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2016/07/14

芥川龍之介 手帳3―1~5

芥川龍之介 手帳3

 

[やぶちゃん注:大正八(一九一九)年の大阪毎日新聞社発行の手帳で、扉には『職員所持之證』『NO.623』と印が押されてあると底本(後述)後記にある。

 底本は現在最も信頼の於ける岩波書店一九九八年刊行の「芥川龍之介全集」(所謂、新全集)の第二十三巻を用いつつ、同書店の旧「芥川龍之介全集」の第十二巻を参考にして正字化して示す。取消線は龍之介による抹消を示す。底本の「見開き」改の相当箇所には「*」を配した。適宜、当該箇所の直後に注を附したが、白兵戦の各個撃破型で叙述内容の確かさの自信はない。

 なるべく同じような字配となるようにし、表記が難しいものは画像(特に注のないものは底本の新全集)で示した。各パートごとに《3-1》というように見開きごとに通し番号を附け、必要に応じて私の注釈を附してその後は一行空けとした。「」は項目を区別するために旧全集・新全集ともに一貫して編者が附した柱であるが、使い勝手は悪くないのでそのままとした。但し、中には続いている項を誤認しているものもないとは言えないので注意が必要ではある。判読不能字は底本では字数が記されているが、ここでは「■」で当該字数を示した(画像で私が判読出来ない字も■で示した)。

 なお、底本編者によれば、本「手帳3」の記載推定時期は大正八(一九一九)年から大正一二(一九二三)年辺りとする。]

 

《3-1》

Le Journal de Saint Taro  Abbé Jireaud

[やぶちゃん注:不詳。「聖タローの日誌」? 作者と思しいフランスの人名らしい後者の「Jireaud」はあまり見ない綴りなので、「Jiraud」或いはもっと一般的な「Giraud」の誤記ではないか?]

 

○冬夏社 新潮

[やぶちゃん注:「冬夏社」というのは直木三十五が大正七(一九一八)年に設立した出版社のことと思われる(倒産して現存せず)。]

 

〇三中 雄辯 中央美術

[やぶちゃん注:「三中」府立第三中学校は芥川龍之介の母校。同校には『学友会雑誌』という学内雑誌があり、龍之介は中学生の時、この編集委員を務め、「義仲論」(明治四三(一九一〇)年二月・卒業直前で満十八になる直前)などを発表している。以下の二冊が雑誌であるとすれば、これも『学友会雑誌』のことを指している可能性が高い。

「雄辯」同名の雑誌がある。講談社の創業者野間清治が明治四二(一九〇九)年に「大日本雄弁会」(講談社の前身)を設立した翌明治四十三年に創刊した月刊誌。野間は当時東京大学法科の書記をしており、弁論部の誕生に尽力したのが本誌発刊の契機となった。第一号の弁論部発会記念の口絵写真には政治家芦田均・鶴見祐輔らの顔が見える。当初は主として雄弁家の演説速記を掲載していたが、大正六(一九一七)年頃から次第に総合雑誌化し、大正九(一九二〇)年十月『現代』が創刊されるまで、その傾向を続けた。その後は本来の弁論雑誌に戻ったものの、政府の雑誌統合策によって昭和一六(一九四一)年十月号を以って終刊となり、『現代』に統合されている(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠る)。芥川龍之介は「或敵討の話」(大正九(一九二〇)年五月)などをこの『雄弁』に発表している。

「中央美術」これも同名の美術雑誌がある。大正四(一九一五)年に日本美術学院から作家で美術評論家であった田口掬汀(きくてい)が創刊したもので、大正期の洋画壇や新興美術の動向を最もよく捉えた雑誌とされる(昭和四(一九二九)年に休刊し、昭和八(一九三三)年に復刊したが、昭和一一(一九三六)年に終刊した。平凡社「マイペディア」に拠る)。芥川龍之介は「小杉未醒氏」(大正一〇(一九二一)年三月・初出時は「小杉未醒論」の一編「外貌と肚の底」という表題。私の「芥川龍之介漢詩全集 二十八」に全文を載せてある)などをここで発表している。]

 

○ハヤミ タタミ コツプ

 

[やぶちゃん注:この《3-1》相当部分は旧全集には全くなく、旧全集の「手帳(三)」は次の《3-2》相当箇所から始まっている。]

 

《3-2》

○刀屋の店で若い者が二人のしかかるやうに刀をといでゐる 若竹の鉢 刀の光(日蔭町)

