芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 宿命
宿命
宿命は後悔の子かも知れない。――或は後悔は宿命の子かも知れない。
[やぶちゃん注:――命は人力人智の及ぶ所に非ず。故に是れを天に歸し、「天命」と云ふ。天命なる上は天に任せ置きて人は只管(ひたすら)道義をのみ守りさへすれば、死生窮達(しせいきうたつ)、順受素行(じゆんじゆそかう)、驚くにも恐るるにも及ばず。――吉田松陰(文政一三(一八三〇)年~安政六(一八五九)年)安政二(一八八五)年十月十八日久保清太郎宛書翰。「順受素行」とはごく普通に受け入れられ、素直に行いをなすことが出来る、の意)
――宿命論が後悔を追い払うのは、人が出来ることを総てし尽くした場合に限る。――(フランスの哲学者アラン(Alain:ペン・ネーム:本名エミール=オーギュスト・シャルティエ Emile-Auguste Chartier 一八六八年~一九五一年)の「幸福論」(Propos
sur le Bonheur 一九二八年)より)
因みに私は「後悔」ばかりの人生であったが、一度として「宿命」を感じたことは、ない。残る僅かな人生に於いても「宿命」を感ずることは、ない。従って、私の「後悔」は「宿命」の親ではなく、しかも「宿命の子」でもない。されば私は「後悔」の単為生殖であり、テロメアによって終結するまで、死に至るまで続けられる「後悔」の分裂の群体に過ぎない/である。]
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