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2016/07/16

ブログ840000アクセス突破直前記念 火野葦平 羅生門

[やぶちゃん注:断わっておくが、これは、かの芥川龍之介の「羅生門」を巧みにインスパイアした、否、今一つ、別のキャメラから撮影した『芥川龍之介「羅生門」火野葦平による河童主人公版』なのである。

 火野葦平は昭和一二(一九三七)年に日中戦争に応召していたが、出征前に書いた「糞尿譚」が同年(下半期)に第六回芥川賞を受賞したことを陣中で知った(戦地で行なわれた授賞式には小林秀雄が赴いているという)。無論、彼は芥川龍之介を敬愛していたが、ウィキの「火野葦平によれば、『芥川が「フィクションによってしか語れぬ事実がある」と、河童を通して社会を風刺したのに対し、葦平は「私の描く河童が理屈っぽく、風刺的に、教訓的になることを警戒していた」と書いている。また、「河童が私の文学の支柱であることになんの疑いもない」と書いている』とあり、また、葦平は六十年安保発効五日後の昭和三五(一九六〇)年一月二十四日に自宅書斎で享年五十三で死去しているが、『晩年は健康を害していたこともあり、最初は心臓発作と言われたが、死の直前の行動などを不審に思った友人が家を調べると、「HEALTH MEMO」というノートが発見された。そこには、「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたという。その結果、睡眠薬自殺と判明した。このことは』葦平の十三回忌の際、『遺族によりマスコミを通じて公表され、社会に衝撃を与えた』ともある。

「姥口(うばぐち)の沼」不詳。平安末期の羅城門外以南は複数の川が合流し、湿地も多かったので設定としては無理がない。

やたけに」(太字部は底本では傍点「ヽ」)は形容動詞「弥猛なり」の連用形で、盛んに勇み立つさま・はやりにはやるさまの謂いである。

「襖(あを)」袷(あわせ:裏地をつけて(合わせて)仕立てた着物。通常は秋から春先にかけて用いた。読みは「合(あ)はす」の連用形に由来する当て読みである)の衣。「襖子あおし)」とも呼ぶ。読みは「襖」の字音「アウ」の音変化したものである。芥川龍之介の「羅生門」にも出るが、そこでは下人の着る「紺の襖」として出る。

 本テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、840000アクセス突破直前記念として公開した。突破記念テキストは別に用意してある。【2016年7月16日】]

 

 

   羅生門

 

 

 或る日の暮れがたのことである。一匹の河童が羅生門(らしやうもん)の下で雨やみを待つてゐた。

 廣い門の下にはこの河童のほか誰もゐない。ただところどころ丹(に)塗りの剝げた大きな圓柱に蟋蟀(こほろぎ)が一匹とまつてゐる。羅生門が朱雀(すざく)大路にある以上は、この河童のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみゑぼし)がもう二三人ありさうなものである。それがこの河童のほかには誰もゐない。

