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« 河畔に棲みて(一)~(九)   杉田久女 | トップページ | 河畔に棲みて(十九)~(二十七)   杉田久女 ~「河畔に棲みて」(完) »

2016/07/21

河畔に棲みて(十)~(十八)   杉田久女

       十

 

 透の就職について某實業家が愈々會見したいと云ふ知らせの來たのは十一月の中程であつた。其日は砂ぼこりの強い日であつた。透は妹に手傳つて貰つて、しつけを去つた新らしい羽織や袴を着た。

 肩幅の異常な迄ひろい中ぜいながらがつしりした體格の透は、髮も五分頭で、鬚も生えないたちなので打見たところ四十に二三年しか間のない男とは見えなかつた。

 すつかり仕度の出來た透は例の鞄の中から自分の名を書いた名刺だのハンカチーフの樣なものを取り出して袂に入れた。それから

「これは僕の運命の石だ」

と紫色の小袋に入れたものを内懷に祕めた。

アラまだあれを持つていらしたの」と房子も笑つた。

 それは透が前の會社へつとめる爲今日の樣にして重役へ會見に行く時、母が「これは運命の石ですよ、愈の時は袂の中で此石を握りしめて、しつかり談判なさい」と透に授けたもので、其實は何でもない唯の石だつたが其石が占をなして談(はなし)が整つたのであつた。透はその後十何年の今日も猶其石に因つて再び自己の運命を展かんとしつゝあるのであつた。落のない樣こまかい世話までやいて、緊張した透を送り出した房子は兄の歸宅のみが待たれた。明るい緣先で、房子は張板に赤や靑の布をつぎつぎに張りのばしたり、子供に乳を呑ましたり、割合にひま取る透を、何度も緣側から見やつたが透は晝近い頃やつと歸つて來た。[やぶちゃん注:最後の一文中の「何度も」は底本では「同度も」である。色々な読みを想定して見たが、このままでは読めないと判断、結果して、これは見た目から「何」と「同」の誤植と断じた。大方の御批判を俟つが、恣意的に「訂正」して示した。]

まあ御ゆるりでしたね」

 かう言つて飛出して行つた房子は、兄の顏を見た瞬間ホツと安心した。砂ぼこりでしろくなつた繻子の足袋をハンカチーフで拂つてから玄關を上りつゝ、

「歸りは電車に乘らずブラブラ來たから……だが隨分あるね。O坂の峠茶屋で田舍餠をパクついたが腹がへつてたせゐかうまかつた」透は機嫌よくこんな事まで言つて、房子の長女を笑はした。袴や羽織をぬぎすてゝ井戸端へ顏洗ひに行く兄の後から房子も追かけて色々と會見の樣子を聽くのであつた。

「行つたら客があつてね二十分程應接室にまたされたが……」

 某氏は氣易げに面會して今迄の職業だの、どういふ目的で當地へ來たのかと色々と聞いた。透は、當地方の有望な事をきゝ是非腕一本で働きたい。最初から多大な地位はのぞまないから腕ののばせる場所で働き度い希望をのべた。某氏は、唯今といつても空もなし自分は直接雇員の事については關與せないが近日中一方の長たる者へ紹介するから何とかなる事と思ふとの話しで、會見の時間は約四十分位だつたさうな。絹物づくめでもなく一見書生つぽの樣な風體の透の落付いた、そして急所急所に要領を得たキビキビした言葉などは、某氏に初對面の好感をあたへた樣で、

「履歷書も方々からこんなに澤山來てゐますが鈴木氏(良三)からの特別な依賴ある事ですからつて見せたがね、成程澤山來てるわい。まああの口付では十中八九は大丈夫だね」

 柔術できたへ上げた腕節を力(りき)ませつ透は得意げに笑つた。自分の談判の成功を誇る樣に……

 夕方良三は、細長い體をヒヨイヒヨイ飛ぶ樣な步み振りで急いで歸つて來ると、

どうでした、今日の結果は」と直ぐ透にきゝかけた。

やあお歸りなさい。まあ先達の話と大した違ひもないんですが」

 透はにこにことまた繰り返して話し出す。

「伯父さんはね。歸る時田舍のおばさんの店でお餠を五つもめし上つたのよ」と傍に遊んでゐた澄子が言つた。

それはよかつた。安心しました。十中八九は大丈夫でせう」

 良三はかう言つて成功を確信してゐるらしくうなづいた。

 

       十一

 

