、その痒みが強烈に感じられる。痒みのために掻いて傷を付け、そこから二次感染症を起こす例はあるが、病原体を運ぶ、いわゆるベクターとして働くことは知られていない』。但し、『ケジラミを移されるような人は淋病など他の性感染症に感染することも多いとの声もある』。『医学的にはケジラミの寄生とそれによる症状を指してケジラミ症と呼び、性感染症の一つと認める』。但し、『これが性感染症であるとの認識は普及しておらず、その分野の教科書等でも取り上げられることは少ない。これはその症例が主要な性感染症に比べて少なく、また、その予後が悪くないことが原因であろうとの声がある』。『本種の被害については精確な調査は行われていない』。但し、『数は少ないものの現在でも発生が知られ、わずかながら増加しているともいう』。『寄生箇所が陰部であるため、その被害が明らかにされることが少ない。ただ、一九七一年頃より増加に転じ、一九七八年からは増加が早くなったとの報告がある。成人男女間で発生し、家庭内感染もあると』される。『具体的な数として、オーストラリアでは性感染症の一~二%を占めるという。また、例えば東京女子医科大学の皮膚科において、一九八三年の報告では過去十年間の初診患者五万人、そのうち』、『性感染症患者は四百人で、このうちケジラミ症は七件あったという』。「逸話」の項の記載が面白い。『北杜夫はその著作「どくとるマンボウ昆虫記」に『変ちくりんな虫』という章を設け、その真打ちとして本種について触れている。この虫を『世の古き人には周知のことだが、世のいとけなき人は仰天してしまうムシ』と記し、文語調で若い頃にこれに感染したこと、その姿が『微細なる蟹に似し』『すさまじげなる気配漂ひ』と述べ、感染が主として『いかがはしきまじはり』によると文献にあることに触れて『世に例外なき法則』はないと述べている』とある。
・「痒さ、當〔(た)ふ〕るべからず」この「當」の訓読は力技である。実際にはこの字には「任(た)ふる」(務める)の意はあるが、「耐ふ」(耐える)の意はない。
・「八足」ケジラミの歩脚は三対であるから、頭部に有意に突き出る触角を余分に数えたものであろう。
・「古方に醫を載せず」古い医学書には駆除法や治療法を載せない。
・「銀朱」赤色顔料の「朱」のこと。水銀を焼いて作り、主に朱墨(しゅずみ)として使用する。
・「陰汁の濕熱の氣化して生じ」また変なことを言っている。卵生なのに湿気からも生ずるというのである。また先のウィキの記載からも、「陰汁の濕熱」即ち、陰部臭や腋臭のもととなるアポクリン腺(apocrine gland)にケジラミが誘引されるという見解も今は疑わしい。
・「之れを傳染(うつ)る者、有り」性感染症の観点からこれは頗る正しい。私の偏愛する「病草紙(やまいのそうし)」(平安末期から鎌倉初期に描かれた人の疾患を描いた絵巻物)には陰虱(つびじらみ)を染された男が、陰部を丸出しにして仕方なく毛を剃っており、女(この女が一夜を共にしたところの感染源であろう)が背後で笑いながら見ている図が出るから、この感染形態は非常に古くから認知されていたことがよぅく判る。
・「速かに治せざれば、則ち、緣(は)い上(あ)がり、腋の下及び眉の毛に卵を遺す」これは現行の生態からも首肯出来る、正しい記載と言える。
・「醋〔(す)〕」「酢」に同じい。
・「草烏頭(うず)」ルビは「烏頭」にのみ附されている。有毒植物の一つとして知られる、モクレン亜綱キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属
Aconitumの塊根を乾燥させたもので、狂言の「附子(ぶす)」(但し、生薬名では「ぶし」、毒物として使う際に「ぶす」と呼んだ)で知られる漢方薬(但し、強毒性)である。
・「醫學入門」明の李梃(りてい)撰の医学書。全七巻・首一巻。参照した東洋文庫版の書名注に、『古今の医学を統合し、医学知識全般について述べた書』とある。ネット検索では一五七五年刊とする。
・「桃仁〔(たうにん)〕」バラ目バラ科モモ亜科モモ属モモ Amygdalus persica及びスモモ亜属Amygdalus Prunus節ノモモ(野桃)Prunus
davidiana の成熟した種子を乾燥した漢方薬。]