 何故かといふと、この二三年、京都には、地震とか、辻風とか、旱魃(かんばつ)とか、火事とか、饑饉(ききん)とかいふ災(わざはひ)がつづいて起つた。そこで洛中(らくちゆう)のさびれかたはひととほりでない。舊記によると、佛像や佛具をうち碎いて、その丹(に)がついたり金銀の箔(はく)がついたりした木を路ばたに積みかきねて、薪の料に賣つてゐたといふことである。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などはもとより誰もすててかへりみる者がなかつた。するとその荒れはてたのをよいことにして、狐狸が棲む。盜人が棲む。賣女が棲む。たうとう河童までが來て棲むことになつた。なぜ水中に棲みなれた河童が羅生門などに來て棲むやうになつたかといへば、格別の理由はなく、旱魃のためにこれまでゐた姥口(うばぐち)の沼が干あがつてしまつたので、いつも沼から見なれてゐた羅生門へ行かうとなにげなしに考へついたにすぎない。思へば永い日照りつづきであつた。馬の足跡のたまつたのにさへ、三千匹も棲むことのできる河童のことであるから、沼にわづかでも水が殘つてをれば不自由はなかつたのであるが、それこそ一滴の水氣もなくなり、水底を露出した沼は鱗(うろこ)のやうに縱橫に龜裂が入り、はては乾燥した泥は粉末となつて、風とともに濛々と砂塵をまきあげる始末であつた。密生してゐた葦もきびがらのやうに枯れて、日中は火を發することもあつた。これではいかな河童も棲息はできぬので、心ならずも棲みなれた場所をすててとりあへず羅生門へ來たのであるが、ここもまた棲み心地のよい塒(ねぐら)といふわけにはいかなかつた。狐や狸や狢(むじな)のたぐひが棲むのは話し相手ができて惡くはなかつたし、盜人や賣女が棲むのも知らん顏してをればよかつたが、ほとほと閉口したのは、この門に引きとり手のない死人を持つて來て、棄(す)てて行くことであつた。饑饉のうへに疫病(えきびやう)が流行して、洛中では連日何十人といふ人間が死んだが、それらの屍骸をここへ運んで來る習慣がついて、日ごとに屍骸が增し、その汚穢(をわい)のさまと腐爛した臭氣とは耐へがたかつた。且つ、不愉快なのはこれらの腐肉を啄(ついば)みに來る鴉(からす)の群で、高い鴟尾(しび)のまはりを旋囘しながら賤しげな啼き聲を發し、容赦もなく天上から糞をたれ落して憚らぬのであつた。それらの糞は崩れ目に長い草のはえた石段や、ペんぺん草に掩はれた屋根や、丹の剝げた壞れかけた樓門の欄干(てすり)や、はては柱などを、時ならぬ雪を降らしたやうにまつ白く染めてゐた。

 河童は昔の沼に對してはげしい郷愁を感じ、歸心は矢のごとくではあつたけれども、水のない沼にかへるよすがもなく、ひたすら天を仰いでは雨を待望してゐたのであつた。そこへ今日の雨である。實に百日に近い早天つづきであつた。ぼつりと雨の一滴が落ちたとき、あまりのよろこびに思はず頓狂な高い聲が出て、友だちの狢(むじな)や狸から笑はれた。河童は皿に水分がなくなれば力は拔け、はては命をも失ふ仕儀になるのだが、旱魃になつて以後、皿に水氣を絶やさぬためにはひとかたならぬ苦勞をした。方々からわづかの水を集めて來て皿に入れ、辛うじて健康を保つてゐたが、どこにも水が切れて來ると、唾を塗ることでごまかしたり、はては尿(いばり)をつけたりして保全を計つた。もとより應急の姑息(こそく)手段であるために、榮養不良と相俟(ま)つて、次第に體力が衰へた。甲羅や蝶番(てふつがひ)や水かきの潤ひもなくなると、身體中にリユウマチスのやうな痛みを覺え、歩行すらも困難になり勝ちであつた。もう十日も炎天がつづいたら、寢こんでしまはねばならぬとすこぶる恐慌(きようくわう)を來してゐるところへ、この雨であつた。河童が歡喜のあまり多少狂氣じみた言動をしたとて、すこしも咎むるところはないであらう。水といふものがただちに生命につながつてゐるほどの切實感をもたぬ狸や狢どもは、河童がなにかしきりに喚(わめ)いては泣きだしたのを見て、どつと笑ひくづれた。

 樓門の欄干にもたれて雨のなかに出ると、皿の上につめたい水の感觸が心臟にまでひびくやうなこころよさで傳はり、みるみる身内に元氣の溢れて來るのが自分でもわかつた。口をひらき天から落ちる雨滴をべろべろと舐(な)めのみこんだ。失はれてゐた精氣をとりもどして、河童は久しぶりで跳躍をしてみた。長い間の不健康で膝頭がうまく彎曲(わんきよく)しなかつたが、それでも門の舞臺の端から端まで五囘で飛ぶことができた。多くの屍骸の中を飛んだのだが、そのときは日ごろは鼻持ちならぬ臭氣などまつたく氣にならなかつた。