 會見の次第は直樣東京へ房子から知らしてやつた。そして三人共成功をやゝあてにして次の會見を待ちつゝ暮らすのであつた。

 釣は相も變らず每夜根氣よく續けられた。透のは、この禁欲的な世間と斷たれた淋しさ退屈さを紛れる爲めの魚釣であつたが良三のはほんとに好きの爲めに釣るのであつた。秋が深く成つて其邊一帶の岡の上にも河畔にも、櫨(はぜ)が紅葉し、河原薄は薄樺色に陽にかゞやき、野菊の花は星の樣に無數の花を至るところに點じてゐた。河原に橫たはる澤山の船も、遠山も、田も、房子の家を取り卷くすべての自然界のものは皆驚ろくべき高調な「秋の色彩」をのべて、どこを切り離しても皆これ立派な水彩畫であり、油畫であつた。けれども畫かなくては成らない畫家の良三は、終日の疲勞に、歸宅してからはもう再び繪筆を取る程の根氣はなかつた。俗務に追はれ、俗人にしひたげられつゝ不快な沈んだ顏色をして、裏金のついた重い靴をひきつゝ河畔を歸つて來る事もあつた。十年間彼は眞に感興にそそられて筆を取つた事など一度もない。スケッチ板は塵にまみれ、たまたま調色板にひねり出される繪具は皆、畫かないではかたくなつてしまふのであつた。忙がしい職務の爲のみでなく苦勞なしに育つて來た、相續者の地位にある彼れは、格別あせつて繪をかく氣にもならなかつた。一つには彼の體質が華奢過ぎる程、華奢に出來てゐるからでもあつた。天氣の好い日曜日など朝から海釣りに行かうとして、餌を買ひ步いたり、丹念にテグス(釣糸)や釣針のしまつをしてゐる良三を見ると房子は何だかあんまりな樣な心地がした。[やぶちゃん注:底本では第二文の「紛れる」の右に編者による、ママ注記がある。「調色板」は「てうしよくばん(ちょうしょくばん)」でパレット(フランス語/英語:palette)のこと。]

「釣にばつかり行つてらしてちつとも御畫きなさらないのね」妻の房子にこうづけづけと言はれるのが良三は一番氣がねだつた。外に道樂もたのしみもない良三には、房子のつくつて呉れる西洋料理を食べる事と釣とが最大の慰籍なのであつた。

「いゝぢやないか。活動一つゆかないんだもの、さうヤイヤイ言はれたつて繪なんかかけるものぢやあないよ」鉛の重石を作つてた良三は、頰の生えさがりつづいてゐる頰ひげの邊をなでつゝ定つてかう答へるのであつた。[やぶちゃん注:「定つて」「きまつて(きまって)」。]

「すきなものは釣るがいゝよ」

「何も、大した費用がかゝるのでもないから。道樂としてはよい道樂ですよ」机に頰杖突て見て居つつ透はいつも良三の方のひいきした。男同士二人は至極仲よく、釣の話を取交した。房子は現實生活の貧しい爲めにも時々は色々な佗しさを見出し、おなじお茶の水出の友達が皆社會の上流に屬する生活をしてゐるのに、自分丈がかういふ光彩のない生活の中に、貧とたゝかつて暮すと云ふ事を淋しく思ふ日もあつたが唯感激に生きてゐるといふ樣な彼の女は、夫等の苦勞よりも、惰性で活きてゆく樣な沈滯した中に、唯平凡と安逸とを貪つて暮して行く、そして輝いた藝術品一枚も畫かないで、次第次第に教師型になつてゆきつゝあるといふ事の方が悲しかつた。

 彼女は、只一圖に藝術的な生活を求め度いと夫のみ願つた。光輝ある藝術家として夫が立つならば富も入らない。榮譽も欲しない。

 彼女は、海軍中佐夫人になつてゐる彼女の實姊に貧しさをそしられた時も、決して貧と云ふ事を恥かしいとは思はなかつた。幾多の勳章のかがやいた胸よりも、彼女の爲めには唯一枚の畫、唯一本の繪筆を手にしつゝある藝術家を貴しと見たからである。彼女の大きな目は、美しい空想の爲め、黑曜石の樣に輝いてゐた事もあつた。又房子自身の性質も、まるで空想と詩との權化の樣なものであつた。よく悲しみよく泣き、よく大自然の懷に入つて、樂しむ事が出來た。倂し夫の良三は、趣味の人でもあり、淸淨な人格者でも有つたが、家を繼ぐと云ふ事を温厚な彼れは第一の目あてとしてゐたしどちらかと言ふと常識の勝つた堅くるしい人物なので、白熱的な藝術欲はなかつた。

 

       十二

 

 九年間是といふ病人も家内になし、平々凡々で押し通して來た彼等夫婦は、外出といへば必ず一緒に出る、客が來れば房子も出てもてなす。彼等の仲間でも一番幸福な家庭とされてゐた。又實際係累はなし、大した波瀾もなかつたし郊外に住んで、すきな野菜や花をつくつて樂しむ事の出來る彼等、繪についても四季の自然についても充分理解をもつた妻の房子と語り得る事は良三の滿足でもあつたし、何一つとして二人の間には祕密もなくほんたうに力と成りあふ世の旅路の伴侶であつた。けれども長い生活の斷片を底の底迄とり出して見る時、そこにはさうさういつもいつも平和のみは漂つてゐなかつた。不平もあれば爭もあつた。殊に房子は感じ易い非常に鋭敏な神經をもつた女で、天氣が曇れば心も曇る、浪の音をきけば孤獨に泣くと云ふ樣な、體は良三よりも丈夫なよい體をもつてゝ肉體に何のわづらひもない身でありながら心は絶えず樣々の感情に動搖されてゐた。

