芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 理解
理解
會得するのは樂しい事である。僕に一番會得し易いのは、小説や戲曲の可否である。その次は俳句の内容である。その次は、――何とも云ふ事は出來ない。詩歌、書畫、陶磁器、蒔畫等、理解し足らぬものはまだ澤山ある。そんな事を思へばいやが上にも樂しい。淸少納言は樂しい事の中に、「まだ見ぬ草紙の多かる」を數へた。草紙は讀めば盡きるかも知れぬ。理解する樂しさは盡きる時があるまい。
[やぶちゃん注:・「蒔畫」「まきゑ(まきえ)」は、漆で文様を描き、金・銀・錫(すず)・色粉(いろふん:各種の素材から精製した粉状顔料)などを附着させた漆工芸。技法上から「研ぎ出し蒔絵」・「平蒔絵」・「高蒔絵」に大別され、絵以外の地の装飾としては「梨子地(なしじ)」・「塵地(ちりじ)」・「平目地」・「沃懸(いかけ)地」などがある。奈良時代に始まり、平安時代に盛んになった漆工芸の代表である。
・「まだ見ぬ草紙の多かる」「枕草子」の物尽くしの章段の一つ、「うれしきもの」の冒頭の、ある流布本の一本に、「まだ見ぬ物語の多かる、又一つを見て、いみじうゆかしう覺ゆる物語の、二つ見つけたる」とあるのに基づくか。]
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