 興奮がをさまると、河童は故郷のことを思ひだした。姥口(うばぐち)の沼にまた水がたまる。昔の沼へかへれるといふ思ひはさらに河童を有頂天にした。しかしながら、この河童は、思ひがけぬ幸福にめぐりあつたときにあまりに慌てれば、その道をとり逃がすといふ、あの苦勞人の愼重さを失つてはゐなかつた。心はやたけにはやつてゐるのに、河童はわざと悠容とした足どりで、梯子(はしご)段を降り、門の下に出て彳(たたず)んだ。はじめに「一匹の河童が暮れがたの羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」と書いたのは、かういふわけであるが、尤も河童が單に雨の止むのを待つてゐたのでないことは斷るまでもなからう。雨をよろこびこそすれ、雨に濡れて困る河童ではない。またどんな土砂降りのなかでも格段傘を必要としない。かれが門の下に彳んでゐたのは、實ははやる心をおさへつつ、故郷たる姥口の沼にすこしでも多くの水のたまるのを待つてゐたのであつた。

 雨は羅生門をつつんで、遠くからざあつといふ音をあつめて來る。夕闇はしだいに空を低くして、見あげると門の屋根が斜につきだした甍(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支へてゐる。

 雨の音を聞きながら彳んでゐるうらに、河童はこれまでは忘れてゐたはげしい空腹を感じはじめた。早魅と饑饉と疫病と相ついで起つたために、河童は家と食とを同時に奪はれた。大好物である胡瓜はいはずもがな、唐黍や茄子なども影をひそめ、魚類も涸渇(こかつ)して口にする術がなくなつた。人間の尻子玉はかへつて得る機會が多くなつたが、それらのほとんどが腐敗し靡爛(びらん)してゐて、たまに若干新鮮なものを得ても、滋養分に乏しくて、腹の足しにはならなかつた。食餌の不足のときでも水さへ飮んでをれば、相當期間耐へることができるのだが、その水はすでに先刻切れてゐた。榮養失調となつて、河童は日とともに瘦せ細り、往年の面影は見るべくもなつてゐた。さうして今日の雨に會ひ、雨を飮んでいくらか元氣はとり戾したものの、胃袋のなかはまつたく空で、ほんたうの力が湧いて來ないのだつた。門の下に彳んで頃ほひをうかがつてゐた河童は猛然たる食慾に襲はれ、腹がぐうぐうと鳴り、眼前を胡凧や唐黍や魚などの幻影が、蜃氣樓(しんきらう)のやうに浮んで來て消えなかつた。

 わづかに西空にほのかな明るみだけを殘すころになつて、雨がやんだ。どれくらゐ故郷の沼に水がたまつたかと樂しい想像に、久しぶりに唇をほぐしつつ、河童は羅生門の下を出て歸路についた。歩くたびにすき腹にこたへたが、歸家のよろこびにしばらくはその苦痛を忘れて急いだ。

 それから何分かの後である。さして遠くはないので、河童はまもなく姥口の沼にたどりついたが、來るときのよろこびはどこへやら、期待に反した落膽にほとんど呆然となつて、沼の緣に立ちつくしてゐた。胸ときめかせつつかへつて來た故郷の沼の思ひがけなく荒廢したさまは、まさに眼を掩はしむるものがあつた。いつたいどうしたといふのであらうか。思考力のにぶつた河童は悲しげに首をひねるのであるが、とはいへ、そこには格別に意外な現象がおこつてゐたわけではなかつた。羅生門へ引き取り手のない死人を棄てに來るやうに、姥口の沼にも同樣に死人を持つて來て棄てたにすぎなかつた。沼は山蔭になつてゐて人目にはつきにくいし、距離としても手ごろなので、日夜續々と發生する洛中の死亡者の埋葬地としては、むしろ絶好の場所といつてもよかつた。河童が水の乾いた沼を出た後に、つぎつぎに棄てられる死者はしだいに數を增し、いま久しぶりに河童がかへつてみれば、屍骸は重なりあつて堆積し、沼を埋めつくしてゐるのみならず、もりあがつて岸の土堤にさへあふれてゐた。男や女や老人や子供やのさまざまの屍骸は、ことごとく饑餓のために骨をつきだした瘦軀(そうく)のまま投げすてられ、その多くのものは腐爛して鼻孔をはげしくつきさす臭氣を發散し、蛆がわいてむちむちと不氣味な音を立ててゐた。なかにはすでに白骨となつてゐるものも多く、諸所から靑白い燐光が人魂のやうにぼうと立らのぼつてゐた。その屍骸の山の底からくぐもるやうな呻(うめ)き聲がときどきかひびいて來る。どうもそれは棄てられてから生きかへつた者か、或ひは半死のまま棄てられた者の斷末魔の呻きのやうに思はれた。降つた雨はこれらのうへにたまつて、沼全體が一つの腫物(はれもの)のやうに見え、雨は膿(うみ)のやうに淀んでゐた。それらのうへに黑豆をまいたやうに鴉が群れて、いやな聲で啼いてゐた。