 姑息な沈滯した教師生活も嫌ひだつた。夫の繪をすこしもかゝないと云ふのが先づ第一番の不平だつた。相續者の妻としてあの汽車から何里か奧へ這入つた、山村の暗い大きな家に入つて因習と舊慣の中に多感の身をうづめねばならない運命に步一步近づきつゝあると云ふ事も彼女の爲には堪へがたい不安であつた。神を想つて信じ得ず、現實化しようとあせつても物質のみでは安心も出來ず、かと言つて世に對する執着もつよし奔放な思想にもかられた彼女には到底かゝる微温的な空氣の中に、憂愁なしには暮してゆかれなかつた。柔順(おとな)しい夫と、愛すべき子とにかこまれつゝも彼女はしきりに孤獨と憂欝に浸る事もあり、事ある每に、現實生活の不安を覺えた。他人に對してはめつたに爭つたりしない良三も母の死後家庭の紛爭などの爲めめつきり此頃は怒りつぽくなつて、一時赫つとする事もよくあつた。

 何でもないことで夫婦は、其針の樣な神經をお互に打ふるはしつゝ爭ふ日もあつた。

 でも透がこの家へ來てからは夫は妻の兄の手前爭つた事などめつたになかつたが何かの拍子で房子が夫に不平を洩した爲め良三はまつかになつて怒つた。それは夕食後の灯の下だつた。

 怒つたが良三は妻の兄の手前激しい言葉や罵る樣な事をする男ではなかつた。唯細面の顏を引しめて、

「どうせ僕は意氣地なしだから樫村さんの樣な出世は出來ない」と取つて括りつけた樣言ふのみであつた。樫村と云ふのは房子の姊の嫁入つた姓であつた。

「私だつて隨分長い間苦勞も心配も辛棒もしてますわ。何も私は勳章がほしかつたり月給の高いのを希望むんぢやあありません。もつともつと貧しくてもよいから、意義のある藝術生活に浸りたい……」

 房子は目にいつぱい涙をためて言つた。良三にも房子が虛榮の女でなく隨分辛棒してゐるのは判つてゐた。でも、彼女は時々我儘だ、あまり瞑想家だと心の中に思つた。

まあいゝぢやないか、喧嘩したつてしかたがない。何とかかんとか言つたつて君達の家庭は幸福なものだよ、子寶はあるし、國には財産もあるし、房子さんも、すこし位の事は女の方で折れなくちやあだめだ。僕の樣に酒も女もといふ夫でもやつぱり仕方がないんだもの。やつぱり家庭程よいものはないよ」

 透はかう呑み込んだ樣言ふのであつた。

 

       十三

 

 例の返事はまだ何とも無かつたが大概は成るものと安心してゐたので、再會見の通知を只管まつのみで其他の運動はしばらく手びかへの形だつた。

 河畔の家には每日每日柿や茸を賣りに來た。

 柿の好きな兄の爲め、房子は柿賣の女を門前に呼びとめて、柿を選る事も度々であつた。或日はゆるんだ樣な表情となり、或日は非常にまた印象のゆたかな顏ともなる大まかな彼女はきれいにお化粧して、漁師町に近い店々へ、兄や子供のおやつを買ひにゆく事もあつた。

 實費として食費を東京の父から每月十日前後には送つて來た。

 明確に何錢何厘と兄一人のものを割出すなんて事も出來なかつたし勿論兄の食費としてはそれは充分であつた。倂したとへ親身の兄でも一人殖えて見ればどこそこそれにつれて家の者の方も、體裁をまさねばならぬわけで、金錢には淡泊な房子もさういふこまかしい遣繰にひとり侘しい思ひを抱いた。實際每月のをはりにはすこしづゝの不足が出來て來た。一軒にゐてさうさう切り離す樣にも出來ない場合もあり、兎角生計が切り込みがちであつた。夫れに透は、布團も自分で敷く、顏洗ふ水も汲んで洗ふ風呂水も每日汲みこんでくれるし手のない時は赤ん坊も抱へてはもらへるけれども、それでも男一人殖えた家庭は洗濯にしろチヨイチヨイした雜用にしろ目にも留らぬことの爲め房子は朝から晩の十時過迄クツクと働かねばならぬ。

