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2016/07/10

一億総鉄カブト   梅崎春生

 この間からデモ隊と警官隊の衝突、右翼の暴行の様相などを、テレビニュースで何度も何度も見た。

 パチンとスイッチをひねれば、きっとその場面がうつっているから、見ざるを得ないのだ。何も好きこのんでそんな場面ばかりを見たがったわけではない。むしろ私はそんな暴力場面を見るのはいやだ。あれはひどく眼を傷(いた)ませる。

 暴力場面と言っても、あんな集団的なものでなく、個人対個人のものなら、まだ救われる。もちろん見ていて愉快というものではないが、集団にくらべると、見る方の気持はぐっと楽である。

 おそらくこれは規模の大小によるものではなく、質の違いから来るのだろう。

 すなわち個人対個人の喧嘩は、原則として、お互いに相手を知っている。相手がどういう素姓(すじょう)の人間で、どんな意見を持っているか知っている。つまり相手の人格(?)を認めた上で、意見の相違から、あるいは事の行きがかりから、暴力行為におもむくのだ。

 だからその暴力行為も、喧嘩のルール(というものがあるかどうか知らないが)から、はなはだしく外れたことをしないのが普通である。それ故、見ていても、そうつらくない。

 ところが集団的衝突は、そうでない。警官隊の個人が、デモ隊の個人を知っているわけではない。そこに個人的な恨みや憎しみは何もないのである。

 不特定多数にぶつかって行って、警棒をふりかざし、任意の一点に向かってふりおろす。そこには微塵も人間的なものがなく、したがってそのやり方もルールを無視している。結果が残虐になるのも、当然のことだろう。

 これをさらに大規模にすれば、戦争ということになるのだ。何が愚劣だと言って、人間のやることの中で、戦争ほど愚劣なものはない。

 そういう集団的衝突の現場を、私はあまり見たことがない。八年前の血のメーデー事件を見たくらいのもので、あの時は私も催涙弾にやられて涙をぽろぽろ流したり、警官隊に追われて必死に逃げ廻ったりした。

 逃げ廻りながらも、警官隊のやり口を抜け目なく観察したが、あの時の警官隊と、今のテレビニュースでのやり口は、あまり変っていない。相手が暴力的な意味では素人だから、それほど変える必要を認めないのであろう。

 警棒で頭をなぐる。逃げる奴の後頭部をぶちのめす。頭というのは、皮膚がやわらかいのか、それとも薄いのか、すぐに破れてぱっと血をふく。

 警棒で力まかせに頭をなぐると、どんな音を立てるか。これは経験したものでないと判らない。何とも言えない不気味な音を立てて、犠牲者は即座に抵抗力をうしない、そこらにうずくまったり倒れたりするものだ。

 八年前に聞いたその不気味な音が、今でも私の脳裡にこびりついていて、テレビニュースで警官隊が棒をふりかざして迫る場面を見ると、いても立ってもいられないような気分になって来る。

 警官隊はなぜ相手の頭をねらうか?

 相手の抵抗力を出来るだけ早くたたきつぶす。その目的で頭をねらうのだろう。

 相手の肩だの腰だのをなぐつて、抵抗力をうしなわさせるためには、三度も四度も警棒をふりおろさなければならぬ。ところが頭なら一発ですむ。一発で相手はくにゃくにゃになってしまう。

 警官の方の論理はそうであろうが、やられる側からすると、これはたいへんなことである。

 人間の身体の中で、何が大切だと言って、頭ほど大切なものはない。人間の身体で、たまという字がついた器官には大切なものが多いが、中でもあたまが最も重要である。

 何しろ全身をつかさどる器官であるからして、ここを毀傷(きしょう)しては元も子もない。

 それにもう一つ、頭には他の器官と違った特色がある。たとえば腕なら腕を警棒でなぐられ、折れたとする。折れて三週間経って、元通りになったとする。元通りになったら、それは大体完全に元通りになったのだ。

 ところが頭はそうは行かない。頭をなぐられて、血をふいて、また頭蓋骨がいくらか傷ついたとする。治療をうけて、それが一応直ったとする。しかしこれは完全に直ったとは言えないのだ。

 外見上直って、何箇月、あるいは何箇年経ったある日のある時、突然脳に変調がおきて、社会生活が出来なくなったり、ひどい廃人になったりする例が、しばしばあるそうである。

 脳なんてものは、たいへんデリケートな器官だから、そういうことにとかくなるだろうと言うのが、私の知人の医師の説であった。

 だから、頭をなぐられてはいけない。悔いを千載に残す。なぐる方の側からすれば、相手の頭をなぐることは、絶対にいけないことなのだ。それにもかかわらず、彼等はなぐる。そして自分はなぐられないように抜け目なく、鉄かぶとをかぶっている。

