芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 偶像(二章)
偶像
何びとも偶像を破壞することに異存を持つてゐるものはない。同時に又彼自身を偶像にすることに異存を持つてゐるものもない。
又
しかし又泰然と偶像になり了せることは何びとにも出來ることではない。勿論天運を除外例としても。
[やぶちゃん注:私はこれを読むと、芥川龍之介の久米正雄に宛てた形をとる公的遺書「或舊友へ送る手記」には最後に書かれた次の「附記」を思い出すことを常としている。
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附記。僕はエムペドクレスの傳を讀み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覺えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人(ひとり)だつた。
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ここに出る「エンペドクレス」(Empedocles 紀元前四九〇年頃~紀元前四三〇年頃)とは古代ギリシャの自然哲学者で、彼の死についてはエトナ山(Etna:イタリアのシチリア島東部にある活火山)の火口に飛び込んで神となったという伝承がある(因みに、かのドイツの詩人ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・ヘルダーリン(Johann Christian Friedrich
Hölderlin 一七七〇年~一八四三年)はこの伝説に基づき、戯曲「エンペドクレスの死」(Der Tod
des Empedokles)を創作している(但し、未完))。
・「了せる」「おほせる(おおせる)」。]
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