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2016/07/27

宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   屍、不淨に哭く

    屍哭不淨(しかばねふじやうをなく)


Sikabnehujyouwonaku

羽州の最上川に始て至る、水鳥よめる名所也。越えて行くかた五町計の小家(こいへ)によりて煎茶(せんじや)乞ひ、晝飯(ひるいひ)のしたゝめする。家の主は四十(よそぢ)計りの男、此の者の母と覺しき、七十餘りの老尼、口とく、とはず語りして、旅僧はいづこよりいづくへ通り給ふと、諸國を修行(すぎやう)して、廣く國々をめぐり侍る。扨は珍しき事も怖しき目にも多く逢ひ給はん。されば、家なき時は草に臥し、木の根を枕にあかすといへど、かはりたる事もなしといへば、老尼、聞きて、さほど山野にさへ怖しき事のなきに、いかなれば普光寺(ふくわうじ)のばけ物は、里といひ、しかも、たとき御寺に住む事、ふしぎさよ、と子に向ひ語る。夫れはいかなる事ぞ、普光寺とはいづくぞ、と、とへば、あるじ答へて、此三町東に、海道より一町右へ引きこみたる寺の侍り。慈覺大師の開基にて、戒定惠(かいぢやうゑ)の法燈(ほふとう)をかゝげ、念佛三昧の鳧鐘(ふしよう)、古來、久敷(ひさし)く斷絶なく、都鄙(とひ)勸學の僧侶、群(ぐん)をなし集まる。始めの御堂(みだう)の建所、方量(はうりやう)あしきに依つて、所をかへ、再興する。此の造立(ざうりふ)の後、御堂と門との中間に、夜々(よなよな)、妖し怖しき聲ありて、唸く事、止む事なし。兒(ちご)、喝食(かつしき)のごときは、氣を取りうしなひ、おとなしき僧、法師なども、一度(たび)聞きて、二度、よりつかず。他國の者は逃げ下り、老僧、死すれば、後住(ごぢう)なく、自ら人住まぬあれ野となつて、僧法(そうはふ)ともに退轉いたし侍る、と語る。こは怪しき事をも聞きける物かな。今宵(こよひ)、其の門に居て、事のやうを見申さんといへば、母子(ぼし)打笑ひ、不敵の僧のいひ事や、いはれぬ肘立(ひじだて)、御無用さふと、むくつけなく、いひ出でたる。尤も左には侍れど、其ものに命を奪はれば、それ迄の報(はう)、命(めい)生(い)きて歸らば、都づと、物語りのたねにせんと、すぐに、かの寺に行きてみるに、いひし如く、樞(とぼそ)おち、甍(いらか)破れて、霧の煙(けぶ)り、月の燈(ともしび)、夜ならずとも人獨(ひとひと)りなんど、寺内(じない)に休(やす)ふべくもなし。後(うしろ)に近き山、虎狼(こらう)のふしどゝなり、妻(つま)乞ふ鹿の聲、哀れに、庭の松桂、高く。梟すごく音そへ、蝙蝠(へんふく)、枝にあらそひ、築山、さらに土(つち)穿(うが)ちて、淸(きよ)めぬ泉、藻に埋(うづ)む。昔しの名殘(なごり)みゆるに、今の哀れのいとゞしき、とかく時刻を待付けて、日も漸々(やうやう)暮れぬ。あれたる緣(えん)に平座して心をすます。案の如く、惣門(そうもん)のこなたに、哀れなる聲して、叫(いめ)き出づる。其の音(おと)、えもいはれず、骨髓に透(とほ)つて、物悲し。形ちや有る、と見まはすに、更に正體(しやうたい)もなし、たちて聲を求め行くに、大きなる※子(いてう)の木のもとなり[やぶちゃん字注:「※」=(へん)「木」+(つくり)「銀」。]。爰にも猶、物の形ちはなくて、此の地中に叫(うめ)く聲、有り。心をすまし、耳を地につけて聞くに、叫(うめ)く計りにはあらで、言語(ごんご)おぼろに、爰を掘出して塚をかへよ。