教育は学校で十分 梅崎春生
うちの男の子が今度四年生になったら、俄然宿題が多くなったと嘆いている。
学校から戻って来ると、重いランドセルをおろし、腹がぺこぺこだと言いながら勝手に電話でざるそばなどを注文して食べ、それから宿題を始める。
夕食時が来るとたら腹食って、また机に戻り、宿題にしがみつく。それほどやっても終るのが九時半、十時に及ぶ日がしばしばである。
もっともテレビの番組に面白いのがある日は、宿題をスピードアップして、見る時間を結構拈出(ねんしゅつ)しているのだから、ふだんの日はなまけなまけやっているのかも知れない。しかし宿題が多いということは、宿題用紙の量から見ても判る。
これが中学になるともっとひどくて、有名校になると、夜十二時前に寝るような子はたちまち成績が下って、落伍してしまうのだそうである。
もう昔のことだからほとんど忘れたが、私の小学校中学校では、宿題というのはほとんどなかったような気がする。
私の生地は地方都市で人口もすくなく、今の東京のようにせち辛くなかったせいかも知れぬ。また学校に持って行く教科書類もすくなく、風呂敷にちょこちょこ包んで、登校下校した。
家に戻るとその風呂敷包みをそこらに放り出して、遊びに出かけた。今子供のランドセルを持ち上げてみると、やたらに重い。私の時代の三倍やそこらはあるようだ。あれを全部学校で習っているのだろうか。
「春夏秋冬」という季刊文芸同人雑誌がある。その春の号に伊藤整氏が「ニューヨークの小学校」という小文を書いている。伊藤さんは今ニューヨークにいて、八つになる娘さんをそこの小学校に入れたのだ。
その小文によるとあちらの小学校では、教科書は学校に置きっ放しで、家に持ち帰ってはいけないことになっているらしい。したがって宿題もあり得ないわけである。
それから日本の小学中学は、五十分授業で十分間の休憩があるが、伊藤嬢の学校は午前九暗から十二時まで休みなしのぶっ続け。帰宅して食事、また登校して一時十五分から三時までぶっ続け、とのことだそうだ。途中で便所に行きたい時は勝手に行っていい、という仕組みになっている。つまりみっしりと集中的に勉強する。
丁度それはアメリカの官庁や会社と、日本の役所や会社の違いと似ているのだろう。アメリカのはきめられた時間は、わき目もふらずにごしごし働く。
日本の役所は出勤時にも調整時問というのがあり、四十分ぐらい遅れても遅刻にならない。登庁してもすぐ仕事にはかからず、先ず一服してゆっくりお茶をのむ。十一時半ぐらいになると昼飯を食いに出かけ、一時過ぎに戻って来る。退庁時刻になると、急に仕事を思い出して残業する。
残業すれば残業手当がつくが、子供の宿題には宿題手当がつかない。厭々ながらやるから、学業が身につかない。やはり学問は学校でやるのが本筋であって、宿題を持って帰るのは邪道ではなかろうか。
「随筆」という雑誌があって、毎号「随筆寄席」という愉快な座談会が開かれているが、その六月号のそれで林髞氏が、同じ趣旨の発言をしている。
戦争前林さんはお嬢さんをアメリカンスクールに入れた。やはりここでも教科書を家に持って帰さない。学校で教えることは学校で覚える。家へ帰って覚えてはいけないという方針で、もちろん宿題なんかはない。ぼくは宿題全廃論者だと林さんが言うと、徳川夢声氏も大賛成で、
「……先生が不精なんです。先生自身、教える自信がないんだナ。教育は先生だけがするもんじゃない。家庭と力を合わせて、はじめて真の教育ができると思っておる。それはある意味で、そのとおりです。家庭には家庭の教育があるはずです。しかし今の先生は、学校の教育も、家庭でしろてんだから」
と、先生たちが聞くと怒りやしないかと思われるような発言を、徳川さんはしている。私も徳川さんの言に賛成である。
しかしこれには異論があるだろう。日本とアメリカとは国情が違う。日本には日本の特殊事情がある。勉強しなきやいい学校に入れないし、いい学校を卒業しなきゃいい職業につけない。狭い国土に一億人の人間がひしめいているのだから、少々無理して勉強して、他人を蹴落して突進しなけりや、生きて行けないのだ。と、世の中のある種の親たちは叫ぶであろう。
そういう親たちの子供こそいい面の皮で、遊ぶということを知らず、朝起きて夜寝るまで、何らかの意味で勉強につながるという生活をしている。
素朴な私見によれば、子供というのは遊ぶことが仕事であり、勉強ということはつけ足しである。それが勉強ばかりになったら、人間性(子供性というべきか)は荒廃してしまう。
他人を蹴落すことばかり考えているから、友人同士でそねみ合い、けんせいし合っている。友人にけちをつけ、あるいは利用出来るものなら豚のシッポでも利用しようという、小さなエゴイストが出来上る。
私たちが学生の時にも、そんな性格の男はいた。いたけれども、それは一組に一人か二人ぐらいなもので、たいてい軽蔑の的となり、仲間外れにされていた。今はそのパーセンテイジが多いらしく、都内の有名校などでは集団的に発生しているようである。
「そんな人間になるくらいなら、宿題なんてしなくてもいいのだぞ!」
という言葉が咽喉(のど)まで出かかっているけれども、そうすれば子供は大よろこびして、親の許しを得たとばかり、公然とさぼり出すだろう。それじゃ困るので、私も黙っている。
それと関連あると思うが、近頃奨学金の返還率が非常に悪いそうである。だから育英会では、戸別訪問による集金に乗り出したが、予算がすくないので集金人がわずかしか雇えない。
奨学金というのは一種の借金だから、かならず返さねばならぬ。それを何故返さないかというと、三つの型に分れていて、
一、面倒くさいから返さないもの。
二、払わないでいれば、その中育英会の方であきらめてしまうだろうと、希望をつないでいるもの。
三、育英会に無断で転居して、転居先不明で督促状が届かない。それで返済を忘れて(?) いるもの。
この中で一と二が圧倒的に多いのだそうである。借りる時には三拝九拝したかどうかは知らないが、利用するだけ利用し尽すと、あとは知らぬふりをするというのも、小さい時からエゴイストに育てられているせいではないのか。戻さなきゃ資金が尽きて、後進に奨学金が与えられなくなる。
それを知りながらそんなことをするのは、極めて悪質なことだと思う。
[やぶちゃん注:「うんとか すんとか」連載第五十九回目の『週刊現代』昭和三六(一九六一)年六月四日号掲載分。
「林髞」(はやしたかし 明治三〇(一八九七)年~昭和四四(一九六九)年)は大脳生理学者であるが、ペン・ネーム「木々高太郎(きぎたかたろう)」の方でより知られる推理小説家の本名である。]