 五人家内の世話を手一つでしてゐるので、そろそろぬけそめた髮の毛の手入れなどもゆるゆるするひまはなかつた。

 川霧が降る樣に下りる晩も相變らず橋の上で釣つてゐた。

 子達を寢せつけてしまつた房子は、燈の下に夜なべの冬着をひろげつゝせつせと縫ふのであつた。

 時々、町の方へ行く電車が海邊の方から近づいて、停つては又靜かに走せ去る音を聞くのみで、田舍の夜はひつそりとしてゐた。

 臺所の竃の邊には、夜每にきゝなれた蛼(こほろぎ)が、引き入れられる樣な聲でとぎれとぎれにないてゐるのであつた。此頃から透にすゝめられて俳句と云ふものを作り初めた彼女は、虫の音をじいつと聞き入りながら、それをどういふ風に現はさうかなどしきりに考へるのであつた。或時には髯の長い虫が、パタリパタリと疊を飛んで來て句想にふけつてゐる房子の直ぐ前へじつとつくばつてゐた事もあつた。彼女は直ぐそれを「灯にぬへば鬚長き虫の默し居たり」などゝ調も何もかまほずそして出來次第無數に手帳に書き入れた。[やぶちゃん注:「灯にぬへば鬚長き虫の默し居たり」現存する実際の杉田久女の(リンク先は私の作成したPDF版全句集)にこの句はないが(これは小説であるからなくても不審ではない。また実際の句であったとしても、最初期のものであるから、後の久女の意に沿う句ではなかった故に句としては抹消された可能性も高い)、類型句に「蟋蟀も來鳴きて默す四壁かな」があり、初五の相似句では「燈に縫うて子に教ゆる字秋の雨」がある。因みに、杉田久女は「灯」と「燈」を句に於いては厳密に使い分けているので、本篇では底本の「灯」は「燈」としていない。]

 かうした靜かな彼女を再三驚かすものはけたたましい、くゞり戸の鈴の音だつた。

「房さん房さん。一寸灯を見せてくれ大きな奴がかゝつた」

 それは透の時もあり、良三の時もあつた。房子が蠟燭をつけて持つて行くと、氣味の惡い程大きい鰻のヌラクラもがくのを、ギユツトおさへて片手に、呑まれた針を引出したりしてゐた。或時は又川底の牡蠣殼や芥などに、糸を引かけて切つてしまつたりして、糸の附け替へに歸つて來る事もあつた。房子が仕事をかたづけて、兄の布團を六疊の間にのべたり、食卓の上に、二人が歸つて來てから一寸一口飮む爲め、殘りものゝ肴でも用意して、先に寢るのは十一時ごろであつたが、雨降りの夜か何かでなければめつたに其頃歸つて寢る事は、二人ともなかつた。二人の羽織の袖口の邊には鰻のヌラヌラが白く光つてゐた。

 よく釣れた夜は二人のをあはして大小十七八本も釣れた。中には一本で百目以上のが四本も交つてゐた。落鰻とはいふものゝ上手に料理すればたしかに、玄海灘一本釣のピチピチした鯛でもうなぎの味には適はない。[やぶちゃん注:「百目」三百七十五グラム。]

 

      十四

 

 鰻を料理するのはいつも透であつた。房子は火をバタバタ起した。兄妹は俳句のはなしや、もう某氏の返事もありさうだと云ふ事などそれからそれへと語りつゝ陸じく蒲燒をこしらへた。

 透も漸やう河畔の家に馴れて今は漂浪らしい淋しさも薄らぎ時々に寂寞を感ずる事もあつたが次第に落付いた心地に成る事が出來た。

 兩親――殊に母――には退屈まぎれに近況など始終知らせた。

 父からは例の如く、べからず流の謹嚴一方の訓戒めいた手紙が來たが母からの代筆はこまこまと家の事情や、一日も早く就職の定まるのを待つてゐる事や、近頃透から母へ宛てた手紙は以前の樣でなく大變優しい手紙で一同喜んでゐる。

 どうか早く母に安心の道を確定させてくれと云ふやうなことが認めてあつた。そして「某氏の方も有望らしけれど萬一不成立の時が無いとも限らぬ故御氣の毒ながら口は處々へかけて置いた方がよい」などゝも書き添へて在つた。透も、隨分志望者も多い世の中だから八方賴んでおく方が大丈夫だとの意見で良三に兄妹で言ひ出して見た事もあつたが良三は此頃つとめの方が每日忙がしかつたりして寸暇のない爲め、も一つは、

「あの人があれ丈迄斷言してゐるのだもの十中八九は誤りない」

と言つてあまり他へは手をひろげなかつた。恰度、其炭礦家の某氏が用事で上京されたりした爲め一層其方は延期された。透は節酒の苦痛もここへ來たて程ははげしく感ぜぬ樣成つたし釣等も非常によい影響をあたへた。知人もなし行き場所も見るとこもないK市の事故長年都會生活の強い濃い人間味の勝つた生活から急にこの、自然の懷に立ち返つた樣な日每日每。

 比較的精神的な良三夫婦の單純な質實な生活に入つたと云ふ事は透をしてたまたま現實の生活から脱し多少なりとも自己を反省し考慮し得る絶好の時であつた。彼は學校を出て今日迄唯酒や女や權勢富等の外に頭をつかふ事は餘りなかつた。靜かに瞑想する事もない。いつもいつも刹那刹那の歡樂を追つかけまはしてゐた。此頃の樣に頭を澄ませて超然と魚釣をしたり自然を觀察したり、何物をも澄んだ心持で見得る樣な頭に成り得た事は絶えて無かつた。さういふ意味から考へて、透の境遇が一時かゝる淋しいものに陷つてゐると云ふ事は却つて喜ばしい事であつた。