何ぞ淸淨(しやうじやう)の行者(ぎやうじや)をかく迄、穢(けが)すぞ、といふ也けり。扨、いかなる人の、かく地中に在りて、いふぞ、と問ふ。答へ、我れは羽黑の行人(ぎやうにん)、一生不犯(ふぼん)の山伏なり。此の道を過ぐるとて、卒病(そつびやう/ニハカヤマヒ)の爲に、むなしく成りしを、當寺の衆僧(しゆうそう)、哀れをかけて、淸き所に土葬し、一基(き)の主(あるじ)となし、卵塔(らんたふ)いみじく、玉垣(たまがき)あざやかに、朝暮(てうぼ)誦經(ずきやう)の手向(たむけ)を請けて、無緣の厚恩をよろこぶ。爰に、此の堂、十餘年已前、再興によつて、昔しの地を轉ずる時、此の塔婆、諸用の障りとなるによつて、取除(とりの)けらる。其の後、功なり、造營すむといへども、元來ゆゑなきものゝ墳墓の跡、たれいひ出でゝとりたつる人なく、自(おのづ)から出入の道となつて、便痢(べんり)の不淨を流す。此の愁ひ、屍(かばね)にとほつて苦し。扨こそ聲をたてゝ叫(うめ)くなれ。なほ此の聲の後、化生と號(なづ)け、僧俗ともに不ㇾ住、讀經(どくきやう)の聲さへ絶え侍る。願はくば、爰を穿(うが)ち、淸淨(しやうじやう)の地に易(か)へてたべ、と、いと哀れにかたる。祇、問ふ。命あつて、身、全(まつた)き程社(こそ)、清不淨(しやうふじやう)もあらめ。何ぞ一つの息絶(いきた)え、ふたつの眼(まなこ)とぢて、魂魄、東西にちらば、何か、其の恨み殘らん。夫(そ)れは穢體(ゑたい)に執(しふ)をとゞむるといふ物なるべしと、地中に答ふ。理(ことわ)りなれ共、去る仔細の侍る。我れ、一生の内、深く誓ふ事有り、命、一度終ふる共、今の骨肉は其の儘にして、二度(たび)、大名高家(だいみやうかうけ)に生(しやう)ぜんと、丹誠(たんせい)に祈し執(しふ)、身をはなれず、たゞちに生きて有るがごとしと思へば、又、正しく死せり。たとへば、枕上(ちんじやう)に夢見るがごとし。手足、不動(うごかず)して、一心、物に苦み、身を痛(や)むと、又、問ふ。然らば不淨に不汚(けがされざ)る先に、今生に生れざるやと、答へ。一生修(しゆ)する所の戒行、不足あり。是をつくなふに、五十年、地中に勤行(ごんぎやう)する事、有り。四十年にみたざる内、此の不淨に汚さるゝ故に、愁ㇾ之(これをうれ)ふると、又、問ふ。大名高家に生(むま)れんと誓ひて、其の後の生所(しやうじよ)をしれるやと、能くしれる事なれども、あからさまに語るよしなし、只、早く人に傳へ、爰をほりうつし給へ、といひて、此ののちは問へども、いらへずなりぬ。とかくの問答に夜もいたうふけぬ。經よみなどして夜の明くるをまつ。野寺の曉(あかつき)の鐘なりて、鳶(とび)、烏(からす)のしのゝめを告ぐる頃、門外に人音(ひとおと)多く聞(きこ)ゆるを見れば、晝(ひる)かたりし宿のあるじ、里人、大ぜいかり集めて、我が死生(ししやう)を見に來(きた)る也。我が別事なきを見て、各、肝をけし。さていかなる事か侍る、と問ふ。しかじかの問答(もんだふ)しぬ。かしこをほりてみ給へといふに、こはあやし、扨は、さる事か、と、農具を以て土をうがつに、五十計りの山伏、面色損ずる事なく、ねぶれるごとく、頭巾(ときん)、鈴かけさながらに、念珠(ねんじゆ)、くびにかけたり。聞くに久しく土中に在りて、堅固に身體(しんたい)の其の儘なるぞ、ふしぎなる、とある山岨なる地を掘り、卒都婆(そとば)、新(あらた)にたて置きぬ。此の後(ご)、更にあやしき聲たえて、又もとのごとく、僧徒、入院(じゆゐん)し、佛法の地となりぬ。

