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2016/07/30

葉室少年   梅崎春生

 

 犬の死体に追っかけられていらい海の中で釣りをするのがいやになって、もっぱらおか釣りいそ釣りに転向することにした。歩度を伸ばして遠く糸島方面、津屋崎方面までも釣り竿をかついで出かけて行く。

 姪浜でフナをたくさん釣ったこともある。地下に坑道を掘るから、地面が陥没して水がたまって沼となっている。その沼にフナが住みついて、そのフナをわたしは数十尾釣り上げた。そのころの姪浜は荒涼とした地帯で、いまは住宅街になっているということが、わたしにはどうしても想像できないのである。

 昭和十七年七月、博多湾にカレイが異常繁殖して、博多湾の海底はカレイでしきつめられているといううわさが立った。わたしが室見川の川口に行ったら、こどもが二三人波打ちぎわに立って釣っている。近づいて見ると小型のカレイで、小型といっても超小型で一寸か一寸五分ぐらいしかない。ではおれも、と糸を垂れたらたちまち食いつき、二時間ばかりで四五百尾釣り上げた。餌をつけないでも食いつくのだから世話はない。とうとうばかばかしくなって切り上げた。五百尾のカレイは唐揚げにして食っても食っても食い切れず、あとは近所の猫に食わせた。

 七月もなかばを過ぎると暑くなって魚釣りも楽でなくなった。それにとった獲物が暑さのためにすぐ鮮度を失うから、食う楽しみも半減する。そこで釣りはしばらく中止ということにして泳ぎに転向した。

 福岡市生れで泳げないのはめったにいないが、東京にくるとかなづちが多いので驚く。それも道理で東京には泳ぐ場所がないのである。隅田川や東京湾はきたないし、泳ごうと思えば葉山か千葉方面まで行かねばならない。かなづちが多いのも当然だ。

 泳ぎに必要なものは慣れである。運動神経は必要でない。運動神経が必要でない好例を書いてみよう。

 わたしの小学校の運動会のとき、四年生がマスゲームか何かをやるために四列縦隊をつくって粛々と校庭に出てきた。見物の皆が笑い出した。なぜかというと先頭に立ったひときわ背の高い少年の歩き方が変なのである。ふつうは右足を出したら左手を上げ、左足を出したら右手を上げるように互い違いになるのだが、この子のは右手と右足、左手と左足がいっしょに動くのである。

 笑われていることを知ったものだから、その少年はあわててふつうの歩き方に戻ろうと懸命に努力するのだが、どうしてもそうならない。調整しようとして両手をぱっぱっと動かすと、不本意にも両足がそれにつれてぱっぱっと動いて、とうとう調整できないまま満場の爆笑裏に行列は所定の位置に達して停止した。

 それが調整できないなんて何と不器用で運動神経のないやつだと読者諸君は思うだろうが、この少年が成長して後年ベルリンオリンピックで優勝した葉室鉄夫君なのである。

 

[やぶちゃん注:「南風北風」連載第三十二回目の昭和三六(一九六一)年二月四日附『西日本新聞』掲載分。

「糸島」(いとしま)は地域名。現在の福岡県最西部に位置する糸島市一帯。ウィキの「糸島市」によれば、『糸島半島の中央部および西部と、その南側から南西の福岡県西端部の一帯を市域とする。北側と西端部は玄界灘に面し、東側は福岡市に接する。南部は脊振山地があり佐賀県と接している山岳地域で、南西部は唐津市に、南東部は佐賀市に接する』とある。

「津屋崎」(つやざき)は現在の福岡県福津市内。地区の西部から北部にかけて玄界灘に面している。ウィキの「津屋崎町」(旧福岡県宗像郡時代の町名)によれば、現在でも『自然豊かで海や空気がとてもきれいな土地である。町の海岸にはアカウミガメが生息しており』、『平野部には田畑の広がるのどかな町である。海岸は玄海国定公園に指定されている』とある。

「姪浜」(めいのはま)は現在の福岡市西区室見川の最下流左岸に広がる地域。昭和一七(一九三二)年頃の旧参謀本部陸地測量部及び内務省地理調査所(現在の国土地理院)の地図と現在の地形を比較すると、当時は自然海浜と思われるものの、「地下に坑道を掘るから」と春生が述べている通り、東の愛宕山北麓に姪浜炭鉱があって、炭住らしき建物が沢山、海浜に沿って並んでいるが(「荒涼とした地帯」という謂いは地図上からも何となく判る)、現在の姪浜は海岸部が有意に埋め立てられて内陸化しており、現在の航空写真ではその迫り出し部分(行政地名は愛宕浜)は高層ビルを含む広大な宅地地帯となって完全に変貌してしまっている。

「室見川」(むろみがわ)は主に福岡市を流れて博多湾に注ぐ。ここに出る河口付近には干潟があり、毎年二月から四月初めにかけては、博多湾から上ってくる名物の「白魚」(地元では「しらうお」と呼ぶが、学問的には別種の「シロウオ」である)漁で知られる(ここまではウィキの「室見川」に拠る)。シラウオとシロウオについては、各所で述べて来たが、例えば私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅1 行くはるや鳥啼きうをの目は泪 芭蕉』の注を参照されたい(知られた本句の初案は「鮎の子の白魚送る別(わかれ)かな」である)。

「葉室鉄夫」(はむろてつお 大正六(一九一七)年~平成一七(二〇〇五)年)は福岡県福岡市出身の元競泳選手。ウィキの「葉室鐵夫」によれば、『福岡県中学修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)から日本大学予科に進学』、昭和一一(一九三六)年の『ベルリンオリンピック』二百メートル平泳ぎで、『ドイツのエルヴィン・ジータスErwin Sietas)との接戦の末に金メダルを獲得。この決勝戦はアドルフ・ヒトラーも観戦しており、表彰式での君が代演奏では、ヒトラー自身も起立し、右手を前方に挙げるナチス式敬礼で葉室の栄誉を称えている』。昭和一五(一九四〇)年に『第一線を退くまで』、二百メートル平泳ぎで『世界ランキング1位の座を守った』。『引退後は毎日新聞社に入社。運動部記者として、アメリカンフットボールの甲子園ボウル創設に携わるなど、第一線記者として活躍した』。平成二(一九九〇)年には『国際水泳殿堂(International Swimming Hall of Fame)入りを果たした』。『葉室の死によって、戦前の日本のオリンピック金メダリストは全員物故したこととなった』とある。梅崎春生は二年違いの大正四(一九一五)年二月十五日生まれで、大正一〇(一九二一)年に福岡市立簀子(すのこ)小学校に入学しているから、これは大正一五(一九二六)年の運動会の思い出である。]

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