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2016/07/09

酒のサカナに肝臓薬   梅崎春生

 現代人はすこし売薬をのみ過ぎるのではないだろうか。

 そう言う私も、今書斎を見廻すと、酵母剤、肝臓薬、胃腸薬、消化剤、催眠薬、等々、十種類に余る売薬を常備しており、随時それらを食べたりのんだりしている。

 薬というものは原則的に、甘くもうまくもないものである。むしろ苦かったりまずかったりの方が多い。

 それを随時のむというのは、どういうわけだろう。きっとそれは習慣みたいなものに違いない。しかもそれは悪しき習慣である。

(と、ここまで書いて、頭をはっきりさせる薬を一服のもうと手を伸ばし、あわてて引っこめる。せめてこの一文を書き終えるまでは、売薬に手を出しては、文章の神様に相済まぬ)

 頭がぼやっとしているなら、神様に遠慮なんかせずに、はっきりさせる薬をのめばいいではないか、とあるいは人は言うだろう。ところが、ぼやっとはしていないのである。ぼやっとしているような気分がしているだけだ。

 胃が痛いのではなく、胃が痛いような気分がするから、胃腸薬をのむ。こなれていないような気分がするから、消化薬をのむ。すべてこれ気分である。

 気分で薬をのむのが、一番悪い。あれは製薬会社を肥らせるだけだ。気分でのむのなら、売薬より酒の方がよっぽど気がきいている。

 私の友達にも大の薬好きがいて、この間遊びに行ったら、皿の上に肝臓薬だの胃腸薬だのをきれいに盛りつけて、それを箸で一粒ずつつまんで食べながら、酒を飲んでいた。酒の肴にまで下落したんじゃ、薬も可哀そうだと思う。

「どうしてそんなばかな真似をするんだ?」

 と訊(たず)ねたら、いや、身体のために、とか何とか言っていたが、よく問いただしてみたら、薬を肴にしたって、二日酔いする時にはちゃんと二日酔いするのだそうである。じゃあ何のために薬を食べているのか判らない。

 だから現代人は売薬をのみ過ぎるというのだ。

 冗談を言うな。それはお前とかその友達とか、限られた一部の人間だけだ、という声もあろうが、そうではない。たしかに一般的にのみ過ぎている。

 私の家は東京都練馬区。新開地区であって、大根畠がつぶされて、どんどん家が建って行く。

 ひと渡りまとまって建つと、それらをめあてにして先ず開店するのが薬屋と雑貨屋などで、蕎麦屋だの風呂屋などはずっと遅れる。

 蕎麦だの風呂なんてものは、人間生活から切り離せないものであるが、そういう必需品に先立って薬屋が店を開くというのは、どういうことだろう。

 しかもその薬屋たちが潰れもせずに、一応繁昌しているところを見ると、それだけお客がついていることになる。これでも薬ののみ過ぎだとは言えないか。

 それからテレビを見たって判る。製薬会社がスポンサーになっている番組が、どんなに多いことか。

 うちでは子供たちの方が私よりも、テレビによって薬通になってしまって、たとえば私が仕事を終って疲労して、

「ああ、どうも少し血圧が高いようだ」

 などと呟(つぶや)くと直ぐに、古い河が泥で埋まるように血管にコレステロールがどうのこうのと、私に高血圧の説明をして呉れる。

 酒を飲んで二日酔いをしていると枕もとにやって来て、肝臓がどうのこうのと、うるさいこと果てしがない。

 こんなのを釈迦(しゃか)に説法というのか、負うた子に道を教えられるというのか。

 学校で教わることはろくに覚えないくせに、こんなことは直ぐに覚えてしまう。

 どうもテレビの売薬のコマーシャルを見ると、私は昔のお祭りの香具師(やし)の薬を連想して仕方がない。

 もちろん現代のちゃんとした売薬と、香具師の薬は違う。香具師のはいんちきで、今の売薬はまともなものであるが、どこが似ているかというと、番組がすむと、さあお立合い、てな具合に人物があらわれて、薬の効能をぺらぺらしゃべるところが似ているのである。

