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« アムステルダムの水夫   アポリネエル 堀辰雄譯 | トップページ | あの梢に 小さな巣箱をかけて »

2016/07/10

死後の許嫁   アポリネエル 堀辰雄譯

[やぶちゃん注:ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire 一八八〇年~一九一八年)の短篇小説La fiancée posthume(一九一一年)の堀辰雄による全訳である。二〇〇八年岩波文庫刊「立原道造・堀辰雄翻訳集」の解題によれば、初出は雑誌『若草』(昭和八(一九三三)年七月号)である。

 底本は昭和一一(一九三六)年山本書店刊の堀辰雄の訳詩集「アムステルダムの水夫」を、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で視認した。

 老婆心乍ら、題名の「許嫁」は「いひなづけ(いいなずけ)」と訓ずる。フィアンセ。]

 

 

   死後の許嫁

 

 ヨオロツパを旅行中であつた或る若い霹西亞人がカンヌヘ冬を過ごしに行つた。彼は、季節(シーズン)の間だけ外國人相手に佛蘭西語を教へてゐる、或る教師の家に下宿をした。

 この教師は、五十がらみの男で、ミュスカァドと云ふ苗字であつた。彼は地味な身裝(なり)をしてゐたので、もし彼がいつも蒜(にんにく)の臭ひをさせてゐなかつたならば、何處へ行つても彼は人目につかなかつたにちがひない。

 ミュスカァド夫人は三十八から四十ぐらいの年だつたが、どう見ても三十から三十二ぐらゐにしか見えぬ、温順(おとな)しい婦人だつた、かの女は金髮(ブロンド)で、肌は生き生きとしてゐたし、胴もすらりとしてゐた、が、その胸部と腰とはちよつと突き出てゐた。しかし、そのうちには微塵も挑發的なところはなかつた。そしてかの女は悲しげに見えるのだつた。

 若い露西亞人はかの女に目をつけた。そしてかの女を綺麗だなあと思つた。

 ミュスカァド夫妻はシュケェ海岸に臨んだ、小さなヴィラに住んでゐた。其處からは海の上にレランの諸島が見え、夏ならば、日の暮れ方になると、裸のしなやかな子供たちの遊び戯れる、長い沙濱が見えるのであった。ヴィラはミモザや菖蒲や薔薇や大きなユウカリプタスなどの植わつてゐる庭をもつてゐた。

 ミュスカァド家の間借人は散步をしたり、煙草をのんだり、讀書をしたりして冬中を過ごした。彼は町に一ぱい居る可愛らしい少女たちも見なければ、美しい外國婦人たちも見なかった。彼の目は海岸の砂の上だの、往來の地面の上だの、又は壁の上だの、いたるところにキラキラしてゐる雲母のきらめきしか見ないのだった。そして彼の想ひは、海の方から吹いてくる風に押されるままになって步いてゐる間、すつかりミュスカァド夫人の上にあつた。しかしその戀は甘く、うつとりとしたものではあつたが、決して熱情的なものではなかつた。彼はそれを打明けようとはしなかつた。

 

       *

     *

       *

 

 ユウカリプタスは香りのよい細かい毛で地面を埋めた。それは庭の小徑をすつかり埋めて、雲母のかけらを消してしまつてゐるほど、そこには澤山落ちた。そしてミモザはいい匂のする花をひとつ殘らず燃え立たせた。

 或る夕方、窓をすつかり開け放した部屋のなかの薄くらがりで、ミュスカァド夫人がランプをつけているのを若者は見たのであつた。かの女の動作は緩やかであつた。そしてその影繪(シルエット)はいかにも淑やかで、それでゐて何處か投げやりなところがあるやうに見えた。若者は思つた、「もう我慢がならない。」そしてかの女に近づいて行きながら、彼は言つたのである。

「マダム・ミュスカァド、なんといふ素晴らしい苗字でせうね! まるで呼名みたいですね。‥‥ほんたうにこの苗字は、東洋の太陽のやうにかがやかしい毛髮をなさつてゐる貴女にはよくお似合ひです。あの肉豆蔲(ミュスカァド)のなかでも一番いい匂のする實のやうにいい匂のする貴女には。‥‥鳩がそれを嚥み込んでは元のまんま排泄する、あのミュスカァドの實のことですよ。‥‥いい匂のするすべてのものは貴女の匂がします。そして貴女はあらゆる氣持のいいものの持つてゐる味がするのにちがひありません。私は貴女を愛してゐます、マダム・ミュスカァド!」

 

 ミュスカァド夫人はしかし、怒つたような樣子もしなければ、嬉しさうな樣子もせず、ただ全く無感動のやうに見えた。さうして窓から彼の方をちらりと一目見たきりで、部屋を去つて行つた。