 透は精神的に生きるのである。たとへ前程のパツパとした生活はしないでも眞面目な、眞實味の籠つた態度で兄が生きる樣な事ならその方が遙に貴いと房子はかう考へたので有つた。透は朝早く起きて海邊を散步する。夜は外出など絶えてした事なくてでつぷりとつき出した下腹に力を入れて腹式呼吸をしなくては寢につかなかつた。[やぶちゃん注:太字「かう」は底本では「う」にしか傍点がない。傍点の脱落と断じ、特異的に「か」まで太字とした。]

「此頃は食事が大變うまい。夜も實によく寢る」

と彼はかう言つて、逞ましい肉付の肩の邊を撫でまはした。

「兄さん、いらした頃よりずつとお肥りなさいましたわ」

と房子は兄の立派な體格を見て言つた。

ウン。風呂へ行くと漁師達があんたの腹はどうしてさう太いのぢやと先日も聞くから腹式呼吸の事を話してやつたら感心してたつけ……」と透は笑つた。

 兄妹が何かと秋の夜の燈下で語つてゐる側に、良三は長く成つてうたたねしてゐる事が多かつた。

 さうでない時はそろそろ始りかけた試驗の採點などで追はれつゝあつた。

「房さん、ちつとは出來たかい。見せてごらん」

と透は時々催促しては、房子の俳句帖を見てやつた。其中にはまだ幼稚なものが多かつた。透は之に○だの◎だのつけて添削してくれた。彼女は忙がしい家事の傍ら或時は赤ン坊に乳をふくませながら或時は土堤を步みつつ作句するのであつた。

 

       十五

 

 河向うの堤の櫨もいつの間にかすつかり散つて、特殊な枝振をした其枯木のみが潮の引去つた河原の破舟の上へさし出てゐたりした。お宮の松の下邊には菜の綠色がのべられた。或朝丘の上の木の雜木や櫨の葉は一度にどつと散りつきて、雪を頂いた、紫色の三角形した帆柱山をはつきりと丘の背後に見出した事もあつた。

 刈りつくされた淋しい田の面。

 眺めの展けた田畠のここかしこを縫ふものは唯菜畠の生き生きした綠のみであつた。夜每に川面は深い霧がこめて沖へ出る船の艫聲や漁具などを船底へ投げつける音などもポツトリと聞えるのであつた。寒くなると此川上へ上つて來て――丁度房子の門前のところに ――海風を避けて冬中を凌ぐ烏賊(いか)舟の老船夫、それは家も女房も子もないほんとにひとりぼつちで此半分朽ちかけた小舟を一年中の家として住んでゐる侘しい老人だつた。外の船は皆出拂つた夜も此老舸子の舟一つは、苫の中からチラチラと灯かげをのぞかせて、どんな寒い夜も風の夜も此船の中に寢るのであつた。暗い寒い堤をコツコツと往來する人々は船を石崖にひつつけコトとも音のせぬ此すきまだらけの苫の燈を見て如何許り淋しい感に打たれる事であつたらう。河へ塵捨になど出る度房子は唯一つの此灯を暗い河面に見入つて、時には咳入るのさへも聞くのであつた。雨が降ると爺さんは柄の長い柄杓で船中にたまる水を搔い出してゐた。いつも頭に頭巾の樣なものを被つた、つぎはぎの胴着をきた赤銅色の小さい爺さんは、漁師町の方へ章魚などさげて賣りに行く事もあり、往來の人に馬刀貝(まてがい)を賣り付けてゐる事もあつた。ねぎられでもすると、

「當世は米だつて薪だつて前の何倍もする世の中だ。あほらしい考へて見んさい」老船頭は一こくにぶりぶり怒つて笊を仕まひ込んでしまふのであつた。薪を一把だの、小さい德利の石油壺をかかへて漁師町の方からトボトボ歸つて來る彼を見る夕方もあつた。[やぶちゃん注:「舸子」「かこ」舵取り。漁夫。「苫」は「とま」で、菅(すげ)や茅(かや)などで編んで作った舟覆いや、漁師が雨露を凌ぐのに用いる仮小屋のこと。]

 これらの舟にも老船頭の哀れな有樣にも心をひかれた房子は、見るもの聞くもの皆彼女の句の中に取り入れ樣と不相應に焦つた事もあつた。

 出嫌ひで瞑想好きの房子には拙いながらも俳句は忽ちに大好に成つてしまつた。河畔の家に東京の俳句雜誌が其後は每月配達される樣に成つた。

 夜寒がヒシヒシと迫つて來て、寒がりの透は、ぬいだ着物から座布團迄、布團の裾において寢る樣に成つた。荒れた庭の枯蔓はひまひまに透の手でひきはがされて川へ捨てられて、急に明るくなつた替り庭の面はあらはな寒さを覺えた。葉鷄頭も今は立ち枯れて、まつ赤な葉を朝々の霜に散らすのであつた。菜の成長も遲々として目立たぬ樣に成つていつた。

