宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 廣澤の怪異
廣澤の怪異
身を觀ずれば岸の額(ひたひ)に根を離たる柴の庵、命(めい)を論ずれば江(え)の邊(ほとり)に繫がぬ月日の明暮(あけく)るゝ命。終の期(ご)を待ちて堅固に行すましたる僧の、嵯峨の邊り、廣澤の水ぎはに住めるを尋ね行きて、一日、法の物語して、今日もくれぬ、愛宕(あたご)の高根(たかね)雲かゝり、小雨おとづるゝ程に、爰に語り明かし給へ、と、とむる、待つ妻(つま)もなく尋ぬる子もたぬ身は、山野、皆、我宿也。殊更、近きに西國修行(すぎやう)の志しあれば、再會、期(ご)し難しと、幸ひに留(とま)りぬ。僧の云く、頃(このごろ)、奇異の事を見侍り、此の庵、五間計り先の水面(すゐめん)に怪しき光りあつて、燃ては消え、きえては燃ゆ。其の半(なかば)に男女の聲して、哭(な)いつ笑ふ聲有り、今よひ又雨也。若(も)し出づる事の在りもやせん、こなたへ、と、程ちかく覗きゐて更(ふく)るを待つ、猶、晝の名殘の法(のり)の咄(はな)しに、夜、闌(たけなは)に世上しづまりて、雨いとど車軸(しやぢく)をなすにぞ、昔しおもふ草の庵(いほり)の夜の雨に、泪なそへ添へぞとかこつべく、漸う牛(うし)みつばかんなるに、いひし如く、靑き火、東西にもえて、水面に二十四、五の法師と十六計りの女とたちて、腰より上、半(なかば)水上(すゐじやう)に出でたり。宗祇、本性、勇猛の士、佛道の志しに又、身を鴻毛(こうまう)よりかろ輕く、世を稻妻の有りはてぬ物と定めたれば、萬(よろづ)怖しと思はず、かの光りの前につとよりて、汝等、いかなる故あつてかく怪異(けい)なる形ちを見するや、と、とふ。法師なりし者、答へて、戀慕執着(しふじやく)の深き心より水中に沈み、愛欲の猛き思ひより、ほむらを燒きて身を焦(こが)すといふ。いづこの人のいかにして、身を徒(いたづら)になし果(はて)けるぞ、女、答へて自(みづか)らは此の北山里、仙應寺(せんおうじ)と申す所の者、僧は高雄(たかを)の何某(なにがし)に侍り。一とせ三月(やよひ)廿一日(はたちひとひ)、此の山、女人禁斷なれど、此の日計りは容(ゆる)さるゝにより、友どち一人(ひとり)二人、山ごえに詣で侍り、いかに悲しき前世(ぜんせ)の因緣にや、此の僧の美(び)なるを見そめしより、いとをしき心、身を責め、歸らんとする足、とく、たゝんとするに力なきを、友なる人、早く見とりて、さまざま慰め、暮れなば此の山に女はおかじ、と諫められ、力なく里に歸る、いとかりそめのまよひの雲、かの峯に立覆ひ、身はうき嵯峨に有りながら、一念の化女(けぢよ)となり、夜每に、かの人の枕にそひて、かきくどく。人も始めは松が枝(え)の、嵐につよくこたへしが、雪には折るゝ折ふしの、つもる思ひを哀れとて、情の道も淺からず、あれなる岨(そば)の岩(いは)がねを、夜ごとにさがへかよひし也。我れ、おちにきと人にかたるなと、世の人聞(ひとぎゝ)を恐しに、さなきだに世の人の、あしき道にはさがなく、鳴瀧川(なるたきがは)の音たてゝ、あだ名も四方にもれ行きぬ。砥(と)とりの山の時鳥(ほとゝぎす)、自(おの)が刀(かたな)の身の錆なれば、なき名のみ高雄の山と、かこつべきよすがもなし。つらき世をへんより、契りを後の世にとちかひて、
恨みわびほさぬ袖だにある物を
戀に朽ちなん名こそ惜しけれ