 香具師はごついおっさんで、テレビはたいていやさしい娘さんだとの違いはあるが。

 子供の私は銭を握って縁日に出かけ、香具師のさわやかな口上を聞いて、その薬を買いたくなることがしばしばであつたが、今私がわんさと薬を買い込むのも、半分はテレビのせいであるとも言える。

 そうすると製薬業者は、テレビにおいて、その所期の目的を果たしているわけだ。

 ほんとに昔は薬屋がすくなかった。薬屋がこんなに多くなったのは、終戦この方のことだと思う。

 私が生れたのは九州の一都市だが、その子供時代、薬屋にお使いに行くと、おふくろは私に駄賃を二銭呉れた。たばこ屋や豆腐屋に行く時は一銭なのだから、倍額ということになる。

 なぜ倍額かというと、薬屋が遠くにあるためで、薬屋が遠いということは、市中にそれだけ薬屋がすくないということになる。

 今の東京では、とても倍額というわけには行かない。せいぜい半額だ。

 そのかわり、昔の薬屋は堂々として.いて、老舗(しにせ)タイプが多くて、ごてごてと宣伝ポスターを貼り出すこともせず、もの静かに営業していた。現今の薬屋にくらべて、はるかに貫禄があった。

 もっとも少年の私は、しよつちゅう薬屋にお使いに行くことはなかった。二箇月に一遍か三箇月に一遍で、つまり市民が薬屋から売薬を買うことは、ごくめずらしいことであった。今みたいに、湯水のごとく薬をのむことをしなかったのだ。

 常備薬というと、富山の薬などで間に合っていたのではないかと思う。少年の私は何かというとひまし油をのまされて、うんざりした静見えがある。

 ひまし油なんて、私はこの三十年、のんだことはない。私の子供たちにものませたことはない。

 おやじの子供の時の苦労をしのばせるために、一度のませたいと思っているが、まだその機会がない。御承知の通り、あれはたいへんのみにくい薬である。

 それをのみたがらない子供の私に対して、おふくろはおどしつけるように言った。

「これなんかまだいい方だよ。肝油なんか、もっともっとのみにくいよ」

 これよりもっともっとひどい薬があるのかと、子供の私は人生に絶望しながら、涙と共にそのひまし油をのんだものである。

 ところでその上廻る肝油というのを、私はまだ一度ものんだことはない。経験のために一度のんどけば良かったと思う。何ごとも経験だ。

 でも、この間吉行淳之介に会った時、僕は喘息(ぜんそく)という病気に一度もかかったことはないが、経験のため一度かかってみたいものだ、と話したら、彼は突然すごい眼付きになって、人工的に喘息を起す薬がありますよ、と私をにらみつけた。

 彼はひどく喘息に悩まされた経験があるから、このような初心(うぶ)な甘っちょろい心構えに、腹を据えかねたのだろう。私はぞっとして、即座にあやまった。

 何はともあれ、吾ひと共に、売薬をのみ過ぎる傾向があると思うが、どんなものだろう。

 しかし、人工的に喘息を起す薬があるなんて、本当かしら?

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第六回目の『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年五月二十二日号掲載分。因みに、梅崎春生の死因(昭和四〇(一九六五)年七月十九日逝去)は肝硬変である。