[やぶちゃん注:江戸物のメモ。

「若竹の鉢」若い青竹の大きなものを、竹の中空の途中と節の下で切り、節を底にして作った鉢。研ぎ水を入れているのであろう。

「日蔭町」は恐らく芝日蔭町で、東海道筋の芝口二丁目・三丁目・源助町・霜月町・柴井町の表通りの一本西をやや斜めに南北に走っていた狭い裏通り。現在のJR新橋駅汐留口付近が北の端に相当する。江戸切絵図を見ると、東に各町を挟んで大名の大きな屋敷が三つと海に浜御殿があり、この通りの西側も武家屋敷が多い。]

 

○花曇り 風の音 空に飛行機 カアキ色

[やぶちゃん注:「カアキ色」カーキ色。ウィキの「カーキ色より引く。本来は『「土埃」を意味する言葉で、通常の用法としては主に』旧日本帝国『陸軍の軍装色を指す。JIS慣用色名において「カーキー色」として定義されている色は「茶色がかった黄色」と表現され』ており、外に「砂色」「枯草色」などと『呼ばれる場合もあり、「黄土色」や「オリーブ色」、「ベージュ」なども広い意味でのカーキ色に含まれる』。『英語の「khaki」はヒンディー語の』「khākī」『(土埃色の)の借入語。これは更にペルシャ語の』「khāk」『(土埃)から』借り入れた語である。]

 

○夜 丁字の香 春が來たなと思ふ

[やぶちゃん注:「丁字」「ちやうじ(ちょうじ)」と読む。バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノ Syzygium aromaticum 。所謂、香辛料のクローブ(Clove)はこの開花前の花蕾を乾燥させたものである。しかし、もしこれが「夜」にチョウジの香が薫ってきて「春が來たなと思ふ」というのであるなら、構想作品のロケーションは日本ではない可能性が高い。何故なら本種の原産地は熱帯多雨のインドネシア・モルッカ群島で、本邦では温室で十分に管理するならば栽培は可能なものの、「夜」薫ってくる露地植えというのはごく限られてしまうからである(一部でウィキの「クローブ」を参考にした)。]

 

○捨子の小説をよむと皆親にあへる なぜおれはあへんかと思ふ(マツタケ松竹梅)

[やぶちゃん注:芥川龍之介に「捨兒」(大正九(一九二〇)年七月)があるが、ここに書かれたような内容は出て来ない。]

 

○お律 頭が半分生まれる 顏ヘガアゼをかけて醫者を迎へに行く

○同上 遲くかへりし父を非難する心もち

[やぶちゃん注:「お律と子等」(大正九(一九二〇)年十月・未完)の恐らくは全く別ヴァージョンの構想の一つである(決定稿は腹膜炎で亡くなる後妻お律の臨終に至るものでしかなく、このようなシークエンスはない)。同作はかなり苦しんで書いており、「書き直し」という書入れの原稿がかなりあったらしく(平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介全作品事典」(関口安義・庄司達也編)の同作の解説に拠る)、実際、書き直し草稿の一部の外にも「お律の死」や異なった設定と思しい「お律」「或女の一生」(孰れも「お律」なる女性が主人公)という草稿断片が存在している。]

 

《3-3》

○金メダル 翌日うる Winter Over-Coat

○希臘悲劇

Hamburg 1870 象

[やぶちゃん注:判じ物のような「Hamburg  1870 象」は一八八〇年にヤスナヤ・ポリヤナのトルストイを訪れたツルゲーネフを描いた「山鴫」(大正一〇(一九二一)年)の一節のメモである(底本は岩波旧全集であるが読みは振れそうなものだけに留めた)。

   *

 一家の男女(だんぢよ)はトウルゲネフが、輕妙な諧謔を弄する度に、何れも愉快さうな笑ひ聲を立てた。殊に彼が子供たちに、ハムブルグの動物園の象の聲だの、巴里(パリー)のガルソンの身ぶりだのを巧みに眞似て見せる時は、一層その笑ひ聲が高くなつた。が、一座が陽氣になればなる程、トウルゲネフ自身の心もちは、愈(いよいよ)妙にぎこちない息苦しさを感ずるばかりだつた。

   *]

 