 若者は一瞬間ぽかんとしてゐた。やがて彼は笑ひ出したくなつた。それから彼はシガレットに火をつけて外へ出て行つた。

 五時頃、彼は歸つてきた。さうしてヴィラの柵にミュスカァド夫妻が凭りかかつてゐるのを認めた。夫妻の方でも若者を認めると、人氣のない往來の方に二人して出てきた。ミュスカァド夫人はヴィラの柵を閉めてから、かの女の夫のそばに寄り添つた。かの女の夫が言つた。

 ――あなたにちよつとお話したいことがあるんですが‥‥

 ――往來でですか? 若者が訊いた。

 

 さうして彼はミュスカァド夫人の方を見つめた。かの女は落着き拂つて、身じろぎもしないのだつた。

 ――そうです、往來で、とミュスカァド氏は答へた。

 

 さうして彼は話し出した。‥‥

「あなた、どうぞ私の話を、――いや、これはまたマダム・ミュスカァドの話でもありますから、私達の話と云うべきでせう、――まあ、どうぞ最後までお聞きになつて下さい。

「私はいま五十三になります、そしてマダム・ミュスカァドは丁度四十になります。私ども、私と妻が、結婚いたしましたのは今から二十年前です。妻はダンスの教師の娘でした。私は孤兒でしたが、私の生活狀態は世帶をもつのに必要な位の餘裕はあつたのです。私たちは戀愛結婚をいたしました。

「御覽のとほり、妻はいまだに綺麗で、ちよいと惚れ惚れいたす位でございませう。しかし、もしもその當時、これがどんな繪にだつて描いてないような色をした毛髮を編んで結つてゐるところを御覽になつたのでしたら! それもみんな昔のことです、あなた、そしてこれの毛髮は、今じゃ、お誓ひしてもよろしいが、これが十七位だつたときの面影はまるで無くなつてしまひました。その頃は、この毛髮と云つたら、まるで蜜のやうでした。さもなくば、それが月かそれとも太陽のどちらに似てゐるかを決めるのに、ほとほと困つたものでした。

「私は妻を熱愛しました。そして妻の方でもまた(敢えて保證しますが)私を愛してくれました。そして私たちは結婚いたしました。それは限りのない喜び、ありとあらゆる感覺の法悦、夢にも似た幸福、幻滅のない夢でした。私の仕事はますます繁昌し、私たちの夢は續きました。」

 

       *

     *

       *

 

「それから數年經つと、すでにかくも一杯な私たちの幸福の盃をもつともつと一杯にすることが神樣のお氣に召しました。マダム・ミュスカァドは私を可愛らしい女の子の父親にさせて呉れました。神樣がその女の子を私たちに下さいましたものですから、テオドリィヌと云ふ名前をつけてやりました。マダム・ミュスカァドはその赤ん坊を自分の乳で育てたがりました。そして私はこの天使のやうなベビイの美しい乳母を愛することによつてどんなに餘計幸福になつたことでしよう。ああ、夜になつて、ランプの下で、赤ん坊に乳を飮ませてから、マダム・ミュスカァドがそいつの着物をぬがせてやるときは、何といふチャァミングな光景だつたでせう! 私たちの唇はその赤ん坊の、やはらかな、艷のよい、匂のする身體の上で、しばしば出會ふのでした。そして私たちの愉しい接吻は、その可愛らしいお尻だの、小さな足だの、むつくりした股だの、いたるところの上で音を立てました。そして私たちはいろんな愛稱を見つけました。小さな魔女、私の目の眸、鼬、貂(てん)、等々‥‥

「それから最初の步行、最初の言葉、そしてそれから、あゝ! かの女は五つの時に

死んでしまひました。

「私はいまだに、小さな寢臺の上に、小さな殉教者のやうに美しく死んでゐるかの女の姿が目にちらついてなりません。私はかの女の小さな棺をはつきり覺えてゐます。私たちはかの女を奪ひ去られました。そしてあらゆる喜び、あらゆる幸福を失つてしまひました。私たちは、私たちのテオドリィヌがいまなほ生き續けてゐる天國にでも行かなければ、もうそれらのものを見出す譯には行かないのです。」

 

       *

     *

       *

 

「かの女の死んだ日、私たちの心は急に老ひ込んでしまつたやうに感じられました。そして私たちには最早この世には何一つ面白いものがなくなりました。しかし、私たちは死なうとは思ひませんでした。私たちの生活は悲しくこそありましたが、氣持のよいくらゐ、それは靜かな生活でした。

「どうしても私たちを離れない悲しみ、そして私たちが娘のことを話し合ふ度每に私たちを泣かせずにはおかなかつた悲しみも次第に薄らいで行くうちに、數年が過ぎました。

「ときどき私たちは娘のことを話し合ひました。

「――あれが生きてゐたら十二になるんだがね、最初の聖體拜領(コミュニョン)の年だよ‥‥」

「そして或る時なぞは私たちは燒香の絶えない墓地の中のかの女の墓のかたわらで一日中泣き暮らしました。

「――あれが生きてゐたら今日で十五になるんだがなあ、そして多分もうとつくの昔に結婚を申込まれてゐるだらうに。」

 

