警官隊について 梅崎春生
[やぶちゃん注:『新日本文学』昭和二七(一九五二)年七月号に初出。本日公開した梅崎春生の「被告は職業ではない」で語られている、「血のメーデー」事件の当時の春生自身の生のサブ・リポートとも言えるものである(雑誌『世界』のための本リポートはこれに先立って公開した『世界』初出の「私はみた」である)。
底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。
若い読者のために一言言っておくと、冒頭の「人民広場」は皇居前広場のことである。]
警官隊について
一九五二年五月一日。人民広場にて。
青い鉄兜(てつかぶと)をかぶり、警棒をかまえて、警官隊がずらずらと整列している。それを見た時、私はなにか異様な感じにおそわれた。
それは先ず、あたまの鉄兜の下の、あの一様な無気味な表情だ。それは表情というよりどんよりとした無表情にちかい。鋳型でつくられたような、あの動きのない仮面のような表情。
あの表情は、軍隊以外にはない。
あらゆる思考と感情を磨滅させ、一個の人間器械になったものの顔だ。
単なる団体だったら、そんな一様な表情になるわけがない。濠ばたの自動車が炎上した時、消防隊がかけつけて来たが、さすがに消防隊の連中には、そんな表情の者は、一人もいなかった。もっと人間的な顔をしていた。
ずらずらと並んだあの顔々を思い出すと、私は今でも、背筋がかすかにあわ立つような感じになる。単なる団体訓練が、ああいう表情を産み出す筈がない。意識的に何かを磨滅させるような教育や訓練方法が採られているにちがいないのだ。
そしてその整列が、隊長らしい者の命令一下、すさまじい喚声をあげて、警棒をふりかざして、おそいかかってくる。
軍隊の突撃の要領とまったくそっくりだ。
眼を吊り上げ、顔の半分ぐらいを口にして、突撃してくる。
戦時中、誰だったかある画家の、日本軍の突撃を正面から描いた戦争画があったが、その絵の中の顔と同じ顔だ。その絵はもちろん、当時の戦意昂揚のために描かれたものだが、ほとんど獣じみた顔に描かれてあって、ほんとにいやな印象だったことを、私は覚えている。
ファナティックで、非人間的で、歯をむき出した獣のような表情。
算を乱して逃げまどうデモ隊や一般市民に対して、彼等のやり方は、情容赦もなかった。倒れて動けなくなった者に対して、踏む、蹴る。そして、あの重い警棒で、力まかせに頭をなぐりつける。
それは単に、デモ隊員の戦闘力をうばおうといった程度のものでは、絶対になかった。その程度をはるかに行き過ぎていた。血まみれになって、ぐったりと横たわっている女子に対しても、更にその警棒は打ちおろされた。
鉄カブトと制服を捨てれば、ふつうの若い青年なんだろうに、そういう青年たちを、こんなに残虐な非人間的な方向に押し進めたのは、誰か。
もう日本のあちこちで、新しい「真空地帯」が始まっているのだ。そしてそこで、集まってきた青年たちの思考と感情をすりへらし、その代りに非人間的なものを詰め込む作業が、組織的に大がかりに開始されている。
その連中の一人が、濠ばたを通行中の一般市民にむかって、
「貴様ら。この売国奴!」
という罵声をあびせかけた。警官隊の一人が、一般市民に向かってだ。
なんという滑稽な、そしておそろしい倒逆だろう。