Rajput Painting50

[やぶちゃん注:ラージプート絵画のこと。「Rajput」(ラージプート)とは現在のインド西北部のラージャスターン州に居住する民族で、クシャトリヤ(古代インドのバラモン教社会に於けるヴァルナ(varna:「色」の意で、四層の種姓に分割された宗教的身分制度。共同体の単位であるジャーティも併せて「カースト」と総称される。上位からバラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの大きな身分区分が存在する)の第二位である王族・武人階級)を自称するカースト集団。サンスクリット語のラージャプトラ(「王子」の意)からきた言葉で、インドいに於ける正統的な戦士集団たるクシャトリヤの子孫と自称する(ここはウィキの「ラージプートに拠った)。「Rājpūt painting」はインドのパンジャブ(パキスタンとインドに跨る広大な地域)やラジャスタン地方のヒンドゥー教徒の間で発達したミニアチュール(細密画)。土俗的宗教画が主流を占め、クリシュナ伝説やシバ神話などを主題としたものが多い。ラージャスターニー派とパハーリー派の二流派に大別され、十六世紀から十九世紀後半に流行した(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。大正から戦前の一円は平均して現在の五千円相当という分かり易い換算を用いるなら、五十円は二十五万円相当となる。]

 

《3-4》

○和辻 小宮 三重吉(童話と文藝) 平塚雷鳥 谷崎潤一郎 澤木梢

[やぶちゃん注:「和辻」哲学者和辻哲郎(明治二二(一八八九)年~昭和三五(一九六〇)年)。芥川龍之介より三歳年上。谷崎潤一郎らと第二次『新思潮』に参加、龍之介より二年程早く漱石山房の常連となった。かの「古寺巡礼」は大正八(一九一九)年の刊行で、翌年に東洋大学講師となり、大正一〇(一九二一)年からは岩波書店の雑誌『思想』の編集に参画開始、翌大正十一年には法政大学教授となっている。兵庫県生まれ。

「小宮」漱石門下のドイツ文学者で文芸評論家の小宮豊隆(明治一七(一八八四)年~昭和四一(一九六六)年)。漱石の「三四郎」のモデルとして知られる。福岡県生まれ。

「三重吉」漱石門下の児童文学者鈴木三重吉(明治一五(一八八二)年~昭和一一(一九三六)年)。広島県生まれ。

「平塚雷鳥」作家平塚らいてう(明治一九(一八八六)年~昭和四六(一九七一)年:本名・平塚明(はる))。大正八(一九一九)年から大正十二年頃の彼女は「婦人参政権運動」「母性の保護」「治安警察法第五条改正運動(女性の集会・結社の権利獲得)」等に取り組む女性解放運動家の印象が強い。

「澤木梢」の「梢」「こずゑ(こずえ)」で美術史家沢木四方吉(明治一九(一八八六)年~昭和五(一九三〇)年)のペン・ネーム。ヨーロッパ留学後に慶大教授となり、西洋美術史と美学を教え、『三田文学』の編集主幹も務めた。秋田県出身。]

 

○女Aの名を利用してBとあびびきす 女とAと未知 女よそにてAに叮嚀にす その恩を報ぜないと變な氣がしたからなり

 女始めて丸髷に結ふ 影が自分でないやうな氣がする

[やぶちゃん注:かなり細かな設定であるが、不詳。]

 

○女城を守る 男攻む 女男に惚れ 妻としてくれれば城をひらくと思ふ 男許す一夜の後男女を礫刑にす

[やぶちゃん注:これは芥川龍之介が好んだ京劇の「馬上縁」辺りの設定と終りを除いてよく似ているように思われる。]

 

《3-5》

○兄弟 婢を愛す 兄結婚す 婢不貞 弟その不貞の愛を拒ぐ 姊弟を憎む 兄 弟を劬はる 弟姊の憎に苦しみ 兄の愛に苦しみ自殺するに了る

[やぶちゃん注:かなり際立った愛憎劇であるが不詳。「拒ぐ」は「ふせぐ」、「劬はる」は「いたはる(いたわる)」(労わる)と訓ずる。]

 

○月の話

 prologue

 支那人 ⑵⑶⑷⑸⑹⑺⑻⑼⑽

 

[やぶちゃん注:未定稿(以上は私の旧全集に拠る電子テクスト。新全集ではこれは前半の「作者が去る。三日月ばかり。」までが「人と死(小戯曲七篇)」、後半部が「人と死と(小戯曲)」として別未定稿として分離されている。の構想メモ。以上から、この括弧書きの数字が戯曲の場数であろうことが類推出来る。]


       
Frau が夫の人格を理解せざる時夫

○姦通の case < 夫より卑しき人格Frau 

       
  Frau より卑しき人格の夫

 >故に夫がの夫を同類と思ふは僭越 の妻のの妻に於けるも同じ

[やぶちゃん注:実際には「」の「Frau が夫の人格を理解せざる時夫」の抹消の下に「夫より卑しき人格Frau」があり、⑴と⑵を受けた「>」以下が下に続いて改行される形である。「Frau」はドイツ語(英語化もしている)で「夫人・マダム」の意。]

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