と言捨てゝ、二人、手に手を取り、此の池に身をなげぬ。月はひとつ、うき身はふたつ、藻にうきて、魂(たましひ)は惡趣(あくしゆ)にしづみ、紅蓮(ぐれん)の氷(こほり)にとぢられ、刀林(たうりん)の枝(えだ)に身をさく、是、皆、自(みづか)らなすわざにて、持戒の僧をおとす地獄のくるしみ、助け給へ、と淚を波に諍(あらそ)ふ、祇、又、とふ。みるが内に、互(たがひ)に水をすくひ、藻を抛げかけるはいかに、二人、答ふ。絶間なき思ひのほむら、一身をこがすのみか、僧は女の火を悲しみ、女は僧の焰(ほのほ)をなげきて、せめてや暫(しば)し助かると、互に水をかくるに侍りと、又、問ふ。かたがたえんぶに來りてあるほど、地獄のくげん忘るゝにや。答へ。更に其のいとま、なし。たとへば鐘の千里(ちさと)にひゞくは如し、假(かり)に此の土にま見ゆといへども、猶、本心は地獄に在りて、須臾の隙なし。見たまへ今はうたかたの、あはれにきゆる限りなり。跡、とはせ給へ、といひて、手を取りくむと見えし、忽然と消え失せて、跡もなし。一文不知(もんふち)の大俗すら、是ほど迄まよふは、そば目、はづかしからん。出家の身には、にくしともいふべけれど、此のまとひ計り、賢愚僧俗かはりなき習ひなれば、只、淺ましき業因といふべし、と打かたりて、二人共に草庵に入り、讀經作善(どきやうさくぜん)し、猶、能く吊(とむら)ひ給へ、といひのこして、祇は、あけの日、京に歸りぬ。
■やぶちゃん注
・「廣澤」広沢の池。現在の京都府京都市右京区嵯峨広沢町にある。東西五十メートル、南北二十五メートル、周囲約一・三キロメートルほどの自然湧水池で、現在の最深部は池の南部分で一・八メートルある。
・「岸の額(ひたひ)」岸辺の池に突き出た部分。
・「愛宕の高根」愛宕山。現在の京都市右京区の北西部、嘗ての山城国と丹波国の国境にある山。広沢の池の西北約六キロの位置に当たる。
・「修行(すぎやう)」ママ。
・「五間」約九・一メートル。
・「昔しおもふ草の庵(いほり)の夜の雨に、泪なそへ添へぞ」の「添へぞ」の「ぞ」はママ(「泪なそへ添へそ」の誤り)。これは「新古今和歌集」の巻三・夏歌の藤原俊成の一首(二〇一番歌)、
昔思ふ草の庵の夜の雨に淚な添へそ山ほととぎす
である。
・「かこつべく」(の和歌のように)涙を流して歎き訴えるかのように(激しく雨が降る)。かくして季節の指定は本文にないが、作品内の時節は、この和歌からフィード・バックしてやはり梅雨時であることが判る。
・「宗祇、本性、勇猛の士」宗祇(応永二八(一四二一)年~文亀二(一五〇二)年:姓は「飯尾」(いのお/いいお)ともされてきた)の出自については。永く紀伊或いは近江かと言われてきたが、近年、宗祇の父は近江国の守護職であった六角家の重臣で守護代であった伊庭氏であり、現在の滋賀県東近江市能登川町附近を出身地とすることが学会で認められている。
・「ほむらを燒きて」「ほむら」は「炎・焰」と書き、ここは心中で燃え立つところの激情を指す。重語のように見えるが、「ほむらをむやす」などの表現はしばしば用いられる。ここは心であり、されば次にその炎が実体(に見えるところの)肉「身を焦す」と続くのである。
・「仙應寺(せんおうじ)」不詳。現在、このような地名も寺も広沢の池の北方には存在しない。敢えて似たような地名を探すと「嵯峨観空(かんくうじ)寺」同「観空寺谷」という地名を見出せはする(観空寺は広沢の池の西一・三キロ弱の京都市右京区にある真言宗寺院)。
・「高雄(たかを)」現在の京都市右京区高雄にある真言宗高雄山神護寺のこと。
・「三月廿一日」明治維新まで神護寺は女人禁制であった。しかし、何故、この日だけそれが解かれるのか? 始祖空海(宝亀五(七七四)年~承和二年三月二十一日(ユリウス暦八三五年四月二十二日相当)の遷化の日であるからか?