 生れて間もなく腸をいためたりなどして弱々しかつた赤ん坊は房子の乳の足りない爲めに尚更肥る事が出來なかつた。二つの乳はあふれる程張つた事は決してない。

 少し呑んではやめる。直きお腹がすく。また泣く。寢てもすぐ目がさめた。だらしなく呑むので腸もよくいためた。牛乳を補ひとして用ゐた事もあつたが結果がよくなかつた。乳の不足といふ事が一番の原因でよその子のドンドン肥つてゆくのに此子はいつ迄も生れた時の大きさと大差なかつた。榮養不充分の爲め一寸した呑み過しにも、衰弱した身體はぢき故障を起し易かつた。人形の樣な目鼻立の色白い此子は又人形の樣小さく髮の毛はシヨボシヨボと赤く少し生えてゐるのみであつた。[やぶちゃん注:「シヨボシヨボ」の傍点は三文字にしか附されていないが、下の三文字にも及ぼした。]

 

       十六

 

 人一倍子煩惱な房子が何故、此赤ん坊の榮養不足に心づかないで打すておいたものか。隨分久しい間、かはいさうに赤ん坊はいつも腹いつぱい母の乳を吸ふ事なしに飢ゑがちに暮して來た。全く房子の誤りであつた。

「なぜ此子はかう小さいでせうねえ。ちつとも大きくなりませんのね。どこか惡いのではないでせうか」と房子はそれでも度々氣にかけて夫や兄に話したが、

なあたちだよ。死(な)くなつたお婆樣みたいに小さなたちだ」と夫は無造作に答へた。

「房さんみたいに心配してゝは仕方ない。人間の子なんて、そんな弱い者ではないよ。別にどこつて惡いとこもなささうではないかね」と透も笑つた。

 さう言はれゝばそんな氣もしたが湯に入れる時など裸にして抱き上げると皮膚は靑白くて胴のまはりでも足でも人形の樣に小さくいたはしい樣な心地がした。一寸した物音にもよくおびえて、目をさました。房子は夜晝となく赤ン坊の寢てゐる時は話聲さへ氣をつけた。

 だけども度々目をさましてチビチビと呑むので夜中赤ン坊も母親もぐつすり寢込むと云ふ事は殆どなかつた。秋空の樣な澄んだ目をもつては居たが赤ン坊は實によく泣いた。その聲は小く疳高であつた。[やぶちゃん注:「チビチビ」の傍点は二文字にしか附されていないが、下の二文字にも及ぼした。]

 語る事の不可能な赤ン坊は、此悲しい泣聲によつて絶えず周圍の人々へ飢を訴へるのであつたが周圍の者は唯無意味な泣聲としか受取らずに、

みいちやんはよつぽど泣きみそね」と笑ふのみであつた。

 母親たる房子の不注意は勿論である。が母も父も、肉親の子の泣聲に耳を傾ける暇もない程一方には又兄の爲め朝に夕に心を勞した。その心勞もテキパキと外面にはあらはれてはこなかつたけれど、彼等夫婦は透と共に愁ひ、透と共に樂しむので、透の一身上の事が定まる迄はあけてもくれても、頭の上にものが押しかぶさつて居る樣で、氣に成つた。

 が房子には、何となく不健康な我子の樣子が朝夕直覺された。

 よその人の抱いてゐる赤ン坊を見かけると風呂やでも電車の停留所でも、

まあ御宅のお坊さんはいつお生れなさいましたの」とのぞき込む樣に問ひかけて、我子と見くらべるのであつたが彼女の赤ン坊より後に生れたと言ふ子らも皆クリクリと肥つて健康さうに笑つてゐた。房子は羨ましげにつくづくと見入る事が度々だつた。[やぶちゃん注:「クリクリ」の傍点は二文字にしか附されていないが、下の二文字にも及ぼした。]

 乳の不足と云ふ事は氣付なかつたが房子の赤ン坊をいたはる事は非常であつた。風の強い日は滅多に外へも連れて出なかつた。

 自宅で湯のない夜は冷たい子の手足を、湯をわかして温めて寢かした。海からの荒い風が絶えず吹きつけるので、夕方などは門口より外へは踏み出さなかつた。

 風邪一つひかなかつた爲め此日陰の花の樣な弱々しい小さな小兒は幸ひに、母親が、養育方針のあやまつてゐた事を氣付いて、醫者へ行く樣に成る日迄、奇蹟の樣に病氣もせず、いぢけたまま生きて行くのであつた。

 全くそれは天佑の樣なものであつた。もしこの弱々しい體に何等かの障りがあつたならこの子は、たやすく失はれてゐるのであつたらう。

 長女の澄子は、丈夫になつて每日空風にふかれつゝ茨の實や、薄の穗をぬいて外でのみ遊んでゐた。

 近所の下品なませた友達の中には入つてわるいくせを覺えるのを彼女は何より恐れたがそれは到底せきとめ得る事ではなかつた。遠く遊びに行つて歸らぬ澄子を案じて房子は、そここゝと長くく探𢌞る事も度々だつた。