 

 

■やぶちゃん注

 最後の出土した遺体の描写の、

「頭巾(ときん)、鈴かけさながらに、念珠(ねんじゆ)、くびにかけたり」

とある箇所は、底本では実は、

「頭巾(ときん)冷(すゞ)けさながらに念珠(ねんじゆ)くびにかけたり」

となっているのであるが、どうも何かおかしい。「西村本小説全集 上巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)を確認してみると、ここは、

「頭巾(ときん)鈴(すゞ)かけさながらに念珠(ねんず)くびにかけたり」

となっており、この「鈴(すゞ)かけ」というのは修験者が衣服の上に着る麻の衣を指す「篠懸衣(すずかけごろも)」のことに違いなく、底本のこの箇所は私が感じた通り、おかしいことが判明した。されば例外的に「西村本小説全集 上巻」を参考に、かく本文を校訂した。

 なお、底本では最後に三行空けて「宗祇諸國物語卷之一」とある。

 さてもこの話、宗祇が廃寺の由来を聴き、そこを訪れ、その荒れようを描写する辺りまでの前半部分は、後の上田秋成の「雨月物語」の「靑頭巾」の構成と描写かなり有意に似ている(リンク先は私の訳注電子テクスト)。更に後半の執着によって生けるがままに行者が出土するというシーンは、やはり秋成の「春雨物語」の「二世(にせ)の緣(えにし)」(但し、同作の「入定(にゅじょう)の定助(じょうすけ)」は本当に生きていて後日談が続くというトンデモ・ストーリーである)にも似ている(リンク先はやはり私のもの)。秋成は明らかに、これらの種元として、この話を使用していると考えるのが自然である。なお、この即身成仏絡みの怪異譚は私のすこぶる偏愛するもので、秋成に先行し、秋成がやはり素材としたに違いない(しかし、総てこの「宗祇諸國物語」よりも後)、

元禄一七(一七〇四)年版行の章花堂(正体不明)の「金玉ねぢぶくさ」の州雨鐘の事」

三坂春編(はるのぶ)の寛保二(一七四二)年の序を持つ「老媼茶話」の「入定の執念」

明和四(一七六七)に京都で刊行された高古堂小幡宗左衛門作「新説百物語」の「定より出てふたゝび世に交はりし事」

も、ずっと昔に原文電子化とオリジナル訳を行っている。未読の方は是非、お楽しみあれ。

 

・「普光寺」「慈覺大師の開基」秋田県内に同名の寺が嘗て存在したことは確認出来たが、果たしてそれがこの条件(他にもその寺の位置は最上川を越えたところ(北)と読める)を満たすかどうかはなはだ怪しい。天台座主慈覚大師円仁の開基と伝承する寺は全国に散在する。因みに彼は天台宗である。

・「戒定惠(かいぢやうゑ)の法燈(ほふとう)をかゝげ」「戒定惠」は仏道修行に必要な三つの大切なもの「三学」、悪を止める「戒」・心の平静を得る「定(じょう)」・真実を悟る「慧(え)」である。「法燈を」掲げるというのは、仏法の光明を灯火に譬え、それがこの世の闇を隈なく照らし出す、ということを象徴的に言う語である。

・「念佛三昧の鳧鐘(ふしよう)」「鳧鐘」(現代仮名遣「ふしょう」)とは具体には梵鐘や念仏に用いる小さな鉦(かね)を指すが、ここは前の「戒定惠の法燈(ほふとう)をか」かげると対になった表現で、僧がそこで仏を一心に念ずる道場であることの象徴である。