 「ひまし油」漢字では「篦麻子油」と書く。「篦麻」はトウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ(唐胡麻)Ricinus communis のことを指し、その種「子」から採取する植物油の謂いである。但し、その強い毒性は必ずしもよく認識されていないと思うので(ごく最近、本邦で夫をこれで殺害しようとした妻が逮捕されたニュースを見た)、ウィキの「トウゴマ」から引いておく。『種子から得られる油はひまし油(蓖麻子油)』が知られるが、この『種にはリシン(ricin)という毒タンパク質がある』。『学名の Ricinus はラテン語でダニを意味しており、その名のとおり果実は模様と出っ張りのため、ダニに似ている。トウゴマは栽培品種が多くあり、その植生や形態は個体によって大きく変化し、あるものは多年生で小さな木になるが、あるものは非常に小さく一年生である。葉の形や色も多様であり、育種家によって分類され、観葉植物用に栽培されている』。『一属一種。原産は、東アフリカと考えられているが、現在では世界中に分布している。公園などの観葉植物として利用されることも多い』。種子は四〇~六〇%の『油分を含んでおり、主にリシノリン』『などのトリグリセリドを多く含むほか、毒性アルカロイドのリシニンも含む』。『トウゴマの種は、紀元前』四千年頃に『つくられたエジプトの墓所からも見つかっている。ヘロドトスや他のギリシャ人旅行者は、ひまし油を灯りや身体に塗る油として使用していたと記述している。インドでは紀元前』二千年頃から『ひまし油を灯りや便秘薬として使用していたと記録されている。中国でも数世紀にわたって、内用・外用の医薬品として処方されている。日本では、ひまし油は日本薬局方に収録されており、下剤として使われる。ただし、猛毒であるリシンが含まれているため、使用の際は十分な注意が必要である。特に妊娠中や生理中の女性は使用してはならない。また、種子そのものを口にする行為はさらに危険であり、子供が誤食して重大事故が発生した例もある』とする。ウィキの「リシン」によれば、リシンは『猛毒であり、人体における推定の最低致死量は』体重一キログラ当たりたったの〇・〇三ミリグラムで、毒作用は服用から十時間後程度で発生、その機序は『たんぱく質合成が停止、それが影響していくことによる仕組み』拠るとある。『リシン分子はAサブユニットとBサブユニットからなり、Bサブユニットが細胞表面のレセプターに結合してAサブユニットを細胞内に送り込む。Aサブユニットは細胞内のタンパク質合成装置リボゾームの中で重要な機能を果たす28S rRNAの中枢配列を切断する酵素として機能し、タンパク質合成を停止させることで個体の生命維持を困難にする』。『吸収率は低く、経口投与より非経口投与の方が毒性は強いが、その場合の致死量はデータなし。戦時中はエアロゾル化したリシンが、化学兵器として使用された事もある。また、たんぱく質としては特殊な形をしているため、胃液、膵液などによって消化されず、変性しない』。また、『現在、リシンに対して実用化されている』科学的に有効と断定される『解毒剤は存在しない』とある。

 「この間吉行淳之介に会った時、僕は喘息という病気に一度もかかったことはないが、経験のため一度かかってみたいものだ、と話したら、彼は突然すごい眼付きになって、人工的に喘息を起す薬がありますよ、と私をにらみつけた」「第三の新人」の作家吉行淳之介(大正一三(一九二四)年~平成六(一九九四)年:梅崎春生より九歳年下)は二十で気管支喘息と診断され(召集時で即日帰郷となるが翌年に再び甲種合格となっている。但し、召集前に終戦となった)、昭和二七(一九五二)年には肺結核も発覚するなど、多くの病気を抱えていた。満七十歳で肝臓癌により亡くなっている。

 「人工的に喘息を起す薬」梅崎春生は疑っているが、アスピリン(ドイツ語:Aspirin:正式名「アセチルサリチル酸」(acetylsalicylic acid)。代表的な消炎鎮痛剤のひとつで非ステロイド性抗炎症薬。「アスピリン」はドイツのバイエル社が名付けた商標名)や非ステロイド性抗炎症薬(Non-Steroidal Anti-Inflammatory DrugsNSAIDs:市販品を例にとるなら「バファリン」・「セデス」・「ノーシン」等が該当する)やNSAIDsが含まれる注射薬・座薬・湿布や塗り薬などで誘発される「アスピリン喘息(Aspirin-induced-asthma)」を考えるならば、ある、と言える。医学博士酒井康弘氏のサイト内の「アスピリン喘息(Aspirin-induced-asthma)」を参照されたい。]

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