 

       十七

 

 房子達が去年こゝへ移つて來た時、前の人の飼つて居た老猫がひとり此家に殘つてゐた。猫の好きでない房子は、格別憎みもせず、三度の食物は規則の樣に與へて居たが、家の中に上る事は絶對にさせなかつた。家付きの猫は唯食ブチをもらつてゐる許りで一向家人とは沒交渉な暮しをしてゐたが此年の夏、房子が産をする十日許り前に五疋の子を生んだ。

 長女を産する時大變重い産をした房子は此度の産で私は死ぬかも知れない、などゝ始終言つてたし里の母もわざわざ心配して遙々來て呉れる程で、良三も口に出しては言はなかつたが心配してた。そこへ安々と産をした猫を見て皆、よい前兆だと嬉しがつた。

 房子の産も今度は大變安々とすんだ。

 そのうち親猫は、每日猫の巣につききつて眺めてゐる長女を怖れたのか、又は時々來る洋犬を怖れたのか、或夜の中に五疋の子猫をつれていづこかへ行つてしまつた。

「親猫がかみころしたのではないかしら」

「犬にたべられたのだらう」

と皆は口々に噂して、生れた許りの子猫を案じた。しかし親猫は時々歸つて來ては、ものほしさうに土間につくばつて居た。其乳房はふさふさと垂れ下つて今も尚ほ子猫達に乳を呑ましてゐる事は判明した。猫の皿に食ものを入れてやるとさもお腹がすいた樣に、一粒も殘さずねぶつてしまふのであつた。そして又どこか出て行つた。

「子猫をどこかにかくしてゐるに違ひない」と皆は言ひあつた。

 二十日許りたつと、猫は、ぞろぞろ五疋の子猫をつれて、戻つて來た。暫くの中に子猫は皆大分大きくなつてどれこれも、可愛い顏をしてゐた。たつた一つ三毛のがゐてあとは四疋とも黑の斑があつた。犬をおそれて、土間に箱をうつしてやつたので子猫は、下駄にじやれついたり、コロコロかさなりあつて遊んだり下駄箱の橫に尿をしたりした。澄ちやんは、每日猫を抱いたりおんぶしたりして子猫と遊んだ。

 透が來て後も相變らず五疋の子猫はもらひ手もなし、親の乳をしやぶつてごろごろしてゐた。

「猫はきたないね。こんなに澤山居たつてしかたがないから捨てたらどうだ」と透は言つた。

「もうすこし大きくなつたら捨て樣と思つてるのですけど、まだ、何だか可愛さうですから」と房子は答へた。

「そんな事言つてゝは仕方がないよ。すてるなら今位ゐが丁度よい。僕が持つてつて捨てゝやらう」

 澄子も猫をすてるのは嫌だつたが、何疋も居てはあの一番きれいな三毛が肥らないと言はれて其氣になつた。そして或朝捨てにゆく伯父さんについて行つた。

 透は三疋の猫を風呂敷に包んで河向うの人家の傍へ持つて行つた。

 そして風呂敷から出してやると子猫達は自分の運命の迫つてゐる事も知らず、いつもの樣に三疋コロコロ上下になつてふざけまはつてゐた。澄子は持つて行つた、小皿の御飯を側において、子猫のなめにかゝつたのを見捨てゝ家へ引揚げた。其夜は、宵からしみる樣な時雨が絶え間なしに降つて、房子には、三疋の子猫の事が忘られなかつた。母親もしきりに、失はれた子猫を探しまはつてゐる樣子だつた。

「時雨るゝや松の邊に捨てし猫」房子は十燭の燈の下に、縫ひながら、捨てられた子猫の運命。何となくひよわな自分の子の事などがつぎくに考へられて、こんな句を手帳に書きつけた。[やぶちゃん注:この句に相当する句は現存の久女の句には、ない。]

 淋しい心地で猫の箱をのぞいて見ると猫は丸くなつて、親子寄りそつて暖かさうに淋しさうに寢て居るのであつた。

 

      十八

 

 それから一週間許りすると透は再び親猫と、も一疋の子猫とを捨てに行くと言ひ出した。家付きの親猫だしあとに一疋限りとなる三毛が可愛さうだ、と房子も言つたけど、透と良三は、