 落膽のために淚すらも出ない河童は、魂を奪はれたやうに、長いこと立ち疎(すく)んでゐた。ふいに眩暈(めまひ)を感じてよろけることもあつたが、やつとの思ひで身體を支へて、なほもいつまでも動かなかつた。そのうちに、すでに闇黑となつた夜の沼の妖景のなかに、なにやらしきりに蠢(うごめ)いてゐるもののあるのが、うつろな河童の瞳にうつつた。それは人影らしく、その人彰は屍骸の間をかきわけるやうにして右往左往し、ときに立ちどまつてなにかを探すやうにきよろきよろしてゐた。なにをしてゐるのか、ときに身體を屈してうづくまると、屍骸の間にふかく顏をつつこむこともあつた。手にしてゐる明りで、ときどきうす汚ない顏が見える。鋭く削(そ)いだやうに顴骨(かんこつ)のとび出た頰と、尖つた顎と、血走つた賤しげな眼の光とが浮かび、男か女かわからぬやうに髮をふりみだしてゐて、亡靈のやうにも見えた。氣がつくと、それは一人ではなく、左の方にも、右の方にも、思ひがけなくすぐ足元にも、默々と、そして默々と、同じやうな動作をしてゐる者があつた。

 河童の瞳は無意識にそれらの動きに向けられてゐたけれども、格別ふかく注意してゐたわけでもなかつた。姥口の沼に現出された地獄圖繪は全體としてその強烈な印象で、氣弱な河童の神經を錯亂させてしまひ、思考力や判斷力といふやうなものはまるで河童の心から消えてゐた。蠢いてゐる人間たちがなにをしてゐるかもわからなかつたし、またなにをしてゐようと今の河童には無關係のことであつた。そんな他人事にかかづらふよりは、胸とどろかせてかへつて來た故郷の沼がかういふ狀態で、棲むことは愚か、ここに止まることさへもできない悲しみにうちひしがれてゐたのである。しかしながら、いくら思案してみたとてはじまることではなかつた。やがて、河童はふかい吐息をつくと、沼に背を向け、跛(びつこ)をひきながら、とぼとぼと羅生門への道を引きかへした。脱け殼のやうな步きぶりであつた。

 それから、また何分かの後である。羅生門の樓の上に出る幅のひろい梯子の中段に、河童は猫のやうに身をちぢめて、息を殺しながら、上の樣子をうかがつてゐた。樓の上からさす火の光がかすかに河童の憔悴した頰を照らしてゐる。河童はやむなく羅生門を第二の故郷とすべく心にさだめて、氣をひきたたせながらさきほどかへつて來たのであるが、かへつてみると、どうも羅生門の樣子が出るときとちがつてゐた。たれかが火をとぼして、その火をそこここと動かしてゐる。その濁つた黃色い光がすみずみに蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏にゆれながらうつつてゐた。河童は奇妙なことに思ひながら、足音をひそませて梯子を登り、上の樣子をうかがつた。上のありさまは常に棲みなれてゐることとてよくわかつてゐた。屍骸が投げ棄てられて腐爛した臭氣のただよつてゐるさまになんの變りもなかつたが、ただ、見ればそれらの屍體の間にうづくまり、ごそごそとなにか探しまはつてゐる一人の見なれない老婆の姿があつたのである。檜皮(ひはだ)色の着物をきた背のひくい猿のやうな老婆の瘦せた顏は、火をともした右の手の松の木片にくつきりと照らしだされたが、そのぎらぎらと光る鳶(とび)のやうな眼は、樓の臺上に轉がされてゐる女の屍骸の一つに釘づけにされてゐた。老婆はやがて、松の木片を床板の間にさすと、その屍骸の首に兩手をかけ、ちやうど猿の親が猿の子の虱をとるやうに、その長い髮の毛を一本づつ拔きはじめた。髮は手にしたがつて拔けるらしい。