・「方量(はうりやう)」調べてみると、この語には行政上の「検地」の意味がある。ここはまさにそれである。だからこそ相応の寺院でありながら、止むを得ず、「所をかへ、再興」せねばならなくなったのである。

・「兒(ちご)、喝食(かつしき)」「兒」は「稚児(ちご)」で寺院などに召し使われた少年、「喝食」(現代仮名遣「かっしき」。「かつじき」とも呼んだ)は本来は禅寺で食事をする際、食事の種別や進め方を僧たちに告げながら給仕する役に当たる未得度の物を指すが、宗派に限らず、広く学問のために寺に預けられ、その任を務めた有髪(うはつ)の稚児(ちご)を指す。そもそもここは「勸學」の道場であるから、異なった宗派の僧が居て構わないから、禅宗僧がいてもよいのである。ここは私は、「喝食」をより上位の少年の僧見習いとし、「兒」(稚児)をそれよりも若年の下役の童子の意味で分けてとる。

・「おとなしき僧、法師」「僧法ともに」と筆者は明らかに「僧」と「法師」を区別している。順列から見て「僧」の方が「法師」よりも上位のように見受けられるが、そのような区別は本来はない。敢えて言うなら、「法師」には法体をしているが、出家得度をしていない俗人を呼ぶことはあるから、この区別や順列はおかしくはないとは言える。

・「いはれぬ肘立(ひじだて)」無茶な(或いは、余計な)気負い(或いは気勢を張ること)。

・「さふ」補助動詞「候(さふらふ)」の略。「御無用(に)候ふ」。

・「むくつけなく」「むくつけし」に同じ(「なし」は「無し」ではなく、そのような状態であることを示す接尾語である)いかにも恐ろしそうに。さもとんでもないこと、という感じで。

・「報(はう)」それはそれで私の因果の応報として決められたこと。

・「樞(とぼそ)」ここは扉の意。

・「松桂」「しやうけい」。

・「蝙蝠(へんふく)」こうもり。

・「築山」「つきやま」。

・「※子(いてう)」銀杏(いちょう)。

・「羽黑の行人(ぎやうにん)」修験道のメッカとして知られる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)の一つ。現在の山形県鶴岡市にある標高四百十四メートルの羽黒山の修験者。

・「便痢(べんり)」厠が近かったか、低い位置にあるために下肥などが流れ下ったのであ・「化生」「けしやう(けしょう)」で、ここは「化け物」の意。

・「易(か)へてたべ」どうか、改葬して下さい。

・「社(こそ)」国訓で係助詞「こそ」。

・「つくなふ」ママ。「つぐなふ」(償ふ)で、不足を補うの意。

・「大名高家に生(むま)れんと誓ひて、其の後の生所(しやうじよ)をしれるやと、能くしれる事なれども、あからさまに語るよしなし」これは非常に興味深い発言である。この行者は既にして、修行なって輪廻して人間道に再び生まれ変わる際、確かに「大名高家」所謂、大大名或いは非常に高貴な家柄の子として転生することが決定しており、それを彼自身も確かに知っている、それどころか、具体的に何処の誰の子となるかも知っているというのである! さればこそ、この穢れた場所で供養されずにいては、その補填のための修行も満足に出来ず、何時まで経っても転生出来ないというのである! それはお前さん、おぞましき執念で御座ろうぞよ!!!

・「頭巾(ときん)」「兜巾」「頭襟」とも書き、修験道の山伏が額に被る小さな布製のずきん。黒い色が無明(むみょう)を、円形が神仏の徳の完全性を、ついている十二の襞が十二因縁を表すという。一般には黒漆で塗り固めた布で作った、宝珠形の丸く小さい形式のもので、これは大日如来の五智の宝冠を表しているという。

・「鈴かけ」注の冒頭を参照のこと。

・「山岨」「やましは(やまそわ)」山の険しい崖。ここなら山の清水が伏流し、人の糞尿の愁いは、これ、あるまいよ。
 
 画像は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング、補正したもの。

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