「なあに、こんな老猫はもう捨てた方がいゝよ。おまけに女猫だから又産むとせわだ」と言つた。

 房子も強ひて止めはしなかつたので遂々家付の猫は自分自身も、子等と離れ離れに追放される事となつた。透は例の通り風呂敷に親子二疋の猫をつゝんで、電車で、市中の、それも海邊裏のゴタゴタと小家がちな、とある路次へ持つて行つて捨てゝしまつたので再び歸つては來なかつた。恐らく二疋のものは、泥棒猫にでもなり終つて漂浪してしまつたのであらう。後にはいよいよ三毛がたつた一疋となつた。三毛の首には美しいよだれかけがかけられた。三度のご飯の上には鰹節をまぶつてやつた。けれども、今迄親の乳のみ吸つてゐた三毛は、あまりご飯をたべ樣とはしなかつた。彼はいかにも淋しさうにポツンとして、畜生ながらも戀しい親を探す樣ニヤアニヤア鳴くのであつた。[やぶちゃん注:久女はこの「三毛」を「彼」と呼称しているが、三毛猫は性染色体に依存する伴性遺伝の典型例で通常、♀は殆んどいない。ウィキの「三毛猫」によれば、オスの三毛猫が生まれる原因は、クラインフェルター症候群Klinefelter's syndromeと呼ばれる染色体異常(X染色体の過剰によるXXYなど)やモザイクの場合、そして遺伝子乗り換えによりO遺伝子がY染色体に乗り移った場合に限って出現し、三毛猫のクラインフェルター症候群の♂の出生率は三万分の一しかない。そうした奇形個体でなかったとは断言出来ないが、この「三毛」(確かに三毛であったなら)は♀だったと考えた方が自然であり、それは外見上、容易に識別出来るから、寧ろ、ここで久女がこの「三毛」を♂、男として扱っているのは久女の病跡学的な興味、精神分析学的興味を私には喚起させるものである。]

 美しく毛を洗つてやり度いと思つてもそんな暇もなし、それにどうしたのか三毛の目は、だんだんやにが出る樣になつて、クシヤクシヤした、穢らしい目になつてしまつた。體のクリクリ丸かつたのが何だかゲツソリと瘠せて來た。

 房子が下駄をはいて土間へ下りる度、人戀しさうに、ニヤアニヤア鳴いて、着物の裾にすりつけて來る樣は哀れつぽく見えたがヤニだらけの目や竃の灰によごれた體を抱く氣にもなれなかつた。

 澄ちやんさへ此頃はもう抱かうとはしなかつた。男達は、見向ても見なかつた。ますます孤獨な子猫はやせおとろへた體をシヨンボリと、日もさしこまぬつめたい土間にすゑて、ひくい聲でニヤアニヤアないて居た。ぬくもりのさめぬ竃には入つて丸くかゞんで寢る事が子猫の爲めには一番の樂しみであつた。フチの缺けた小皿には忘れず、食物を入れてあつたが子猫はペロペロすこしなめて見て直ぐ、竃の中へかくれてしまふのであつた。

 夜寒がつゞくと子猫はますます淋しい有樣と成つて行つた。彼には唯親のぬくみと乳とを慕つたが冷たい土間と冷たい臥床が有るのみで長い夜中の寒さに、血の氣の少ない身を堪へがたかつた。けれども家の中には絶對に上げなかつたし哀れな猫の子はキツチリしめられた障子を押し破つては入る程の元氣ももうなかつた。

 房子はさすがに哀れに思つて日中は、箱に藁をあつくして其中に入れたまま庭の日當りにひなたぼつこをさせてやつた。子猫はそろそろ這ひ出して枯れた菊の根をごそごそ步いたりしたが大きな犬が垣根からは入つて脅かされる事もあつた。ツンと兩耳がやせ尖つて、はそ長く成つた。影ぼふしを、緣の直下の石の上にうすく引きつゝじいつと、坐つて動きもせぬ子猫を見ると房子は可愛さうでならなかつた。殊に夜寒がひしひしと夜なべの膝にもかんぜられる夜房子は、子猫がニヤアニヤアと訴へる樣になくのを聞くと土間に下りて行つて、赤ん坊のおしめの綿の入れたのでクルリと子猫をくるんでやつた。そして自分の懷の懷爐を子猫の中へ入れてやつた。ニヤアーと子猫は小い聲で鳴いては人戀しさうに、房子の手をなめるのであつた。寢しなにも一度下りて見に行つた房子は、子猫がいゝあんばいにおしめの中で丸くなつて暖まつて寢てゐるのを見て安心して寢た。

 夜中になると、戸外には雪の樣にまつしろい大霜が降りた。しんしんと月光が大地に凍てついて、それはそれは冷やかな夜であつた。[やぶちゃん注:「しんしん」の傍点は二文字にしか附されていないが、下の二文字にも及ぼした。]

 子猫は何度も寢返りをした。そして床の中でおしつこを垂れた。

 懷爐は消えてしまつてぬれたおしめは水の樣に成つた。子猫はニヤアニヤアーと力なく鳴いたが家の人々は皆布團の中にぬくぬくと寢入てゐた。子猫は箱を出て竃の灰の中へは入つたが夕方焚いたその竃の灰はもう冷えきつてゐた。[やぶちゃん注:ここ以降は、 SE(サウンド・エフェクト)として傍点は久女の打ったままを原則とした。]

 子猫はつめたい灰の中へもぐりこむ樣に身をうづめてニヤアア、ニヤアー……と、ひくい聲で何かを求める樣に鳴いた。

 房子は時々日をさまして、子猫の哀つぽい鳴き聲を耳にしたが、睡いのと寒いのとで、氣にしつゝ見にも起きず、また寢入つてしまふのであつた……。

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