「そんなことを言つたのは私でした、もう二年前のことです。私の妻は悲しげに微笑をしました。私たちは同じやうなことを考へてゐたのでした。翌日、私たちは貼札を出しました。「獨身者に部屋をお貸し致したし。」そして私たちは大ぜいの若い方たちに部屋をお貸ししました。イギリス人を二三人、デンマアク人とルウマニア人とを一人宛‥‥そして私たちは考へるのでした。

「――あれはもう十六になるんだよ。どうだろうね? 私たちの間借人はあれに氣に入つてゐるだろうかしら?」

 

       *

     *

       *

 

「それからあなたが來ました。そして私たちはときどき考へました。

「――テオドリィヌは十七になるんだよ。さうして若しまだ結婚してゐなかつたら、あれには屹度、この氣のやさしい、教育のある、すべての點であれに似つかはしい、この靑年が氣に入つただらうになあ‥‥」

「あなたは感動してゐますね、私にはそれがよく分ります。あなたはほんたうに好いお方で‥‥

 

「いや、いや、あゝ、私は間違つてゐます。あなたが今日の午後なさろうとしたことは、殆んど罪惡にも等しいことです。何故つて、本當のことを云ひますと、マダム・ミュスカァドが私にすつかり打明けてしまつたからです。あなたはこの立派な女の心をかきみだしました。私の心をかきみだしました。さうして、もうこんなことが起つてしまつた上は、あなたを私の家へお入れすることの出來ぬことぐらいはあなた御自身でもお解りだらうと思ひます。ごらんなさい、柵は閉つてゐます、これで何もかもお仕舞ひです。もう二度と私の庭をお通り下さいますな。あなたはそれを禁斷の快樂の庭だとお考へになつた、そしてそのお考へがあなたをそこからいま追ひ出すのです。

「あなたはもう、母親がその息子を愛するやうにあなたを愛してゐたこの女にひどく悲しい思ひをさせた、この靜かな家の中へ這入らうとなさいますな。ああ、私はどんなにあなたを何時までも私の家に置いておきたかつたことでせう! が、あなたもお解りでせうが、あなたがたとへそれを御承諾なさつても、もうそれは不可能なことです。もう何もかもお仕舞ひなのです。今夜はあなたはホテルにお泊りなさい。そしてあなたが何處へお泊りになつたかを私のところへお知らせ下さい。私はあなたの荷物をお屆けいたします、さようなら、ムッシウ。さあ、おいで。マダム・ミュスカァド、日が暮れるよ。さようなら、ムッシウ、お達者で、さようなら。」

 

[やぶちゃん注:複数の「さようなら」の表記はママ。「影繪(シルエット)」のルビは本文内の外来語の拗音表記から拗音化し、二度目に出る娘の名も二箇所とも「テオドリイヌ」であるが、最初の表記と統一して拗音化した。「聖體拜領(コミュニョン)」のルビも「コミユニヨン」であるが同様に処理した。

「シュケェ海岸」原文“côté du Suquet”。フランス南東部の地中海に面したカンヌ(Cannes)市街の西側のシュヴァリエ山一帯に広がる旧市街の海浜地区。旧港の東側をカバーする地域で、現行では「ラ・シュケ」と表記される。

「レランの諸島」原文“les îles de Lérins”。カンヌ沖合のレランス諸島。サン=トノラ島(Île Saint-Honorat)、サント=マルグリット島(Île Sainte-Marguerite)、サン=フェレオル島(Îlot Saint-Ferréol)、ラ・トラドリエール島(Îlot de la Tradelière)から成る。

「ユウカリプタス」原文“eucalyptus”。オーストラリアの原産のフトモモ目フトモモ科ユーカリ属 Eucalyptus の仲間。多様な品種を持つ。

「肉豆蔲(ミュスカァド)」原文“noix muscades”“Noix de muscade”で、実が生薬(肉荳蔲(にくずく))やスパイス(「ナツメグ」)として知られる、モクレン亜綱モクレン目ニクズク科ニクズク(ミリスティカ・肉荳蔲・肉豆蒄)属 Myristica のこと(属名はギリシャ語で「香油」を意味する「ミュリスティコス(myristicos)」に由来)。元来は熱帯性常緑高木。代表種はナツメグ Myristica fragrans。香辛料としては独特の甘い芳香と辛味と苦味を有する。ここの主人の姓も全く同じ綴りである。

「聖體拜領(コミュニョン)」原文“communion”。カトリック教会に於いてキリストの体と血となったパンと葡萄酒に身に授かること。]

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