 河童には老婆がなんのために髮など拔くのかわからなかつた。しかしながら、老婆の不思議な擧動を見てゐるうちに、河童の腦裡にありありと先刻見た姥口の沼の凄慘な狀景がよみがへつて來た。あのときはただ無意識にながめてゐただけであつたが、いま思へばあそこでもこの老婆と同じ動作をしてゐたものがあつたやうに思はれる。いや、もつといろいろなことをしてゐた。死人の懷をさがしたり、着物を脱がせたり、帶をほどいたりしてゐる者もあつたやうだ。不思議なことにあの時はただぼんやりした眼に、いくつかの人影がうごめいてゐたことのみが焦點もあはずにうつつてゐたのに、いまここに來て、その人影のおのおの異つた行動が明瞭に浮かんで來るのであつた。そして、それらの行爲と今この老婆の行爲とにはたしかに共通したものがあつた。河童ははじめて人間がなにをしてゐたかを悟つて、驚きの思ひにうたれた。さうして、ふたたびいひやうのない空腹に襲はれたが、氣の弱い河童はただ途方に暮れるのみであつた。

 このとき、突然、眼前に展開された事件のために、仰天した河童はあやふく梯子をふみはづして、落ちるところであつた。どこに潛(ひそ)んでゐたのか、これまで全く氣づかなかつたが、突然一人の下人(げにん)が樓上に飛びあがつて、老婆の前に立ちはだかつた。おそらく、もう一つ門の外側にある梯子を登つたものであらう。床板にさされた火の光のなかに赤く膿をもつた面頗(にきび)だらけの頰が照らしだされた。河童もおどろいたが、もつとおどろいたのは老婆である。下人が兩足に力を入れて、聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆に近づいて行くと、老婆は頓狂な聲を發して、弩(いしゆみ)にはじかれたやうに飛びあがつた。老婆が屍骸につまづきながら、あわてふためいて逃げようとする行手を、下人はふさいだ。おのれ、どこへ行く、と喚くのと、老婆の襟首をつかんで屍骸のなかに扭(よ)ぢたふすのと同時であつた。下人はいきなり太刀の鞘をはらつて、白い鋼のいろを老婆の眼前へつきつけた。

「なにをしてゐた。きあ、なにをしてゐた。いへ。いはぬと、これだぞよ」

 老婆は默つてゐる。兩手をわなわなふるはせて、肩で息を切りながら、眼は眼球が瞼(まぶた)のそとへ出さうになるほど見ひらいて、啞のやうに執念(しふね)く默つてゐる。それを見ると、下人はすこしく聲を柔げて、俺は檢非違使(けびゐし)の役人ではない、今しがたこの門の下を通りかかつた旅の者だ、だからお前に繩をかけてどうしようといふやうなことはない、ただ今時分この門の上でなにをしてゐたのだか話しさへすればよいのだ、といつた。老婆は肉食鳥のやうな鋭い眼で下人を見あげてゐたが、ほとんど皺で鼻とひとつになつた唇をもごもごさせて、喘(あへ)ぎ喘ぎ、この女の髮を拔いて、鬘(かつら)にするつもりであつた旨を返答した。

「わしのすることは惡いことかも知れぬ。したが、このほかに、わしのやうな老いぼれになにができよう。わしはもう永いこと、飯(いひ)を食はぬ。これこのとほり、手も、足も、胸も、骨と皮ばかりぢや。このままならわしは飢ゑて死ぬるほかはない。飢死せまいためなら、仕方がないのぢや。わしにできることをして、生きねばならぬ。さうぢやらうが。おぬしにもそれはわからう。な、わかるぢやらう」