・「化女(けぢよ)」「けによ(けにょ)」とも読み、これは本来の仏語では仏菩薩が仮に女人の姿となって現れたもの、「権化(ごんげ)の女人」を指すポジティヴなものであるが、ここは鬼女・夜叉とまでは言わずとも、恋情に燃えた執念の魔性の生霊、所謂、男を無意識のうちに破滅させてしまう「運命の女」、ファム・ファタール(Femme
fatale)の魍魎(すだま)の謂いであろう。
・「さがへ」嵯峨へ。
・「おちにきと人にかたるな」(若き僧は女に、「決して)私がかくもそなたへの恋にすっかり落ち(結果として「堕ち」)てしまったということを誰にも語ってはならないよ」。
・「あしき道にはさがなく」この「さが」(言うまでもなく「嵯峨」の掛詞であるが)は難しい。恐らくは「相・性」の意味でも、広義の良い部分と悪い部分、人間の善悪の謂いであろう。即ち道から外れた世界には悪行を抑制するような良い性質はなく、の意でとっておく。
・「鳴瀧川」現在の右京区北部の鳴滝川(下流は御室川)。以下、女色に溺れた破戒僧という徒名(あだな:艶聞(えんぶん)がごうごうと瀧の鳴り響くように広く世間に広く知れ渡ってしまったことに掛ける。
・「砥(と)とりの山の時鳥(ほとゝぎす)」刀剣の研磨に用いる砥石としては、古くからこの鳴滝川近くの鳴滝山産の鳴滝砥が最上質(仕上砥として使われる)とされ、古歌に、
高雄なる砥取りの山のほととぎすおのが刀を研ぎすとぞ鳴く
というのがあり、ここはそれに掛けて、下句を「自(おの)が刀(かたな)の身の錆なれば」とインスパイアしたのである。無慚なるシチュエーションながら、筆者の筆はなかなかにウィットに冴えていると私は思う。
・「なき名のみ高雄の山」これは「拾遺和歌集」の「巻九」の「雑下」にある八条の大君(おおいぎみ)の一首(五六二番歌)、
高尾にまかりかよふ法師に名立ち侍けるを、
少將滋幹(しげもと)が聞きつけて、まこ
とかと言ひ遣はしたりければ
なき名のみたかをの山と言ひたつる君はあたごの峰にやあるらむ
(私のいわれもなき浮き名を高雄の山のように声高(こわだか)に言い立ているあなたは、或いは愛宕(あたご)の峰ならぬ、私の忌まわしき仇敵(あた)ででもあるのでしょうか?)
・「かこつべきよすがもなし」(と前の歌の如く余裕で掛詞の)口実を設けては、はぐらかす手段も最早、ない。
・「恨みわびほさぬ袖だにある物を戀に朽ちなん名こそ惜しけれ」「百人一首」の六十五番で知られる、「後拾遺和歌集」の「巻十四」の「恋」にある相模の一首(八百十五番歌)をそのまま投げ込んである。
・「惡趣(あくしゆ)」広義には前世での悪事の報いとして死後に堕ちる、六道の内の地獄・餓鬼・畜生の三悪道を指すが、ここはその最悪の下辺たる地獄に限定されている。
・「紅蓮(ぐれん)の氷(こほり)」バラエティに富んだ地獄の中では、比較的マイナーな「八寒地獄」の第七である「鉢特摩(はどま:Padma:「蓮華」を意味する梵語の音写)地獄」の「紅蓮地獄」のこと。ここに落ちた者は恐るべき寒さによって皮膚が裂けて広がり垂れて激しく流血して真っ赤になり、その姿が紅の蓮の花に似るとされることからの漢意訳。但し、後で火炎地獄に二人は堕ちていて、故に互いに水を掛け合っている描写が出るのとは一見、矛盾して見えるが、そもそもが後で「假に此の土にま見ゆといへども、猶、本心は地獄に在りて、須臾の隙なし。見たまへ今はうたかたの、あはれにきゆる限りなり」と述べている如く、罪深き亡者は分身となって複数の地獄に同時に堕され、共時的に責苦(この場合は真逆の)を受けるのであるからして、何ら、おかしくはない。
・「刀林(たうりん)の枝(えだ)に身をさく」私の最も偏愛する「刀葉林」或いは「刀葉樹」などと称する地獄の一種。愛欲に溺れた男女が堕ちるとされ、男の亡者が地面に立っていると、目の前の一本の高い樹の上に裸体の女が立っていて、おいでおいで、をする。むらむらときた男が木を登り始めると、木の幹や枝は総て刀となり、木の葉は棘と化して、激しい痛みの中で全身はずたずたになる(陰風の吹けば元通り)。ところがそんな思いをして頂上に辿り着いてみると女はおらず、木の元の地に立って、おいでおいで、をする。またむらむらときて……と、これをシジフォスの如く繰り返すのである。
・「えんぶ」「閻浮提(えんぶだい)」「閻浮洲(しゅう)」「南瞻部(なんせんぶ)洲」のこと。元、梵語で、宇宙を構成する四洲の一つ。須弥山(しゅみせん)の南方の海上にあるとされる島の名で、島の中央には「閻浮樹(えんぶじゅ)」の森林があって、諸仏が出現する島とされた。本来はインド自体を指したが、仏教伝播に伴い、広く人間世界、現世を指す語となった。
・「くげん」苦患。
・「須臾」「すゆ」あるいは「しゆゆ(しゅゆ)」と読み、ごく僅かの間。
・「一文不知(もんふち)」文字一字さえも読み書き出来ないこと。
・「そば目」かく傍(はた)から(我らのような)第三者に見られること。
・「まとひ」ママ。底本の「まどひ」(惑ひ)の誤植であろう。私の所持する「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)では「まどひ」となっている。
・「讀經作善(どきやうさくぜん)」ルビ(読み)はママ。「さぜん」の誤りであろう。私の所持する同前の「西村本小説全集 上巻」では「さぜん」となっている。
画像は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング、補正したもの。