 警官隊が鉄かぶとをつけているのに、何故デモ隊は鉄かぶとをかぶらないのか。頭ほど大切なものはないのに、しかも相手はこちらの頭をねらっているというのに、なぜデモ隊諸君は鉄かぶとをつけないのか。頭を保護することに、なぜ思いを致さないのか。

 私はテレビニュースを見る度に、残念で残念でたまらない。あの警棒がふり廻される度に、何人かの将来の廃人が確実に予想されるではないか。

 鉄かぶとと言っても、特につくらせる必要はない。オートバイやオート三輪乗りが、危険防止のために、よくかぶっている。かぶっているからには、どこかで製造販売しているのだろう。それを買って来て、きちんとかぶってデモに出るがいい。

 腕の一本や二本へし折られても(そうかんたんにへし折られても困るが)回復出来る。くり返して言うが、頭はそうは行かないのだ。

 こういうことを書くと、鉄かぶと製造株式会社から、いくらか貰っているように誤解されるかも知れないが、そんなことはない。私はただ頭を憂うるのみである。

 皆が鉄かぶとをかぶってデモに出れば、警官隊や右翼、またそれらを支配する兇悪な為政者は、それをいやがって、あるいは鉄かぶと着用禁止を言い出して来るかも知れない。しかし私をして言わせるなら、鉄かぶとは武器ではない。防具である。

 今の政府は、あきらかに兇器であるところの飛出しナイフの製造販売を許している。世論があんなに高まっているのに、飛出しナイフを野放しにしている。そういうものから自分の頭をふせぐためにも。我々は鉄かぶとを着用する権利がある。

 今の日本には危険が充ち満ちている。神風タクシーやオートバイは容赦なくすっ飛んで来るし、建築現場には「頭上注意」などと臆面もない注意札をかかげて、がたがたやっている。我々はそれらの危険から、頭を守ろうではないか。

 恰好という点では、いくらか欠けるところがあるけれども「一億総鉄かぶと」ということを、私は敢えて提唱したい。頭を割られてからわめいたって、もう遅いのだ。

 

[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第十三回目の『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年七月十日号掲載分。昨年夏に転倒して後頭部を強打、その反側損傷によって右前頭部クモ膜下出血、前頭葉の一部をも挫滅、嗅覚をほぼ喪失してしまった私には、心底、滲みる内容である。

「鉄かぶと」因みに現行のヘルメットは鉄製ではない。ABS樹脂(アクリロニトリル(Acrylonitrile)・ブタジエン(Butadiene)・スチレン(Styrene)共重合合成樹脂(プラスチックの一種。レゴのようなブロック玩具の素材である)、PC(ポリカーボネート(polycarbonate):熱可塑性プラスチックの一種)、PE(ポリエチレン(polyethylene))、FRP(Fiber-Reinforced Plastics:繊維強化プラスチック。ガラス繊維などの繊維をプラスチックの中に入れて強度を向上させた複合材料)で、軍用ヘルメットもベトナム戦争頃までは材料として主に鋼鉄が使われていたものの、近年はケブラー(Kevlar:芳香族ポリアミド系樹脂の登録商標。正式名称は「ポリパラフェニレン・テレフタルアミド」(Poly-paraphenylene terephthalamide)などで強化したFRPなどの繊維を数十枚重ねた上にフェノール樹脂を含浸させて成形したものが主流である(以上はウィキの「ヘルメット」他に拠った)。

「神風タクシー」は、ウィキの「神風タクシーによれば、主に昭和三十年代(一九五五年~一九六四年)の日本で交通規制を無視し、『無謀な運転を行っていたタクシーのこと』を指す。昭和三十年代前半、『日本はモータリゼーションの進行に伴い、道路渋滞も起き始めた。歩合給を稼ぐために、速度制限無視、急停車、急発進、赤信号無視、強引な追い越しなどを行って、早く客を拾い、あるいは一瞬でも早く目的地に着いて、客回転を上げようと、無謀な運転を行うタクシードライバーが増加した』。『この無謀な運転ぶりを「神風特別攻撃隊」になぞらえて、人々は『神風タクシー』と呼んだ。その命名は誰によるものかは不明だが、「週刊新潮」の記事からと思われる』。『この無謀運転の主な原因は、運転手の固定給の少なさや、ノルマ制などの労働条件であった。これが社会問題になると共に、タクシー労働組合などの運動によって、神風タクシーは基本的に無くなった』。昭和三四(一九五九)年八月十一日、『優良運転者に個人タクシーが初めて認可された』が、『これも神風タクシーが無くなった要因となった』。同年には、昭和三九(一九六四)年の『東京オリンピック開催が、国際オリンピック委員会総会で決定されたこともあり、国家規模で日本のイメージアップのため、道路交通法が厳しく運用され、神風タクシーは警察の取締りにより厳しく摘発され、その姿を消した』とある。]

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