 屍骸の頭からとつた長い拔け毛をふりまはすやうにしながら、老婆は蟇(がま)のつぶやくやうな聲でさういつて、下人の顏をおづおづと覗いた。その瞳は不安の色をたたへてはゐたが、犯すべからざる確信にも滿らてゐた。それを聞いた下人の眼が急に妖しく光りだしたが、なほも襟首をつかんだまま、きつと、さうか、それにちがひあるまいな、と苦しげな聲で二三度念を押した。老婆はまちがひないと答へると、下人はとつぜん新行動にうつつた。ではおれが引剝(ひきはぎ)をしようと恨むまいな、おれもさうしなければ飢死をする身體なのだ、と、下人はこれも不思議な勇氣と確信とを持つた聲でいふと、すばやく老婆を手荒く屍骸のうへへ蹴たふした。下人は剝ぎとつた檜皮いろの着物をわきにかかへると、またたく間に急な外側の梯子を夜の底へかけ下りた。老婆はいつまでもたふれてゐて動かなかつた。

 眼前に展開された思ひがけぬ活劇に、河童はさらに途方に暮れるばかりであつた。腦裡にはいよいよ鮮やかに姥口の沼の光景が浮かびあがつて來たが、いづくにもくりかへされてゐる人間の行動の意味が、暗愚鈍重の河童にはわかつたやうでわからないのである。生活の勇氣と正義といふもののもたらす昏迷に、思考力のにぶつた河童はいたづらに疲れるばかりで、それでは自分はどうすればよいのかといふ決斷はまつたくつかなかつた。自分も飢死しかかつてゐるが、それでは老婆や下人のやうに、また、姥口の沼の人間たちのやうに、なにをしてもよいなどといふ颯爽たる生活の方途を考へつかなかつた。河童は自分の優柔不斷と勇氣のなさが情なくなつた。

 しばらく死んだやうにたふれてゐた老婆は、やがて屍骸の中から醜い裸の身體をおこした。老婆はつぶやくやうな聲を立てながら、まだ燃えてゐる光をたよりに、外側の梯子の口まで這つて行つた。さうして、そこから短い白髮をさかさにして、門の下をのぞきこんだ。そこにはもう下人の姿はなく、黑洞々(どうどう)たる夜があるばかりであつた。老婆はにたりと笑みを浮かべると、また這つたままもとの位置へ引きかへして來た。きよろきよろと屍骸を物色してゐる樣子であつたが、一つの屍骸へ近づいて行つて、帶をときはじめた。よごれ破れた紺の襖(あを)の着物を屍體から脱がせてしまふと、鼻をひくひくさせてにほひを嗅いだ。それから、にほひと埃と虱とを一時にふるひおとすやうに、着物をうちふつたが、またにたにたと會心の笑みを浮かべて、その着物の袖に鷄のやうに瘦せた手をとほした。それは男物で似あふといふわけにはいかなかつたが、ともかくも老婆の押しつぶされた蟇のやうな裸身はかくされた。老婆は大きな嚏(くさめ)をひとつして手洟(てばな)をかみすてた。それから、床板にさした松の木片の火をうごかして屍骸の間をさがしまはり、さつきの女の死骸のかたはらにうづくまると、ふたたびその毛を拔きはじめた。ときどき、老婆は闖入(ちんにふ)者をおそれるもののごとく、拔く手をやすめて、首を斜にし、外の氣配に耳をかたむけた。蜘蛛の巣のはりめぐられた天井に、うごめく老婆の黑い影が巨大な蝙蝠(かうもり)がはりついたやうに息づいてゐた。

 梯子の上の河童はやがてすごすごと門の下へ降りた。やうやくにして決心のついたことといへば、もはやこの羅生門には二度と棲むまいといふことにすぎなかつた。どうして飢ゑをしのいだらいいか、またどこに棲んだらいいかについても、更によい思案も浮かばなかつたけれども、ともかくここは棲むべきところでないときめて、河童は憤然とした足どりで、黑洞々たる夜のなかへ消えていつた。

 河童の行方は、たれも知らない。

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